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クロ幕登場?


宮司に小堀氏 徳川氏、定年前に異例退任 来月1日付
毎日新聞2018年2月24日 東京朝刊


徳川康久氏(左)と小堀邦夫氏

 靖国神社の徳川康久宮司(69)が退任し、後任に元伊勢神宮祢宜(ねぎ)の小堀邦夫氏(67)が3月1日付で就くことが分かった。75歳の定年前に退任するのは異例で、2月22日の総代会で了承された。同神社関係者が23日、明らかにした。

 徳川氏は江戸幕府十五代将軍慶喜のひ孫。2016年の共同通信のインタビューで示した明治維新に関する歴史認識について、同神社元幹部が著書などで批判するなど波紋が広がっていた。最近は徳川氏の執務状況を非難する文書が送られるなど混乱もあった。

 徳川氏は共同通信インタビューで、戊辰戦争に関して「幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ、価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗(みはた)を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった」と発言。

 これを受け、亀井静香元金融担当相らが幕府軍をはじめ「賊軍」とされた人々の合祀(ごうし)を徳川氏に申し入れた。亀井氏によると、徳川氏は「直ちにそういたします、とは言えません」と応じた。この対応について靖国神社元総務部長が「明確に否定せず、合祀に含みを持たせた」と反発した。(以下省略)


引用元:毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180224/ddm/012/040/061000c

靖国神社の宮司が替わるようですね。水戸一橋家流れの徳川さんから福岡黒田家流れの小堀さんへの代替わり。これで、カモとクロが揃いました。この日をお待ちしておりましたよ。

明治維新の真の勝利者が地下支配に移行した徳川幕府であることなどは、もうバレ始めていることなのでどうでもいいのですが、皇居へと繋がる地下道の入り口の一つである靖国神社、そこのゲートキーパーが唐突に替わるのだから、これはこれで大きな意味があるのでしょうね。私にしてみたら、伊勢は日本古来の神を封じ、靖国は皇族や戦没者の魂を封じるとんでもない神社なのですが、とりあえず新任に就かれることをお祝いしておきましょう。

この記事を黒田さんはどこで見るのでしょうか?福岡市の地下モノレールの中かな?それとも山の下ホテル?いつか素晴らしい地下施設の写真を福岡市民の皆さんに公開したいですね。ご出身の甲賀郷にも鼻が高いでしょう。あと、西鉄の小川さん、それとも福岡県庁の小川さんかな、変な人間をこちらに送り付けないでください。素行が悪くて迷惑してます。あなたは地下原発からの電力供給と博多湾に沈めた旧帝国海軍の金塊(本当は国民の財産)だけ心配してればいいのです。そんなに心配だったら、行き付けの福岡山王病院で診察を受け、麻生さんや気心知れたお仲間と世界征服の夢など語り合ったら如何でしょうか。


これは山のホテル。福岡市内を見下ろす眺めの良い場所にあります。
小笹の地下モノレール駅、地下原発にも近く利便も電力供給も心配なし。
九州大学と九州電力の産学連携もバッチリなんでしょうね。
地下ウラン精製工場もある福岡市は日本を代表する核の街と言えるかも。


2016年11月8日、博多駅近くで起きた福岡市営地下鉄延長工事での大陥没事故。
高島市長しゃん、じぇっくりやらんと地上の住民にバレるっちゃ。よかね?
あの旨かブラックモンブランばブラックは黒のことたい。知っとーと?

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 * * *

敬愛するテツ(鉄道ファン)さんへ

 最近、新幹線のアナウンス録音が変わったと思いませんか?あれ、九州新幹線のものだと思うのですが、確かめていただけませんか?そんなところにも、見えない世界の勢力図が現れるものなのですよ。

記事掲載後、元に戻ったようです(笑)。お騒がせしました。今後も細かい変化にご注目いただくと面白いですよ。
日本工営福岡支社の担当者さんへ

 福岡市の地下施設について、本記事の添削をお願いいたします。本社の方はお近くにある靖国神社の方をよろしくお願いします。


キリストの御国にて記す
管理人 日月土

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長崎72回目の原爆の日に

本日8月9日は、長崎に原爆が落とされたとされる日です。多くの方々が犠牲となったこの惨事に、8月6日の広島の犠牲者も併せ、深く哀悼を意を捧げると同時に、同じような出来事がこの世界で二度と起こらないよう、微力ながらも祈りを捧げます。


 * * *


昨年掲載した長崎原爆の記事について、過剰とも言える批判を受けましたが、既存のデータを羅列するだけのもので"さてはて"という感想です。写真の解析についても、一歩譲っても、私やデオニシ氏の論証と比べて五十歩百歩といったところ。私見としての反論は認めますが、本人が何かしらの実験を行っていないままでは、残念ながら私見以上に取り扱うことはできません。

そもそも、カール・ホパーの反証主義とは不可知論に立脚したもので、既存の科学系内の知見を評価する方法論でしかありません。つまり、実証不可能な命題を予め排除した方法であり、この世の真実を証明する思考法とは言えないものです。私の提示している知見は、すでに多くの点で既存科学系を逸脱しているのは認めますが、敢えて逸脱を試みるのは、既存科学に対する大いなる疑問があるからです。

例えば、既存科学は「光がなぜ真空中を伝播するのか」を説明できるでしょうか?現代物理学がそれに対する明確な解答を与えないまま、我々は電磁波=光を日常生活の中で普通に認識し使っています。不可知論者はそれは不可知だと言って、このありふれた自然現象の説明を拒否し、それを問うものを痴呆症と呼んで貶めるのでしょうか?

人が世界をどう認識するのか、それはもはや心理学の問題です。そして、一人一人に違う世界観があります。私は、自分の提示したものが絶対真実であると殊更に主張するつもりはありません。真実はこの文を読む皆様がそれぞれに掴めばよいことです。なので、私の主張をインチキ呼ばわりするのもそれで結構。そして、インチキだと思われるならもう読まれなくても結構です。どうぞ、あなたの愛する科学の世界で幸せに生きてほしい。それだけです。


 * * *


広島・長崎は地上起爆だったのか?記事発表から1年、私が至った結論は空中でも地上でもない。すなわち、核起爆などなかったというものです。それはどういうことなのか?、8月6日の午後1時05分にNHKで放送された※「“原爆の絵”は語る~ヒロシマ 被爆直後の3日間~」が、8月10日(木) 午前1時00分(今晩です)に再放送されます。それをよく見て頂きたい。そこに、真実へのヒントが示されています。
[※2017.08.10 追記:同番組はNHKオンデマンドで視聴できます(有償)]



“The combination of more scientists, more powerful K-tools, instant communication, widespread collaboration and an ever-broader base of knowledge on which to draw is changing the borders of science itself, reopening questions that were once regarded as B-movie science fiction.

