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伊坂 幸太郎『魔王』 (講談社文庫)

2009-04-20 00:50:37 | 文学・小説
近未来小説であるが、憲法改正や少数派政党によるファシズムの台頭などこれから話題になりそうな素材が扱われている。
憲法98条改正の手続きなどとても具体的だが、小説を貫く詩情は終始未来への不安感などで染められている。ストーリー展開も面白いが、この詩情もこの小説の魅力だろう。

そういえばジョージ・オーエルの『1984年』を読んだときの衝撃は大きかったが、1984年を過ぎると全体主義は復活せず、何も変わらず、何であのとき衝撃的と思ったのか不思議だった。近未来小説というのは往々にしてその通りにはならないものだ。フィリップ・K・ディックの小説はたくさん映画になっているが。

『魔王』では超能力をもっているファシストと思われている党首のいう言葉に迫力がある。憲法改正を唱えながら、国民投票の直前にテレビで

覚悟はあるのか
勇気はあるのか

と国民に問いかける。
宮沢賢治の詩や物語がファシストを支える思想として展開されるのもなさそうでありそうな話である。

超能力、政治、社会のシステムが素材として描かれるところは、一頃ソ連でジリノフスキーが台頭したときを彷彿とさせる不気味な雰囲気を醸し出す。

尻上がりに面白くなる小説なのだが、最後の終わり方が「えっ」と思う。

突然終わるのだ。

『ロード・オブ・ザ・リング』の話の引っ張り方に似ている。
これじゃ誰もが続編の『モダンタイムス』を読みたくなるだろう。
この小説家は売れてきたので、マーケティングもすごく考えているように思う。まあ、それが小説の質を変えないことを祈るが。

伊坂幸太郎『グラスホッパー』角川文庫

2009-04-08 00:09:52 | 文学・小説
何人かの殺し屋と、殺された妻の復讐に燃える主人公との物語である。

トノサマバッタというのは増えすぎると、色も黒くなって凶暴になり仲間を殺し合う。グラスホッパーというタイトルは、そんなバッタのような昆虫と人間が似ているということから付けたようだ。
密集しすぎて生息している生物種には必ず仲間を殺す変種が現れる。色の黒いバッタが殺し屋ということか。といってもテーマと言うほどのテーマ性は感じない。

殺し屋と昆虫を素材にしてミステリー的な小説を書いたという感じか。

話は面白いし、「鯨」や「蝉」と呼ばれる殺し屋である登場人物の個性も際だっている。このあたりは井坂幸太郎の才能だと思う。

けれど二度読みたいと思うような小説ではない。

伊坂幸太郎『重力ピエロ』新潮文庫

2009-03-30 00:35:45 | 文学・小説
今日、田舎でひとり暮らしをする父が入院したので、兄と見舞った。

その帰りに電車でこの小説を読んでいて、泣いてしまった。
テッシュ取り出して、涙とハナを拭いた。
泣いているのをごまかすために眼鏡をかけた。
でも、向かいに座っている2人の子ども連れの母親も、横に座っていた2人の女子大生も珍しそうにこちらを見た。

まあ、いいか、と思った。
本当に泣ける小説だ。
芝居を見て泣くというのではなく、自分の存在について泣ける。

どうして父親はひとりなんだろう。
どうしてすべてがうまくいかないんだろう。
どうして家族は捨てられないんだろう。
どうしてみんな生まれてきたんだろう。

日常考えないようにしていることが次々と湧き出る。
答えとして、「運命」や「家族の純粋な絆」のことを考える。


「嘘をつくのが下手なのは父親に似た」
とレイプ事件で生まれ、血のつながっていない成人した次男に父親が言う。
父親は癌で余命幾ばくもない。
この小説で一番泣けるシーンだ。

この本は、遺伝子と性、兄弟と家族について描かれている。

タイトルの「重力ピエロ」は、ピエロがサーカスの空中ブランコを飛んでいる時、みんな重力を忘れることから付けられている。

こんな難しい素材とテーマが面白いミステリーになるとは...。

重いテーマだのに小説は軽い。

この本が売れていると聞くと、日々の異常なニュースが不思議に思える。
読者は「運命」や「家族の純粋な絆」のことを考えるのだろうか。


今の自分の境遇と切り離しても素晴らしい小説だと思う。

この本に関してはどんな解説も著者のインタビューも読みたくない。
純粋に作品としてこれからも読みたい、と思う。

藤原伊織『テロリストのパラソル』講談社文庫

2009-02-25 01:54:52 | 文学・小説
こういう小説こそ読みたかったのだ、と読み終えたときに思った。

仕事が忙しいので毎晩少しずつ読んでいた。けれど読んでいる日々は何とも憂鬱な気分だった。この小説の持つ時代の重さのようなものが伝染したのだろう。でも夜中に少しずつ読むのが何よりの楽しみだった。

『テロリストのパラソル』をあえてジャンル分けするならミステリー・ハードボイルドなんだと思う。けれどそういうジャンルを超えた力強さを感じる小説だ。全共闘とか赤軍派、『腹腹時計』という爆弾作りの本なんかが売れて、破壊や暴力、テロが一種時代のシンボルになった頃の空気を感じる小説だ。

