杉本博司氏のみつめる先は、いつも壮大な世界歴史の大河にあって、
西洋と東洋の美学を手に入れ、手元のこまやかな拘りをあちこちにふりまきつつ、
わかる人だけの愉悦、
解釈の諧謔の先に美を見つけられるか、
そんな高度な視点にリスペクトを捧げつつ、
とうてい追いつけるわけもないのに振り回されつづけています。
今回は、うつけの頂上に君臨する信長の全盛時代、日本にやってきた宣教師たちの布教奮闘の最中、
選ばれた4人の少年たち、天正少年使節団がローマ教皇能本に派遣された行程を
杉本博司氏がはからずも追って写真作品となったことで
2017年ニューヨーク、ジャパンソサエティで開催されたそうで、
その出品作品が熱海MOA美術館で初公開されました。
杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ
信長とクアトロ・ラガッツイ 桃山の夢と幻
写真家としての杉本氏が2015年の春、劇場撮影のため、ヨーロッパを巡り
オペラ劇場、テアトロ・オリンピコを訪問した際、
偶然に天正少年遣欧使節の4人のフレスコ画に対面し、
それから彼らの足跡を辿ることとなったと、杉本氏の言葉が掲げてありました。
何がきっかけで心にざわざわとすることが訪れるかわかりません。
杉本氏がたまたま撮影してきた場所が少年使節がみてきたものと被っていたことは
展覧会フライヤー解説にあるように、スピリチュアルな出会いだったことだろうと
想像します。そして、彼らが辿った足跡を意図的に尋ねて撮影を続け、
今回の展覧会となったとのことです。
会場内には、信長の手に落ちた大名物の大御所名茶器、がこともなげに鎮座して待ち受けていました。
まずは
「南蛮渡来図」を見ることで鑑賞者の目を安土桃山にタイムスリップさせてくれます。
信長の肖像画に頭を垂れつつ、おおよその人相がつかめます。
伝牧谿 「叭々鳥図」
五島美のもの、MOAのもの2作が並びました。こんな事は滅多にないのでは?
大友宗麟書状 天正少年伊東マンショは彼の名代となって遣欧したのでした。
柴田勝家が信長より渡った 青井戸茶碗 銘柴田
利休のよき理解者の1人、津田宗及の 大井戸茶碗 銘宗及 (そうぎゅう)
唐物茄子茶入 付藻茄子 大名物と
唐物肩衝茶入 勢高 大名物 の並び!
そして、
大名物の唐物茶壺 銘 松花と 銘 金花が堂々と並び壮観でした。
信長の金花を手に入れたという「信長記」も展示されました。
戦国の殿様たちが名器をステータスとしていた狂気のころ、
このような茶器が信長の目を通して武士の間をありがたく動いていたのです。
京都博物館からは
瀟湘八景図の「遠浦帰帆図」伝牧谿
頂上の茶器とはこのようなものをいうのだという選び抜かれた大名物の次は
狩野永徳の個展ブース。
最近発見されたという
「洛外名所遊楽図屏風」
原三渓旧蔵品で所在不明だった「松に叭々鳥・柳に白鷺図屏風」
可憐な「花鳥図押絵貼図屏風」
信長の安土桃山城を手がけた永徳、働き過ぎの時、渾身の活動が彼の命を短くしてしまうのです。
そして、日本にもたらされた当時の世界地図が現れます。
イエズス会画派系の「世界図屏風」
ほぼほぼ今の世界の位置が描かれ、世界の中心がローマ、であることもわかりやすく
日本も北海道を認知されてはいなかったようだが、だいたいの形を描いていることに
驚かされます。どうやって、陸の形を捕らえることが出来たのだろうと、ため息です。
「世界の舞台」
タルタリア図、アジア図。
これらを初めて見た信長はじめ日本の武将たちの驚愕の視線がビリビリ伝わるのです。
日本、こんなところにあるのか、世界はこんなにも広いのか、と愕然としたことでしょう。
階下に移動すると、そこから杉本博司作品が大画面モノクロで迫ってきます。
見慣れたはずの海景シリーズ、リグリア海が天正少年達の旅先の海だと知らせてくれます。
とはいえ、異境の地、ここはどこなのかわからないという、不安の暗澹が
海一面に立ちこめているように見えてきました。
シエナ大聖堂、フィレンツェ大聖堂、ピエタ、ミケランジェロ、
ピサの斜塔、サンタ・マリア・デル・ジョッリョ教会、
サン・ジョバンニ洗礼堂、
螺旋階段Ⅱ
人気のない大画面のモノクロ写真が静寂と時空を目の前に突き出されてくるのは
恐怖に近い、その建物に対する理解がないことと、その佇まいを共有する文化を
持っていないことの違和感と、このようなもの凄い圧力のあるものを作り出した
この地の誰かがいるということへの畏怖がどっと押し寄せてくるのでした。