 Serious scientists today are no longer afraid of damaging their reputations by talking about time-travel, cyborgs, near-immortality, anti-gravity devices that could transform medicine and provide an endless source of non-fossil fuel energy, and many other possibilities once found only on the wilder shores of unbelievability.”

 「科学者達の協力体制がより深まり、さらに優れた知識共有ツールの出現や、即応性の高いコミュニケーション手段、広範囲に渡る連携と学際的な知識を基に、科学の取り扱う境界が変化し始めた。その結果、かつてB級SF映画のテーマとみなされていたものまでをも、研究の対象とするようになったのだ。

今日の真摯な科学者は、タイムマシンやサイボーグ、永遠の命、医療のあり方を激変させ、なおかつ化石燃料を用いず無尽蔵なエネルギーを供給するだろう反重力装置、そして、かつて「ありえない」と思われていた手付かずの領域について口にすることを、もはや自身の評判を気にしてためらったりはしない。」
('Revolutionary Wealth' Alvin and Heidi Toffler - 2006 ALFRED A. KNOPF より 拙訳:日月土)

知り合いの研究者と話をしていても、実験室内の空中を漂うコップ、何もない空間から生じる物質などの話がオフレコ話でよく話題になります。世間から完全否定されているソマチッドについても、国立の研究機関で堂々と研究され、私など及びもしない程の知見が蓄積されてると聞き及んでいます。10年前にトフラーが予言した世界は、もう現実に存在しているのです。私はこの状況を、人がいよいよ神の領域に入り始めたのだと捉えていますが、果たして神は、人を受け入れてくださるのか、そこを最も危惧しています。



キリスト眠る御国の片隅にて
管理人 日月土
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改ざんの日本史-長崎原爆投下の真実(1)

今回の記事は1冊のタネ本を元に展開します。まずその本を紹介します。著者は元米軍情報部に勤務していた経験があり、多くの非公開文書を目にしたことから、戦争の真実に疑問を持ち、今回の調査に至ったと述べています。


図1:「原爆と秘密結社」
    デイビッド・J・ディオニシ(著), 平和教育協会(訳), 成甲書房 2015

この本の前半は著者が調べ上げた米国内の秘密結社の情報が記されています。その中には陰謀論の世界ではおなじみの「スカル・アンド・ボーンズ」「ボヘミアの森」「フリーメーソン」「イルミナティ」などが紹介されていますが、作者の考えでは、それらはその時代や場所でその都度使われる名称であり、それら組織の総体は「死の血盟団(Brotherhood of Death)」であると捉えています。もちろん当事者がその名を名乗っている訳ではなく、便宜上彼らのことをそう呼ぶという意味でこの名称が使われています。

死の血盟団の根幹は悪魔崇拝であり、悪魔と同化することでこの世を支配する力と最高の知性が得られると信じられており、彼らの最大の敵はキリスト教またはキリスト教信者であると教えられています。

また、これまでの二度の世界大戦は彼らが仕組んだものであり、三度目の世界大戦を起こすことで、彼ら「賢者たち」の支配する世界統一政府をこの世にもたらすことが究極の目標として掲げられ、広島、長崎に原子爆弾を投下させたのも彼らが企図したものであると結論付けています。


■長崎原爆投下の不可思議

秘密結社の話などは聞き飽きた方も多いでしょうが、この本の最も秀逸な部分は、長崎に投下されたファットマン(Fat Man)の原爆報道の矛盾点を徹底的に解明している点でしょう。以下、それらを箇条書きにて紹介します。

原爆投下機「ボックスカー (Bock's Car)」に関する矛盾
(1)投下機は北九州の小倉に向かい上空を3回も旋回した末、長崎に進路を向けた
(2)当日の小倉の天候は投下不能になるような悪天候ではなかった
(3)予備燃料600ガロンが給油されておらず、爆弾投下後、出発基地のテニソンには戻れず沖縄にほぼ燃料が空の状態で緊急着陸した
(4)沖縄の米軍基地は同機の緊急着陸の呼びかけに全く応じなかった
(5)サポートに付くはずの救難捜索機に帰還命令が出されていた
(6)同乗取材するはずだった、原爆報道で有名な記者ウィリアム・ローレンスがなぜか乗り遅れた

着弾地点に関する矛盾
(7)爆撃目標と考えられる三菱造船所からなぜか4.6kmも離れた市街地に投下された
(8)気象観測機は出動しており、命中誤差はせいぜい150m程度だった
(9)浦上天主堂の倒壊具合から、爆心地は現在の認定位置から北寄り、現在の平和公園の辺りだったと認められる
(10)米軍発表の写真では浦上天主堂の倒壊した壁が修正されている
(11)浦上天主堂の壁が一部残っていることから、猛烈な爆風が横から当たっていることがわかる。つまり、上空での爆破ではなく地表に近い点で爆破していることが読み取れる。

■長崎は初めからターゲットだった

同機は北九州を3度も旋回したにも拘わらず、投下命令は下されずに長崎に向かいます。定説では、北九州への原爆投下予定だったはずが悪天候のため長崎に変更されたと言われてますが、(2)の事実により当日の天候に問題はなく、当初から長崎が原爆投下地点と決められていた節が感じ取れます。わざわざ3旋回を繰り返したのは、何も知らされていない乗組員に、当初の爆撃目標が北九州であることを印象付けるためだったのでしょうか?

■ボックスカーは墜落するはずだった?

