あべちゃんの写楽生活

撮ることが楽しいのか、楽しいから撮るのか

映画「マエストロ」を見た。

2015年09月13日 00時35分13秒 | 写真

 

クラシック音楽好きで、バイオリニスト(笑)としては、

見ないわけにはいかないでしょう。

そこで、違和感と皮肉にも懐かしさを覚えた。

「おいおい、映画にいちゃもんつけるなよ。

 そりゃ本物とは違うだろ。だけどそんなことに

 いちいち目くじら立てるなよ。大人げない。」

なんて声が聞こえてきそうですね。

 

そんなことは初めから承知だ。

俳優が楽器の演奏のフリがヘタなのはしかたない。

曲がマーラーの交響曲2番などではなく、超有名なベートーヴェンの

「運命」なのもしかたない。

指揮者が勝手に、楽団の首席奏者をアマチュア奏者に変えてしまうのもしかたない。

が、それを差し引いても、ちゃんと取材したのか?

と思えるような場所がいくつもある。

「ふーん、クラシック音楽ってこうなんだ」

と、思われるのがいささか不本意な感じである。

 

物語は解散した名門オーケストラの再結成の話しで、

西田敏行氏扮する謎の名(迷)指揮者と残った落ちこぼれ

団員とのふれあいの物語である。

 

まず最初に名門オーケストラは解散しない(笑)。

なぜなら国の宝であるからだ。

ウィーンしかり、ベルリンしかり。

周りが大切に保存、維持しているのである。

文化財と同じだと考えてもらいたい。

 

最初に、皮肉にも懐かしくなった、と書いたが、

映画で描かれている練習風景などは、我々アマチュアの

練習風景なのだ。

団員同士の会話やしぐさがアマチュアまる出しだ。

プロはそんなことはしないぞ。

夢を壊すようだが、クラシック音楽の世界は実にシステマティックだ。

「スポ根」ドラマのようにはいかない。

ピッチが高いだの低いだの、弾く弦が違うだのとかはアマチュアの会話だ。

プロの楽団でそんな話しをしたら、

「俺たちをバカにしているのか」

となってしまうよ。

プロのオーケストラでの指揮者と楽団員との会話は、

ほとんど曲やそのフレーズの解釈である。

技術的な会話などは全くしない。

イヤ、する必要がないのだ。一流のプロだから。

指揮者のたとえようのない難しい解釈を具体的に

どのように音にするかが、その楽団員の力量なのだ。

それを「才能」と言い換えても良いかもしれない。

指揮者はプロのオーケストラに向かって、「強く」だの「速く」

などという優しい要求はしないぞ。

「早朝の霧がかかった木立に、優しく吹く秋風のように」

とか言われるんだぞ。

指揮者とその情景を共有し、それを楽器で表現する、ということは

もう技術云々のレベルではない。

その人の才能なのである。

ある程度の技術レベルまでは練習で習得できるが、それ以上は

その「才能」の違いなのである。

それって音楽だけじゃないよね。

 

また、クラシック音楽には政治や医者と同じように学閥が存在する。

名門オーケストラの客員・常任指揮者になるには、一流音楽大学

を卒業し、一流の指揮者に師事しなければなれない。

「超」が付くほど一流になれば引く手あまただが、「一流」くらいだと、

大学の先輩の指揮者あたりに引っ張ってもらわないと、

なかなかなれるポストではないのだ。

西田敏行氏扮する謎の人物が指揮をする、などというのはありえない。

どんなに有名になっても音楽大学を出ていないと、先生をしたときの

月謝が一桁安い。

それほどきびしい世界だ。

特に日本はその傾向が強いとされる。

 

次に、よく、指揮者の指揮をしている顔が映されることがあるが、

あれは観客が知らなくても良い情報だ。

実際、後ろを向いていて表情はわからない。

あくまでもあれはテレビ、映画向けの映像なのだ。

リップサービスならぬフェイスサービスだ。

その場で良い音楽をつくる、というガチンコの勝負ではないのだ。

すでにリハーサルで音楽はできあがっている。

あんな表情やしぐさをしなくても、ポーカーフェイスでもいいのだ。

指揮指導は佐渡さんか・・・なるほどね。

あの人も「題名のない音楽会」の映像に毒されてるね。

 

「いつもリハーサルと同じでは、つまんないじゃん」

完璧に仕上がったものを全く同じに演奏することが

どんなに難しいか、やってみればわかる。

客はハプニングやアドリブを求めているのではないのだ。

自分たちが毎日同じ曲を演奏しても、毎日客は違う。

その人たちすべてを平等に満足させなければならないのだ。

 

どうも「のだめ~」もそうだが、クラシックの世界は独特で、

「ちょっとその世界を覗かせてあげるよ」的な発想が多そうな気がする。

実際はそんなことはない。

きわめてドライで事務的だ。

「音楽にかける情熱・魂?それでいい音楽になるのか?」

「努力?結果を出せよ」

「結局、才能のないヤツは努力しても、ある程度以上は伸びないよね」

こんな世界だ。

モーツアルトは人間としてはクズだったが、曲は傑作ばかりだ。

楽譜の手直しの跡がほとんどないという。

書く段階で、すでに頭の中で完成していたんだね。

天才だからいいんだよ。

いい曲さえ書いてもらえれば。

だって作曲家なんだからさ。

作曲家は人格者じゃなくてはならないという理由はないだろう。

クズは土に帰るが曲は永遠に残る・・・最高じゃん。

 

総評として、この映画は何を言いたかったのかわからない。

楽団員の友情?指揮者とのふれあい?

そもそもプロのオーケストラと指揮者のふれあいなどない。

あるのは、才能をリスペクトし信頼すること。

その世界観を共有し、自分の音楽の世界とオーケストラの

可能性を広げることだ。

才能のぶつかり合いにスポ根ドラマのはいる余地はない。

そもそもプロのオーケストラという設定に無理があったと思う。

アマチュアのオーケストラなら、なくもない話しだね。

 

おまけ

 

なんでラストシーンの演奏会でオペラハウスが満席になるかね。

そんなに支持されてるなら、そもそも解散なんてしないだろ。

まぁ、これはちょっと無粋でしたね。すみません。

うん?後ろのその他大勢の楽団員の手つきが・・・うまい。

エンドロールを見て納得。

プロも混ざっていたのね。

べつに生音を聞かせるわけでもないのにプロが必要か?

アマチュアの楽団とすれば、ベストのキャスティング。

いるんだよ、濱田マリのようなおばちゃんや斎藤暁のようなおっちゃんが。

 

ヒロインのアマチュアフルート奏者が仲間になる時点で、

俺たちみたいなヤツから突っ込まれるのがイヤなのか、

松坂君に、

「プロのオーケストラの入団にはオーディションがあり、

 我々団員みんながが認めた場合以外入団は・・・・」

というセリフを言わせているね。

たしかに、そうだよ。

でも、そんなこと言い始まったらヘンな所、いっぱいあるぞ。

 

2015/07/03 松竹発売 DVD「マエストロ」より

バイオリンのようなデリケートで高価な楽器をプロがホーム(屋外)で

演奏するということはありえない・・・と一応突っ込んでおく。

やったことあるが(屋外)、がっかりするほど響かないぞ。

 

コメント
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