「われわれが相手にまわしていたのは、もっと巨大なもの、権力やスターリニストを超えたものだって気がしてきたんだ。いわゆる体制の問題じゃない。もちろん、イデオロギーですらない。それはこの世界の悪意なんだ。この世界が存在するための必要な成分でさえある悪意。空気みたいにね。その得体の知れないものは、僕らが何をやろうと無傷で生き残っていくだろう。そこでは自己否定なんて、まるで無力だよ。意味がない。結局、ぼくらがやっていたのは、ゲームだったんじゃないのかな。それもつぶすかつぶされるか、みたいなゲームでもない。最初から、負けはわかっていた。それでも、まあ、やってみよう、そう決心して始めたゲームさ。だけど、世界に不可欠な悪意がぼくらをとりまいていて無傷でいる以上、もう手の打ちようがないんだよ」

小説の中ほどで主人公の友人がいう台詞がこの小説のすべてを語っているように思う。

世界に潜むニヒリズム(虚無主義)。これは時代を超えてウイルスのように伝染するのかもしれない。とくに経済が成長して、社会の価値観が切り裂かれる時に広く伝染し、豊かな社会では常に一定数の感染者がいる。ある時はテロリスト、ある時は左翼過激派、またあるときはカルト宗教団体の形をとって幽霊のように存在する。
麻薬もまた世界を破滅させる爆弾なのだとも思った。
ふだん気が付かないけれど、世の中でじわじわと広がっている悪魔的なものを感じさせる小説だ。

松林博文『自分にかける魔法の言葉』ソフトバンククリエイティブ

2009-02-18 00:33:59 | 文学・小説
ロシアの神秘主義者グルジェフについて書かれた本に線を引きながら読む人って、松林先生以外これからもまず一生出会うことはないだろう。
そういう著者に興味があって読んだ。

これはビジネス書でなくて完全に詩集である。
そうでないと空白の多い紙の使い方がもったいなすぎる。
見開き2ページに数行の日本語とその英文(著者による原書の英訳なのかもしれない)、その言葉を発したあるいは書いた人の名前と職業、生年~没年。
ノンブルがやけに大きく見えるページもある。


目が見えるのに
ビジョンが
見えないなんて..

なんて
かわいそうな
人なんでしょう

ヘレン・ケラー



まるで
明日
死んでしまうみたいに
生きて

まるで
永遠に
生きられるように
学びたい

マハトマ・ガンジー


こういう素直に感動する言葉もたくさんある。


既存の
システムを
破壊したい
という欲求は

新しいものを
創造したい
という欲求
でもあります

ミハイル・バクーニン(ロシアの革命家)


バクーニンなんてどこで出会ったんだろうと不思議に思う。
なにもバクーニンでなくてもシュンペーターでも十分なんじゃないかと思う。
ミシガン大のMBAがバクーニンまでもってくるか?

シュターナー、ユング、アインシュタイン、老子から歌手のエラ・フィッツジェラルドまで古今東西の偉人やそうでもない人からも縦横無尽に言葉が集められている。
この本を読むとロシアの神秘主義者グルジェフに行き着いたのもわかるような気がする。

ほんとに魂を探しているんだろう、と思う。

伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』東京創元社

2009-02-15 20:05:09 | 文学・小説
村上春樹の新しい小説を年末年始に読みたかったのだが、出版されなかったので、代用品を探していた。あるホームページのQ&Aコーナーで誰かが「村上春樹ファンになってから、村上春樹以外の本を読む気がしなくなった。村上春樹の作品を全部読んでしまったので、お勧めの本はないか」というばかげた質問をしていた。これはもしかしたら自分じゃないかと思ったが、世の中には似たような感覚の人がいるものだ。
そのコーナーで誰かが勧めていたのが伊坂光太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』だ。
読んでみるとホントに村上春樹によく似ている。文体も話の展開も。
でもグッときた文章は「助けられる人は助けたい」と感情のなかった麗子さんがいう台詞だけだった。ちょっと村上春樹とは違うような気がした。
私が村上春樹の長編に求めているものは社会の深層心理のような深い気づきなのかもしれない。この作品にはそういうものはないように思う。物語としての面白さ、村上春樹のいうseek&findは満たしているが。

でもこの作品は小説としては完璧なのではないだろうか。文句のつけようがない。あまりに面白くて一気に読んだ。登場人物の個性の描き方も見事だし、ストーリーにも不自然なところが全くない。文体も洗練されている。

しかし村上春樹の作品を求めているなら、村上春樹の作品を何度でも読むべきだったと思う。村上春樹とは違うモノとして読むなら、この作品は実に素晴らしい。

でもこの本をきっかけに村上春樹以外の小説も読んでみたいと思うようになったのは大きな収穫だ。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

2007-12-26 21:31:41 | 文学・小説
日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない。

同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遙かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。

僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。


村上春樹がこの本を書いたのは、ランニングが素晴らしいということを啓蒙するためではないと言っている。けれど走っている者にとっては、村上春樹が書いていることはいちいち納得できる。


腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。


村上春樹はちょっとMっぽい性格かもしれない。
でもランニングはひとりで体を動かすスポーツだ。チームワークも何もない。自分が止めたければそこで止めればいいし、速くまたは遅く走りたければそうすればいい。自分で自分を管理するスポーツなのだ。
自分で自分を管理できるものしか続けられないスポーツなのだ。