北九州上空での旋回の謎は(3)~(6)の事実を見れば氷解します。燃料の少ない同機をわざわざ何度も旋回させている。そこには任務終了後にボックスカーを燃料不足により東シナ海に墜落させる意図が見え隠れします。証拠隠滅?では何のために?著者の調査によると(6)の記者、ウィリアム・ローレンスは死の血盟団の一員であり、それゆえ民間人記者でありながら重要機密であるはずの原爆投下作戦にフリーパスで参加することができたとしています。狙いはもちろん、原爆投下後の米国内プロパガンダ、現在の米国が主張する「戦争終結に原爆は必要だった」という世論を形成するためです。一つの強力な定説を作り上げるのに、実機乗組員の証言はむしろ邪魔になると考えられます。

ここで昨年の本ブログ記事「旧陸軍士官が語った歴史の真実(2) 」と微妙に符合する点が浮かび上がってきます。同記事では、広島の原爆投下機が投下後に山口県内の山中に墜落したとしています。T氏は爆風による損傷が原因と見ていましたが、もしかしたら、初めから同機に投下後に墜落する仕掛けがなされていた可能性も否定できません。事実、投下機が墜落消滅した後に、架空のエノラゲイ号がデッチ上げられ、戦後の原爆に関する世論が作られていったのは誰の目にも明らかなことです。ただし、広島の場合は少々都合が悪いことに海上でなく陸上に墜落してしまいました。ここで最も不思議な疑問が湧いてきます。破片を回収し戦時広報に利用できるはずなのに、日本はなぜそれに沈黙したのか?という点です。


■原爆は浦上天主堂を狙って落とされた?

本書のクライマックスは、なぜ長崎の市街地に原爆が落とされたのか、その理由を伝えることにあります。結論を先に述べれば、その理由とは、

「戦後、天皇の神格化が解かれることになれば、多くの日本国民がキリスト教徒に改宗するであろう。死の血盟団の天敵であるキリスト教の普及を阻止するには、日本のカトリック宗の聖地である長崎、それも浦上天主堂を破壊し、その信者を抹殺しなければならなかった」

というものです。

後で解説しますが、正直なところ、この理由は、数ある理由の一つではあっても、中核となる理由ではないと私は思っています。それはともかく、(9)~(11)の部分は非常に重要であり、同書の挿絵が非常に小さく見づらいため、本記事でその部分を改めてなぞっていきたいと思います。


図2:浦上天主堂の当時の位置関係(平面)
   同書によると当時の浦上天主堂は現在より少し平和公園寄りだった
   (クリックで拡大)


図3:浦上天主堂の平面図
   太線は原爆投下後も倒壊を免れた部分。石像が目印


図4:原爆投下直後の浦上天主堂
   この写真は修正されていないもの。石像の位置に注意
   (出典:英文原著 Atomic Bomb Secrets、Kindle 版より)


上記図2~4を見てください。著者はこの位置関係からおかしなことに気づきます。図4の写真からも柱の上の石造を含む南側壁面が残されているのが分かりますが、南壁が残ったのは、天主堂正面に作られた頑丈な鐘塔が爆風を遮ったからだと考えられます(図5)


図5:鐘塔が爆風から南側壁面を守った

すると、爆心地は天主堂の北西よりやや南寄りということになりますが、図2の位置関係から分かるように、公式には爆心地は天主堂の南西ということになっています。公式爆心地が正しいとすると、爆心地に向いている南壁が残り、その影となる北壁が倒壊するという非常に奇妙な説明になります。

これに加え、日本人カメラマンの林重夫氏とそのスタッフが撮影し、公式記録とされている原爆投下後の天主堂の写真は図6のようになります。


図6:林重夫氏が撮影した天主堂の写真
   鐘塔寄りの石像と壁が消えている
   (出典:英文原著 Atomic Bomb Secrets、Kindle 版より)

写真の撮影角度が違うものの、図4と比べると図6は明らかに南壁の残骸部分に修正が施されていることが分かります。

以上の映像分析、およびその他の資料分析により、著者は実際の爆心地は公式爆心地より200m前後北の地点、現在の平和公園内、それも平和記念像の辺りだろうと結論付けてます。また、図4のように、天主堂の一部の壁が鐘塔の影となりきれいに残っていることから、爆風は横方向から、少なくとも公表されている仕様の上空570m前後の爆発とは考えられず、かなり地表に近い高度で爆発したとしています。そして、図6その他の公式映像記録から、意図的に爆心位置の改ざんが行われたことも指摘しています。

著者の調査によると、本来の爆撃ターゲットと言われている三菱(造船所)はフリーメーソン員のグラバーによって創業支援された企業であり、死の血盟団が企図した原爆攻撃の対象になるはずもなく、初めから、爆撃誤差範囲を大きく逸脱した4.6km北方の浦上天主堂を狙って正確に爆撃が遂行されたのだと、最終結論を導いています。その目的は本節の冒頭に記した通りです。


■爆心位置改ざんの意図を考察する(1)

同書でスッキリしないのは、なぜ爆心位置が改ざんされたのか、その説明にいま一つ説得力が欠けている点にあると思います。浦上天主堂の破壊とキリスト教信者の抹殺が目的なら、その目的は既に十分達成されており、わずか200m程度の爆心地の違いを必死に隠蔽する理由がわかりません。

それが理由だとはっきり書かれてはいませんが、現在の平和公園のある高台は原爆投下時は長崎刑務所浦上刑務支所の敷地であり、公式記録には無いものの、連合軍の捕虜も30名程度いたと著者は調べ上げています。連合軍の原爆が連合軍捕虜の収監されている刑務所に投下されたのでは明らかにまずい、それなら爆心地を少しずらしてしまえということなのでしょうか?市街地のどこに投下されても捕虜の爆死は確定的であり、改ざんが露呈すればむしろ藪蛇となるリスクをわざわざ負うものでしょうか?

そもそも、現在10億人以上もいるカトリック信者を敵視しているなら、長崎の2万人の信者を狙ったという理由も弱い気がします。仮に長崎が被爆せず、布教が進み日本のキリスト教徒が2~3000万人になっても(現在は100万人前後)、既に世界の大宗教であるカトリック信者の数に比べればものの数ではありません。原爆を投下してまで、その目的を遂行する理由が果たしてあったのでしょうか。

この点に関しては、著者と直接に議論を詰める必要があると思っています。


■爆心位置改ざんの意図を考察する(2)

現地に行けば分かることですが、平和公園はそこだけ高台になっています。先に述べたように戦中は刑務所がそこに設置されていました。以下に垂直方向の位置関係を図に書き起こしてみました。現地の記憶と地図を頼りにしてますので若干不正確であることはお許しください。