それは、かつて私が初めてローマ、フィレンツェに旅した時に感じた
自分が日本文化の中でしか生きていないことを実感し、
あまりにも違う文化と怖ろしいほどに大規模な大聖堂に息をのむしかなかったことと
リンクしたのかも知れません。
私がここに入って本当に許されるのか、異教徒でもいいのか、そもそも宗教を持たない自分の立場に戸惑いながらも、呆れるほど遠く高い
天井を見上げた、その時がフラッシュバックされるのでした。
そして、天正少年使節団が見てきたものの資料が展示されます。
フェリペ2世像、
あぁスペインの王家の顎に特徴のある独特な顔立ち、
彼らは本当にあの王様の宣誓式に参列してきたのでしょうか。
聖母子像、日本にキリスト教をもたらした、ザビエル像も一段と異彩を放っています。
そして、天正少年たちの肖像画、伊東マンショ、などの具体的な
資料も展示されました。
黄金の十字架は今も尚黄金色に輝いていてかつ繊細な網目のような透かしがあって、
これが島原・天草一揆の主戦場だった原城の本丸跡に埋まっていたものとは
思えないのでした。
2016年に東京国立博物館で
伊東マンショの肖像画が日本初公開されました。
その時にみた彼の面差しを思い起こします。
彼の肖像は少年使節4人をヴェネティア訪問した時に
ヤコポ・ティントレットに発注し、息子のドメニコ・ティントレットが完成させたとのこと。
若きマンショの視線の先にはティントレット親子がいたのでしょうか。
当時流行したといわれる襞襟をつけ、帽子を被ってこちらを見つめている、マンショ。
何を感じ取っていたのでしょう。
ぼけてしまいましたが、東博ニュースより見つけた伊東マンショ肖像です。
最後の展示室には
杉本博司氏のとらえた、フィレンツェの洗礼堂、いまは、博物館に展示されているという、
「天国の門」01〜10
そして、この展覧は太陽の賛歌 で展示が終わります。
会場を出る扉が開くと、杉本氏の
「月下紅白梅図」が出迎えてくれるという、スペシャルなおまけです。
訪問した10月27日は能舞台の公演が予定されていました。
ぜひにも鑑賞したかったのですが、
限られた時間で展覧会鑑賞の時間確保を優先しました。
庭園や、お抹茶の休憩などをして館内にもどると、
お能、「新作能 天正少年使節」の終演の人々が出てきました。
その中に、行きの新幹線で見かけたマダムたちを発見しました。
やはり、素敵な方々は目立ちます、さすがだと嬉しく思ったのでした。
いずれ、私もあのような素敵マダムを目指したいものです。
庭園の写真などあげます。
後日、私の初フィレンツェに行ったときの写真にこの場所が出てきて驚きました。
私が1986年2月に訪問した時の写真を白黒に変化させた3枚です。
なんと、彼ら、天正少年使節がローマに向かったその年から400年後のことではないですか!
その偶然にひとり盛り上がっているところです。
必然として、この展覧会の図録をAmazonで手に入れました。
追っかけ、若桑みどりさんの著書
「天正少年使節と世界帝国 クアトロ・ラガッツイ」集英社文庫
に飛びつくのですが、
まぁこの難しいこと、登場人物相関をメモしながら苦戦しているところです。
それでも、この桃山時代の世界のうずまきの激しい事といったら
いちいち仰天することだらけです。
クラ−ナッハが描いた宗教改革のルターが撒いた火種から
トレント宗教会議、宗教戦争勃発、大航海時代、
貴族出身だった超エリートたちがなぜ日本に布教することとなったのか。
茶人たちとの関わり
利休のまわりに妻、子をはじめ、キリシタン大名が集まっていること、
茶室、茶器に隠れる暗号。
それにしても、13、14歳のまだ幼さが消えきらない少年たちに
なんという宿命を負わせたことか、とことの残酷さに
胸騒ぎが収まらないのです。
遠藤周作の「沈黙」から、スコセッシ監督の映画「沈黙」そして、
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産登録され、
あちこちでキリシタンの資料の展示が続けられています。
現在も東博で「キリシタンの遺品」が12/2まで展示されています。
板踏絵の摩滅の悲しいこと、すがる思いだったマリアの像、など、
胸が痛くなります。
こうして私の中で桃山時代の戦乱にあって世界の混乱とイエズス会の活動が
ぐるぐるとうずまき続けています。
この展覧は終了し、今後、長崎へ巡回するそうです。
長崎、縁ある土地でどのような反響が得られることでしょう。
沢山の方に鑑賞して頂きたいと願っています。