白い2羽の使者
本日は令和3年8月12日、謎多き日本航空123便ジャンボジェットの遭難から36回目の年を数える日です。
この遭難を私は事故ではなく、事件と捉えていることは、今更説明することではありませんが、何にせよ、多くの人命が失われたことだけは確かです。読者様におかれましては、本日、ささやかな時間で良いので、それら失われた魂に向かって、祈りを捧げて頂ければ幸いです。
本日を迎えるに先立ち、私も御巣鷹の尾根に登ってきました。昨年の暴風雨によって大きく荒れた登山道は、関係者のご尽力によって整備が進み、今年は、昨年よりも楽に慰霊碑まで向かうことができました。この地を守ってくださる皆様には本当に頭が下がる思いです。
画像:2021年8月の昇魂之碑と高天原山
今年の登山で気付いたのですが、毎回重さを感じることの多いこの地が、今回は何故か、妙に気持ちが落ち着くのです。
その理由は、12年前に調査を始めてから既に数10回ここに来てすっかり慣れてしまっていること、他に、猛暑の襲う低地を離れ、樹木に囲まれた涼しい高地に来たことなど、いくつか考えられますが、もっとも大きな理由は、新型感染症やオリンピックで大騒ぎしながら、国民には自粛という名の忍耐を強制する、大マスコミの大袈裟な騒々しさや、報道に右往左往させられる国全体の在り方に、すっかり嫌気が差したからなのかもしれません。
御巣鷹の尾根は大きな不幸の起きた地ではありますが、少なくともここでは脚色のない静けさと、この世の現実を体感することができます。もはやフィクションかリアルかもはっきりしなくなった、大量の情報が氾濫する現代社会と、草木と山と空、そして人の死を示す墓標しかないこの地と、どちらが本当の世界なのだろう、そしてどちらが人の住むべき世界なのだろうと、山を下りながらしみじみ考えさせられたのです。
私のこれまでの調査結果に従うと、123便の不幸は間違いなく事件です。しかも、長期に亘って準備された計画の下で実行された事件です。その結論に至る物証、傍証、そして考察等はこれまでブログ記事で述べてきましたが、恐ろしいのはそれらが私の知り得た事実の全てではないということです。
私に限らず、執念深く本事件を追い続ける個人の方がいらっしゃるのはよく存じています。各人が描く123便事件の全体像がそれぞれ異なることも分かっています。それについて、私の描いた絵が絶対正しいなどと言うつもりもありません。
私も個人でこの件を追い続けて本当に疲れました。失ったものも多いです。他の皆さんも程度の差こそあれ、どこか同じような思いがあるのではないかと想像します。このように、何人もの個人が疲弊してしまう最大の理由とは、
理不尽な事故調査報告が放置され続けた
ことに尽き、人であれば、人の命が失われた真の理由を確かめなければという思いが生じるのは同じなはずです。こと命に関して、真実の隠蔽は許されないのです。
今、日本国民共通のステップとして求められるのが
日航123便遭難原因の再調査
であることは、間違いありません。本当にそんな奇跡が起こるなら、私はこれまで調べ上げた全てをそこに提供し、証言する用意があります。私はそんな奇跡を望んでいますし、必ず起きると信じています。
画像:登山道入り口前の車に貼られていた署名の呼びかけ。個人の活動のようですが頑張って欲しいと思います。(→署名サイト)
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
GIMEL VOLVE SUPER DOMINUM VIAM TUAM ET CONFIDE IN EO ET IPSE FACIET
ET EDUCET SICUT LUMEN IUSTITIAM TUAM ET IUDICIUM TUUM SICUT MERIDIEM
DELETH TACE DOMINO ET EXPECTA EUM NOLI CONTENDERE ADVERSUM EUM QUI PROFICIT IN VIA SUA ADVERSUM VIRUM QUI FACIT QUAE COGITAT
HE DIMITTE IRAM ET RELINQUE FUROREM NOLI CONTENDERE UT MALEFACIAS
QUONIAM QUI MALEFACIUNT INTERIBUNT EXPECTANTES AUTEM DOMINUM IPSI HEREDITABUNT TERRAM
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。
(詩編 第37編 5-9節) *vulgate版では第36編
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
この遭難を私は事故ではなく、事件と捉えていることは、今更説明することではありませんが、何にせよ、多くの人命が失われたことだけは確かです。読者様におかれましては、本日、ささやかな時間で良いので、それら失われた魂に向かって、祈りを捧げて頂ければ幸いです。
本日を迎えるに先立ち、私も御巣鷹の尾根に登ってきました。昨年の暴風雨によって大きく荒れた登山道は、関係者のご尽力によって整備が進み、今年は、昨年よりも楽に慰霊碑まで向かうことができました。この地を守ってくださる皆様には本当に頭が下がる思いです。
画像:2021年8月の昇魂之碑と高天原山
今年の登山で気付いたのですが、毎回重さを感じることの多いこの地が、今回は何故か、妙に気持ちが落ち着くのです。