図7:浦上天主堂の当時の位置関係(高低)
   平和公園の下には刑務所の地下室跡なども保存されており
   戦前からここが高台であったことが分かる。天主堂は真横

長崎に行かれた方ならばお分かりの通り、長崎は南北に伸びた入り江に東西から急峻な山裾が迫っている、いわゆるすり鉢上の地形をしています。平地は非常に少なく、現在のJR長崎駅や周辺市街地は埋立地の上に建設されています。そんな中にあって、旧市街地の真中に小高く聳える平和公園(旧刑務所跡)の高台には何か違和感を感じます。

図7のようにこの高台に2,3階立ての庁舎が建っていたとすると、その屋上からからは狭い旧長崎市街が一望に見渡せると思われます。天主堂は東側に少し坂を上ったところにあり、高台の上の建物からは2基の鐘塔に挟まれた正面入り口がほぼ真横に見える位置にあったと推測されます。

何を言いたいのか?、仮に旧庁舎の屋上に原爆が設置され爆発したとしましょう。その仮説をベースとすることにより多くの事象が説明可能となることに気が付きます。以下、この仮説に基づいて論を進めます。

 (A)ボックスカーに搭載されていた原爆ファットマンはダミーであった。
   タイミングを合わせ地上に設置された原爆を起爆させた。

戦争相手の日本がこれから起爆させる原爆を予め手にしていたなど、戦争当事者としてはあってはならないことです。当然ながら、乗組員にはその事実は一切知らされないはずです。また、万が一乗組員や関係者に気が付かれる危険を回避するため、任務遂行後に同機を墜落させるように仕組んだと考えられます。

 (B)そのため、天主堂は北西側の真横から爆風を受けたように倒壊した

これは図4のようにそのまま記録に残っていることなので解説の必要はないでしょう。

 (C)地上起爆であることは絶対に気が付かれてはならないことだった。

マンハッタン計画の原爆実験記録によると、爆破の際に地表方向に高さ数メートルの穴ができたとあります。地上で起爆させればその痕跡は確実に地表に現れるはずですから、地上起爆を隠すためには爆心地の改ざんが絶対的に必要となります。

この他、当時の気圧感応式の起爆装置に狙った高度で確実に起爆させるだけの精度がなかったことも考えられます。安全装置はあるでしょうから、装置を外した投下直後に投下機材に現場離脱するだけの適正な退避時間を与えられるかが大事になります。感度が高過ぎれば早くに爆破し投下機を傷つけ地上への殺傷力も減衰します。しかし、感度を落とせば最悪不発ということもあり得ます。効果を確実にするには地上爆破、それも高い位置での爆破が一番確実だと考えられます。

以上の内、(C)の要素こそ最も重要であり、爆心地改ざんに関して地上爆破説に勝る仮説は今のところ考え付きません。どうして戦争中の日本国内に、敵国である米国の原爆があるんだと思われるのは尤もな話ですが、それについても同書の中にヒントになる記述が幾つか見当たります。

 (X)三菱とフリーメーソンの関係(上記既出)
 (Y)徳川家と死の血盟団との関係
 (Z)北朝鮮おける日本の原爆開発の実体

以前から本ブログでも指摘してるように、裏の裏に潜む秘密結社の活動を国家の枠組みで捉えること自体が無意味だと気が付かれるべきです。その中で(Y)の、日本の影の経済支配者である徳川家と西洋秘密結社がいつの時点でつながっていたかを知ることは非常に重要です。残念ながら同書では両者に接触がある以上の情報は語られていませんが、私の推測では鎖国時代と呼ばれる徳川の治世に、欧州および米国とのコネクションはすでにあったと見ています。もっと簡単に言えば、「鎖国」などという事実は日本史上そもそもなかったのです。

また、(Z) の日本の原爆開発はたいへん進んでいたと著者は記しています。これは、米軍在籍時代に目にした極秘資料から得た結論とのことで、日本製原爆の開発拠点は現在の北朝鮮にあり、朝鮮戦争は米ソの軍事力を均衡化するため、ソ連に原爆製造技術を渡す目的で、敢えて勝ってはならない戦争として発動させたと結んでいます。ここからまた、現在の北朝鮮の核開発は、実は戦時中の旧日本軍の置き土産だと類推することができます。

以上の考察から、下記の重要な結論が導かれます。

長崎の原爆は日米秘密結社の共同作戦であった

または、世界的秘密結社の共通アジェンダであったと言うことができるでしょう。


■そして暴かれる広島・長崎の真の目的(序)

今回の記事は1話でまとめるつもりでしたが、長くなったので広島・長崎への原爆使用目的については第2話として次の記事に回したいと思います。さて、今回のおさらいですが、ディオニシ氏は長崎原爆投下の最終目的を

 「浦上天主堂の破壊と信者の抹殺」

と捉えています。私の場合はこの回答に次のような疑問を更に付け加えます

 「では、なぜ浦上天主堂は辺鄙な長崎の地に建設されたのか?」

ここが解明されない限り、原爆投下の真の理由は全く理解できないと思います。そのためには古代日本人の信仰形態がどうであったのか、また、アジアを訪れた近世のカトリック伝道師たちが、布教先でいったい何をしていたのか、それらを知る必要があります。そして、そのヒントとなる情報は、既に本ブログの他の記事で処々触れています。


 * * *


何でもかんでも結び付けるなと怒られるかもしれませんが、今回の長崎原爆の真実も、やはりあの事件とリンクします。1985年のバブル絶頂の日本、首都東京からわずか80kmしか離れていない山中で、米ソの特殊部隊と自衛隊が出動し、最終的には事故として処理されたJAL123便事件。これを多国間共同作戦と言わずして何と言いましょう。そして、その事件が起こる前の第二次大戦の最中ですら国家の枠組みを超えた大きな力が世の中を動かしていたことに改めて驚かされます。

先の5月27日オバマ米国大統領が広島を訪れましたが、その前にオバマ氏はあの方とお会いしたのでしょうか?来日する歴代米国大統領が、総理大臣、駐日米国大使、そして今上天皇よりも先に出向いて挨拶するというあのお方です。もちろん日本人ですよ。


図8:原爆ドームを背景に演説するオバマ米国大統領
   全てを知って演説しているとしたら、とんだ茶番劇だ

これまで語られてきた歴史の大嘘に、いよいよ世界の人民が気付く時がやって来ました。キリスト者の使命として長崎原爆の調査研究に当たられたディオニシ氏に敬意を表すると共に、神の祝福が氏の下にあらんことを心よりお祈り申し上げます。


遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土

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旧陸軍士官が語った歴史の真実(2) - 70回目の終戦記念日に向けて -

(2015.8.17 追記があります)

本日は平成27年8月15日、70回目の終戦記念日となりました。過去の世界大戦で亡くなられた全ての方々に哀悼の意を表したいと思います。

* * *

さて、戦争について考える日に相応しく、本タイトル「旧陸軍士官が語った歴史の真実(1)」、の続編を掲載したいと思います。前掲載から久しく時間が経過したので、同記事の要点を再掲します。

「二・二六事件の首謀者たる青年将校は全員処刑されてなどいなかった」

これは、旧陸軍士官T氏の証言ですが、彼らが処刑されなかった本当の理由を私は

「その後の計画戦争(太平洋戦争)に向かわせるための茶番劇」

と推論しました。そして、その茶番を画策したのが日米欧の軍産複合体、私が定義する秘密組織「クロカモ」、もしくはその前身だったのではないかという予想です。


■原爆投下写真の出自はどこか?

下記の写真は、歴史の教科書などであまりに見慣れてしまった、広島への原爆投下後に発生したキノコ雲の写真です。


写真1:広島における原爆投下後のキノコ雲

さて、この写真はいったい誰が撮影したのかみなさんお考えになったことがあるでしょうか?常識的に考えればエノラ・ゲイ号に随行した米国友軍機内の兵士と考えるのが一般的ですし、書籍・ネットでも、「米軍撮影」とキャプションが打ってあるものがほとんどです。これについて、T氏は再び驚くような証言をされます。

T氏「教科書によく掲載されている広島の原爆投下の写真ですが、あれは私が撮影したのですよ。戦後、進駐軍に接収されて米軍のものになってしまいましたが。」

日月土「どうやって撮影されたのですか?敵機が多かったと思いますが?」

T氏「キ○○式(正確な名称は失念しました)という偵察機からです。当時の日本軍機には珍しい機内与圧が可能な偵察機で、敵爆撃機よりも高い高度で航行が可能でした。敵機による新型爆弾の爆撃情報が事前に入ったので、状況を記録するため出撃したのです。私は、敵爆撃機の動きをその更に上空から観察していたのです」

T氏が搭乗していたという偵察機については、その後その存在を調べましたが、既存の年鑑などでは見つけ出すことができませんでした。ただし、ある旧軍機マニアの方から次のような回答を頂いてます。

「その型の存在を知ってるのですか!よほどの軍機マニアしか知らない情報ですよ」


■原爆を投下したのはエノラ・ゲイ号ではなかった

T氏と私の会話は更に続きます。

日月土「それでは、原爆を投下したのはB29、エノラ・ゲイ号だった・・」

T氏「それは違います。私が見た爆弾投下機はB29ではなかった。しかも、その投下機は爆風の回避行動に失敗して損傷を受け、しばらく飛行を続けていましたが、山口県の山中に墜落しました。私の乗った機は、その爆撃機の行動を上空からずっと追跡していたので、間違いありません」


写真2:エノラ・ゲイ号(左)とB29の全体写真


写真3:写真はボーイングB17、T氏が目撃した爆撃機とも異なるが、形状は
    こちらが近いとのこと。使用されたのは、おそらくB17の原爆投下用
    改造機材と考えられる。B29と見間違うはずがない。

何ということでしょうか、広島に原爆を投下したのはB29ではなかった。つまり、エノラ・ゲイ号ではなかったということ。世界中の戦史、歴史教科書に記されているだろう、悲惨な原爆の記述は、その投下機材の説明から嘘で始まっていることになります。

ただし、米国内プロパガンダの視点から考察すれば、原爆を投下したのが特殊なカスタム機材で、それが墜落・消滅してしまったため、量産型のB29を引っ張り出し、エノラ・ゲイ号としてヒーローに祭り上げ、戦意高揚に用いたという米国軍の意図はわからなくもありません。

しかし、理解できないのは、原爆投下機が国内に墜落しながら、その情報を一切表に出さない日本軍の不可解さです。原爆投下情報を日本軍が事前にキャッチしていたとの話は、戦史研究家の間でも有名な話なので、ここでは敢えて取り沙汰しませんが、国内プロパガンダ、または米国・世界に対してアピール力の高い原爆投下実機の存在を、何故今もって内外に隠すのか全く不明です。


ここからは推測になりますが、投下機墜落事実の隠蔽は「米国が原爆で日本をねじ伏せた」という日米合意の戦争シナリオに悪影響を与える危険があると判断されたからではないのか?もしかしたら、広島原爆投下の9日後にバタバタと終戦を迎えたのは、日本が原爆の威力に屈したからではなく、不都合な情報が拡散する前に、戦争をシナリオ通りに終結させるするためだったのかもしれません。米軍機墜落の隠蔽といい、何だか、その40年後に起きる未曾有の航空機惨事に似ていなくもありません。

本当の日米関係とはどうなっているのでしょうか?そして、戦争っていったい何なのでしょうか?


写真4:スミソニアン博物館の「エノラ・ゲイ」号
    70年の歳月、米国民・世界の人民も騙され続けていたということになりますね
    出展:http://airandspace.si.edu/collections/artifact.cfm?id=A19500100000#myCarousel

 * * *


T氏は、その偵察任務からの帰還中に米国P51戦闘機隊に銃撃を受け負傷します。この会話の最後、今でも少し引きずる足の脛をさすりながら、その時の負傷跡がこれだと教えてくださいました。

T氏のお話はさらに戦後へと続きます。それはまた、GHQによる日本占領が予め決められた規定路線であったことを疑わせる内容となっています。


写真5:米国P51戦闘機


 身はいかに なるともいくさ とめにけり
 ただたふれいく 民を思ひて
           昭和20年 昭和天皇


※戦争当時、実権なき張子の最高統治者として祭り上げられた昭和天皇についても、いよいよ語るべき時が来たようです。クロカモ、三ツ巴の皆さん、必読です。


遠つ祖霊の始まりの地より
管理者 日月土
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旧陸軍士官が語った歴史の真実(1) - 123便関連事項含む -

※2012.10.01 追記が有ります

竹島や尖閣諸島を巡る最近の報道を見て、人を殺す戦(いくさ)を望む勢力がこの国に台頭してきていることを大いに憂います。本ブログを定期的にチェックされるような方なら、こんな稚拙なプロパガンダに騙されはしないと思いますが、123便事件同様、報道されているストーリーが現実の世界だと信じている大多数の人々は、これからも欺かされ続けるのでしょう。