その理由は、12年前に調査を始めてから既に数10回ここに来てすっかり慣れてしまっていること、他に、猛暑の襲う低地を離れ、樹木に囲まれた涼しい高地に来たことなど、いくつか考えられますが、もっとも大きな理由は、新型感染症やオリンピックで大騒ぎしながら、国民には自粛という名の忍耐を強制する、大マスコミの大袈裟な騒々しさや、報道に右往左往させられる国全体の在り方に、すっかり嫌気が差したからなのかもしれません。
御巣鷹の尾根は大きな不幸の起きた地ではありますが、少なくともここでは脚色のない静けさと、この世の現実を体感することができます。もはやフィクションかリアルかもはっきりしなくなった、大量の情報が氾濫する現代社会と、草木と山と空、そして人の死を示す墓標しかないこの地と、どちらが本当の世界なのだろう、そしてどちらが人の住むべき世界なのだろうと、山を下りながらしみじみ考えさせられたのです。
私のこれまでの調査結果に従うと、123便の不幸は間違いなく事件です。しかも、長期に亘って準備された計画の下で実行された事件です。その結論に至る物証、傍証、そして考察等はこれまでブログ記事で述べてきましたが、恐ろしいのはそれらが私の知り得た事実の全てではないということです。
私に限らず、執念深く本事件を追い続ける個人の方がいらっしゃるのはよく存じています。各人が描く123便事件の全体像がそれぞれ異なることも分かっています。それについて、私の描いた絵が絶対正しいなどと言うつもりもありません。
私も個人でこの件を追い続けて本当に疲れました。失ったものも多いです。他の皆さんも程度の差こそあれ、どこか同じような思いがあるのではないかと想像します。このように、何人もの個人が疲弊してしまう最大の理由とは、
理不尽な事故調査報告が放置され続けた
ことに尽き、人であれば、人の命が失われた真の理由を確かめなければという思いが生じるのは同じなはずです。こと命に関して、真実の隠蔽は許されないのです。
今、日本国民共通のステップとして求められるのが
日航123便遭難原因の再調査
であることは、間違いありません。本当にそんな奇跡が起こるなら、私はこれまで調べ上げた全てをそこに提供し、証言する用意があります。私はそんな奇跡を望んでいますし、必ず起きると信じています。
画像:登山道入り口前の車に貼られていた署名の呼びかけ。個人の活動のようですが頑張って欲しいと思います。(→署名サイト)
白い2羽の使者
今回の記事タイトルは、(神)ブログメルマガ8月1日号を配信した翌日、今月の8月2日に見た夢から採用しました。その夢とは以下の通りです。
「外から自分の部屋に入った私。すると、2羽の真っ白な、そしてたいへん美しいセキセイインコが並んで部屋に居るのを見て私はたいへん驚きます。きっと大事に育てられたインコだろうと思い、早く元の飼い主に返してあげなければ・・・」
そう思ったところで夢から覚めました。たわいもない夢ですが、それにしては映像の印象が妙に強く残り、もしかしたら何か重要な意味があるのではないかと、数日考えていたのです。
後でその意味に気付くのですが、それが何であるかは、123便撃墜計画に深く関わった関係者の場合は当然として、メルマガ8月1日号の特別解説をお読みなった購読者様ならばきっとお分かりになるでしょう。
長年調査を続けていると、こういう不思議な事が時々起こるのですが、まさにこれこそが、ここまで調査活動を続けて来れた大きな励みでもあったのです。
今回の記事タイトルは、(神)ブログメルマガ8月1日号を配信した翌日、今月の8月2日に見た夢から採用しました。その夢とは以下の通りです。
「外から自分の部屋に入った私。すると、2羽の真っ白な、そしてたいへん美しいセキセイインコが並んで部屋に居るのを見て私はたいへん驚きます。きっと大事に育てられたインコだろうと思い、早く元の飼い主に返してあげなければ・・・」
そう思ったところで夢から覚めました。たわいもない夢ですが、それにしては映像の印象が妙に強く残り、もしかしたら何か重要な意味があるのではないかと、数日考えていたのです。
後でその意味に気付くのですが、それが何であるかは、123便撃墜計画に深く関わった関係者の場合は当然として、メルマガ8月1日号の特別解説をお読みなった購読者様ならばきっとお分かりになるでしょう。
長年調査を続けていると、こういう不思議な事が時々起こるのですが、まさにこれこそが、ここまで調査活動を続けて来れた大きな励みでもあったのです。
参考:
・黒霧123便関連記事ガイド
・(新)ブログ全記事リスト
・123便搭乗者検索
GIMEL VOLVE SUPER DOMINUM VIAM TUAM ET CONFIDE IN EO ET IPSE FACIET
ET EDUCET SICUT LUMEN IUSTITIAM TUAM ET IUDICIUM TUUM SICUT MERIDIEM
DELETH TACE DOMINO ET EXPECTA EUM NOLI CONTENDERE ADVERSUM EUM QUI PROFICIT IN VIA SUA ADVERSUM VIRUM QUI FACIT QUAE COGITAT
HE DIMITTE IRAM ET RELINQUE FUROREM NOLI CONTENDERE UT MALEFACIAS
QUONIAM QUI MALEFACIUNT INTERIBUNT EXPECTANTES AUTEM DOMINUM IPSI HEREDITABUNT TERRAM
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。
(詩編 第37編 5-9節) *vulgate版では第36編
キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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