123便事件を調べ続け、また、現在の狂ってしまった政治状況を見るにつけ、つくづく、日本の国体が骨抜きにされていることを実感します。私には、小手先の政治運動や情報開示ではもはやどうにもならず、フリーフォールのように、落ちるところまで落ちなければ大元に立ち返ることは不可能のようにすら思えます。

現状に不満を言っても仕方ありません。私も、今の日本が抱える原罪を背負った一人であることを十分に自覚しています。ですから、日本と命運を共にして落ちたとしても、その道は自分で選んだのだと理解するようにしています。

落ちるところまで落ちて、そして、そこからどれくらい這い上がれるのか、国と国民の平安を神々に祈りつつも、自分の能力と運命に賭けて善良と思える道を前進するしか選択肢はありません。

 * * *

前回の記事から少し間が空きました。今回は、ちょっと趣向を変えて、ある人物から聞いた先の太平洋戦争に関するお話について、私の記憶に残っている限りここで紹介したいと思います。当然ながら、遠い過去を語ったことなので、記憶違いや誇張なども入っているでしょう。また、私自身の理解不足なども含まれると思います。ですから、あくまでも、「そんなことを言う人がいた」くらいの感覚で受け取っていただければと思います。


■華麗な経歴の持ち主

その方とは、知人の紹介で知り合いました。お会いした当時、本人いわく、誰でも知っている日本企業の会長職を務め、現役から一歩退いている立場だとのこと。その企業の創業者の庶子として生まれ、徳川御三家のある一家に嫡男として養子に入ったとのこと。英語堪能、武道、ピアノ演奏にも秀で、陸軍大学を出てから陸軍の情報部に配属されたとのこと。

もちろん、かなり後世代の私がこの経歴を聞いても、すぐにはピンとはこないのですが、いわゆる旧華族に属する人物で、日本の実権力を握るグループの一員であることは理解できます。政府・財界に親類縁者は多数。それだけではただのお話ですが、目の前で現役の総理大臣に気軽に電話を掛けたこともあり、ただの誇張だけではないことも確認しています。

以下、この方のことをT氏と呼ぶことにします。

現在の代議士の多くが、元議員の2世、3世であると、政治の世襲化が問題になっていますが、T氏のお話によると、吉田茂、鳩山一郎、岸信介などの古い政治家達、もしくはその奥方の多くがT氏の親族であり、必然ながら、最近になって総理大臣を務めた多くの代議士が、T氏の近縁・遠縁に当たることになります。日本を代表する企業群の実質オーナーだったこともあり、血縁だけでなく、資金面でも有力政治家と関係が深かったことは想像に難くありません。


写真1:現在では当たり前の世襲総理たち
    血を遡るとT氏の家系にも行き当たる。これぞ日本流民主主義か?

高齢で財界の重鎮であるT氏の前では、電話の向こう側にいる日本国総理大臣もひよっこ扱いだったのも当然でしょう。これはこれで凄い話なのですが、投票で広く才能を求め結集させるはずの民主主義が、人材発掘の根幹部分で、一部の血族、財閥に牛耳られている光景を目の当たりにした瞬間でした。彼らに悪気があるかどうかは別として、事実としてそうなっていることは、理解しておく必要があります。

T氏の人脈は、自民党、民主党内部に広がっていますが、T氏にとっては、政党の主義主張などは全く意に介していなかったように見受けられました。当たり前でしょう、どちらに転んでも自分の意向は確実に権力中枢に伝わるのですから。


■二・二六事件はやらせだったのか?

このブログのタイトルを見ればわかるように、私は松本清張先生のノンフィクション作品を高く評価しています。「日本の黒い霧」も秀作なのですが、私が最も敬愛する作品は「昭和史発掘」の中の「二・ニ六事件」の章です。もちろん、昭和初期のあの有名なクーデーター事件を取り扱ったものです。


写真2:文藝春秋社「昭和史発掘」文庫版表紙
    松本作品に出会ってなければこのブログもなかった?

その、膨大な資料の蒐集と緻密な分析には今でも学ぶことの多い作品ですが、T氏と出会った頃にちょうど同作品を読み込んでいたので、昭和11年の2月26日、T氏がまだ10代前後の少年だった時、当時東京都内に住んでいたT氏が何を見聞きしたのかを尋ねました。

「前夜から雪が降り始めて、夜に軍靴の音が鳴り響いていた。学校へは車で送ってもらうのだが、その日は休校になったことを覚えている。」

家の中に居たため、外で何が起こったのかを目撃されてはいなかったのですが、それでも、そんなわずかな天候の描写と聞こえてくる音の様子で、当日、都心で起きていたことが生々しく想起されます。私にとっては、T氏のこのリアルな証言だけで十分に満足だったのですが、それに続いてT氏は奇妙なことを語り始めました。それが余りにも衝撃的だったので、その時のやりとりをよく覚えています。記憶を辿ってそれを下記に示します。若干不正確であることはご容赦ください。

-------------------ここから---------------------

T氏「私は陸軍に入隊してから、栗原さん(当時中尉:叛乱首謀者の一人)に会いましたよ。」

日月土「えっ、どういうことですか?栗原中尉は事件後すぐに処刑されたはずですが??」(註:T氏が入隊するのは事件から数年後)

T氏「世間ではそういうことになってますね。でも、私はこの目でお姿を見て、会話もしています。それを信じる信じないはあなたにお任せします。なお、私は歴史というものを一切信じていません。」

日月土「中尉とどんなことをお話されたのですか?」

T氏「栗原さんは、よく歌を歌いながら兵舎の中をこうやって歩いていましたね(歌と身振りの真似)。事件に関わった他の青年将校の方々がどの部隊に配属されたのかも聞いています。」

日月土「なぜ、将校たちは処刑されなかったのでしょうか?」

T氏「理由はわかりませんが、やはり、お国のために立ち上がった方々ですから、殺すに忍びなかったのだと、私は理解しています。」

日月土「戦後、陸軍が解体されて彼らはどうなったのでしょう?」

T氏「それは私にもわかりません。」


写真3:栗原安秀中尉
    T氏はニ・ニ六事件よりだいぶ後に兵舎内で直接お会いしたことが
    あると言う。栗原中尉は処刑されていなかった!

-------------------ここまで---------------------


この会話を終えたとき、松本清張先生の作品を愛読していた一読者として、どれほどショックだったかはお分かりいただけるでしょうか?あれだけの労作の結末、「首謀者の処刑」という歴史的事実の結末が、実は捏造されたお伽話だったというのですから。当時、123便事件の真実についてすらまだ何も知らない自分は、この証言に激しく打ちのめされたのです。

あの松本清張先生ですら騙されていたのか!?


■文藝春秋社は何かを隠してる?

T氏のお話が事実だとすると、松本先生のされたお仕事がだたの徒労であったということに成りかねません。あるいは、松本先生自身がその疑いを持ちつつ、結論を出せぬまま、「処刑」を歴史的事実として渋々綴ったのかもしれません。

T氏のお話に納得しきれない私は、「昭和史発掘」の出版元、文藝春秋社にメールでT氏の語った内容が、「ニ・ニ六事件」の資料に中に僅かでも含まれているか質問を出しました。

かなり突飛な内容なので、メールへの返事は最初からあまり期待していませんでした。案の状、今でもその返事は私の元へ届いていません。しかし、メールを出してから数日後、私の身辺で異変がありました。空き巣に入られたのです。

帰宅して、窓ガラスが破られていることに気がつきました。アパートの1階部分で、道路沿いの端部屋から2番目の部屋。確かに入られても不思議はないのですが、何故、入りやすい端の部屋ではなく奥の自分の部屋だったのか?もっと不思議なのが、何も捕られていないことでした。真新しいノートパソコンが机の上に置いてあり、預金通帳が見えるところにあるにも拘わらず、何も捕られた気配がありません。これには、調書を取りに来た警官の方も首を捻ってました。その後、いろいろ調べて、結局、何も捕られた物はないという結論になりました。被害は、壊された窓の修理代程度のものです。

当時の私は、陰謀論的な話に多少の興味はあっても、社会の裏側や闇組織とかいったものに具体的なイメージはなかったので、不思議な空き巣事件ということで、勝手に納得していました。文藝春秋社へのメールと何か関係があると疑うこともありませんでした。

ひょっとしたらメールでの質問と関係があるのではないかと思うようになったのは、123便事件を調べるようになってからです。123便関連で関わりを深めた国際軍事評論家のB氏に、ニ・ニ六事件の青年将校が実は処刑されず生かされていた件について尋ねると、

「私もそう聞いてます」

と、実にあっさりとT氏のお話を裏打ちしてくださったのです。青年将校の処刑については、やはり何か隠し事があるようです。

ここで、疑問に思うのが、戦後60年以上たった今、青年将校が生かされていた事実が仮に世に出ても「愛国者への温情措置」とすれば、さほど抵抗なく新事実として受け止められると思うのですが、上述の空き巣事件が、重大事実を知った者への嫌がらせ、もしくは警告だとすれば、どうして、その事実をひた隠しにしようとするのか、今一つ釈然としません。これについての論考は後述しますが、少なくとも、文藝春秋社へのメールと空き巣事件には何か関連がありそうだということ。だとすれば、文藝春秋社は何を隠しているのかと、疑問の度合いが必然的にエスカレートしてきます。


■ニ・ニ六事件と戦時体制 - 2つの疑問

T氏の証言「ニ・ニ六事件の叛乱将校は処刑されていなかった」が事実であると仮定し、また、私の遭遇した「文藝春秋社へのメール後に起きた不可解な空き巣事件」が事実隠蔽工作の一端であったと仮定した場合、そこから新たな疑問が幾つか派生してきます。それを箇条書きにすると以下のようになります。

 (1) 何故、青年将校達は処刑されなかったのか?
 (2) 何故、半世紀以上昔の事実が隠蔽され続けなければならないのか?

他にも細かい疑問は色々と出てきますが、重要なのは上記2点になるかと思います。(1)の回答としては、T氏自身が「愛国者達への計らいだったのでは」という推測を述べられていますが、政府の重鎮が暗殺され、陸軍内の青年将校達のシンパ、いわゆる皇道派の高官達が事件後粛清されていることを鑑みれば(これも本当かどうか分からない)、「温情」の一言で処刑を免れたとはとても考えにくいものがあります。なおかつ、証言によると、彼らは、事件後に陸軍内の実権を握った統制派の下で職務の継続と行動の自由を与えられていたようなので、これが特別計らいの温情措置であったとは、常識的には考えにくいものがあります。

この疑問に対する最も簡潔な回答として、以下が考えられます。

 ニ・ニ六事件は、初めから事件後の効果を狙った、皇道派・統制派の両派閥間で巧妙に仕組まれた茶番であった

事件後の効果、あるいはその茶番を企図する一番の目的は、他でもなく"戦争突入"であり、海軍出身で戦争回避派、また天皇機関説を支持する岡田啓介首相(当時)、およびその片腕である高橋是清大蔵大臣が暗殺の対象になったのも、シナリオの流れから俯瞰すれば当然の事であると考えられます(岡田首相は難を逃れたが、急速に求心力を失う)。


写真4:二・ニ六事件で殺害された政府要人(岡田総理は難を逃れる)
    左から 岡田啓介(内閣総理大臣)、高橋是清(大蔵大臣)
    斎藤實(内大臣)、渡辺錠太郎(陸軍教育総監)

ニ・ニ六事件発生の原因は、東北地方を中心とした地方庶民の困窮と生活苦、それに対する政府の無策に憤った志高き青年達の暴走という風に、一般的には説明されていますが、果たしてそんなご立派なものであったのかどうか。あるいは、叛乱した彼ら自身は純粋な理想を抱いていたとしても、その情熱を上手に弄ばれてしまったのかもしれません。

日本を戦時体制に移行させることにより、軍部は国内の政治経済に強い影響力、そして実際的な権限を得ることになります。これは軍部にとって大きなメリットです。そのために目障りな和平派の弱体化を図ること、それと同時に、皇道派など、コントロールが難しい極右勢力の勢いを一定程度削ぎ落とすことが必要になります。

ニ・二六事件は、戦時体制を作り上げるための最後の仕上げとして企図された茶番。そう考えると、事件後に、政府が弱体化し、東条英機を初めとする統制派が幅を利かすようになり、同事件の翌年、1937年に盧溝橋事件が勃発。泥沼の日中戦争へと突入し、更には太平洋戦争へと繋がる急展開に、欧米諸国に追い詰められただけでない、別の説明を与えることができます。以下はニ・ニ六事件前後の簡略年表です。これを眺めると、政府要人への殺害行為を契機に戦時体制へ強く牽引されていく日本の体制が見て取れます。また、1938年の国家総動員法の制定は、事実上、米国との開戦準備であり、日本の軍事政府に和平案など念頭になく、戦争を遂行することが初めからの規定路線であったことが伺い知れるのです。

1931年 5月15日 五・一五事件 犬養毅首相、他殺害
 同年 9月18日 満州事変
1932年 1月28日 第一次上海事変
 同年 3月 1日 満州国建国宣言
1933年       国際連盟脱退
1934年12月    ワシントン海軍軍縮条約破棄
1936年 2月26日 二・二六事件 高橋是清大蔵大臣、他殺害
1937年 7月 7日 盧溝橋事件(日中戦争勃発)
1937年 8月13日 第二次上海事変
1938年       国家総動員法制定
1941年12月 8日 日米開戦(太平洋戦争勃発)

ここで、戦争突入によって最大の利益を得るグループを忘れてはなりません。ロックフェラーやロスチャイルドなどのユダヤ系国際財閥、日本国内だけを注視すれば、三菱、三井、住友などに代表される大財閥とその系列企業、そして、その経営者でもある旧華族・士族に属する人々が、必ずそこに存在するのです。ニ・ニ六事件の勃発を、財閥系企業はかなり正確に予測していたと言われますが、それが、企業内の情報部の諜報活動によってと考えるのは、ちょっと人が良すぎる発想かもしれません。彼ら自身が、直接事件を計画実行した方が、はるかに効率良く自分たちの利益となる戦時体制へと日本社会を導くことができるはずなのです。

これは、もはや推測の域を出ませんが、日米開戦前に、その資産をアメリカ国債にシフトしていた日本の企業経営者連中は、いったいどうして米国の勝利を予測できたのか、疑い始めたら本当にキリがありません。私は、外国勢力を含む日本の軍産複合体は、ニ・ニ六事件の時に初めてその牙を日本国、日本国民全体に向けたのではないかと考えています。あたかも、日航機123便事件の背後に見え隠れする、クロカモさん(日本の闇組織)たちのように。いや、その時既に、クロカモは存在していたのかもしれません。

このように論を進めると、疑問(2)については、次の様なの答が一つ考えられます。

「日本の軍産複合体は二・ニ六事件の頃から存在し、日本を戦争へと駆り立てた。その勢力は現在でも存続し、同事件の真実を過去のものと切り離すことはできない。日本の秘密結社たる彼らは、その存在を悟られないことが最大のテーゼであり、『処刑はなかった』という真実から、自分たち計画者の存在が類推されてしまうことは努めて避けなければならない。」

もちろん、この推論が正しいかどうかなど、今の私には検証のやり様がありません。しかし、123便調査の経験を通して、ニ・ニ六事件にも123便事件と同じ超国家的な巨大隠蔽の臭いを感じ取ってしまうのです。

----------2012.10.01 追記(ここから)------------
後から気がついたのですが、もしも、「処刑の回避」が陛下に伝わっていないのなら、逆賊征討の勅令が無視されたことになります。これが陛下のご意思なら、敢えて隠蔽する必要はなく、すると、当時の陸軍そのものが勅令に逆らった可能性は高いと言えます。現在までも隠し通す理由はその点にもあるのではないでしょうか。

陸海対立の観点から見れば、穏健派の岡田首相を要する海軍閥がその被害者のように見えますが、第二次上海事変は海軍側が起こした事変であり、後に日中戦争は泥沼化し、太平洋戦争への大きな布石となっていることは見逃せません。陸海対立を煽り、日本を大戦へと導いた勢力は海軍内にも存在していると見るべきです。米内光政、山本五十六など、駐在武官経験者と海外資本家とのつながりは、他書でも夙に指摘されてるところであります。そこに、金の力に操られる哀れな軍人の姿を見るのは私だけでしょうか?

どちらにせよ、一番気の毒な方は、偽の愛国者に翻弄され続けた昭和の大君だったと、思わずにいられません。そして、何ともお労しいのは、日航機123便事件で、再び同じお悲しみに御胸を痛められたのではないかと思われることです。
----------2012.10.01 追記(ここまで)------------


 * * *


日産自動車がミサイル開発子会社を所有しているのは知られていますが、トヨタ自動車が軍事用戦闘ロボット(米軍向)を既にタイで生産していることはほとんど知られていません。昨年のタイ洪水の時、トヨタの工場内部の映像がほとんど出なかったことに気がつきましたか?日本では全く報道されませんが、私が滞在していたフィリピンでは、堂々とニュースメディアで取り上げられていました。フィリピンの方々は無邪気に「日本の技術力は凄い」と褒めてくださるのですが、私の心中は複雑です。日本は再び、危険な道を歩もうとしているのではないのか。


写真5:2005年開催の愛・地球博(別名トヨタ博)で公開された歩行ロボット
    華やかな舞台の裏で、軍関係者に向けて軍事ロボットの売込みが
    行われていたという。二足歩行技術はホンダから買ったらしい。
    どうやら、自動車産業界は次の"大イベント"を切望しているようだ。

今月、松下経産大臣自殺の一報がありました。女性問題に悩んだ上と言われてますが、国会議員5期目で、70代の高齢現職大臣が、そんなことを苦にして自殺などするはずがないでしょう。そんな脆弱メンタリティーでは、おそらく代議士当選すらおぼつかないはずです。日本国民はそこまで頭が弱いと思われているのでしょうか?

自殺か他殺の結論はここで問うまでもなく、気にするべきは、政府の要職者が殺された時、その後に何が続くかという予測です。図らずも、今回のテーマはその解答を導くための絶好の過去事例となってしまいました。誰が日本をどこに導こうとしているのか、読者様には、事象の細部ではなく、ぜひ、大局を読み取っていただきたいと願います。

なお、T氏からは、「広島に原爆を投下したのはエノラ・ゲイ号ではない」など、他にも驚くような証言を聞かされています。もう歴史の教科書を読むのが馬鹿らしくなるほどです。これらについては、機会をみてまたご紹介したいと思います。


 身はいかに なるともいくさ とめにけり
 ただたふれいく 民を思ひて
           昭和20年 昭和天皇


遠つ祖霊の始まりの地より
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