加山又造は、盟友、賢兄、横山操と様々あったことを
日曜日のNHK放映、新日曜美術館で知った。
横山といえば、松岡正剛氏の「山水思想」の冒頭で
横山操は「日本絵画の将来はどうなるんだ」
といって死んでいった。
と横山をガツンと紹介する。
また、横山の死5年前に加山又造と「二人展」をやっている。
その横山操は病床で
「日本の水墨画を完成させないで死ぬのは
無念だ。ぼくはもう一度、雪舟から等伯への
道程をたどってみたかった」
と加山に告げていたという。(「山水思想」松岡正剛より)
その言葉はきっと加山又造のどこかに沈んでいたのではないだろうか。
そんな気がしていた。
壮大なテーマ。
もう一度雪舟から等伯を、ということは、
どういうことなのか。
壮大なテーマではあるけれど、
日本画家とは日本画を描く人のことだ。
日本画とはなにか?
その加山又造の展覧会が、3月2日まで
六本木の国立新美術館で開催中だ。
ギリギリ間に合ったのだが、
都会の喧噪をハラハラと花びらのように舞い降る雪が包み込み、
日本画を目指した人の絵を見るうってつけの日、
そのように思えた。
京都で生まれ、西陣の衣装図案家の息子として生まれた
という境遇もさることながら、
昭和激動のアメリカナイズされてきた時代の中で、
よくぞ日本を捨てずにひたすら日本と向き合って
描き続けてきたものだと、会場内の大画面の渦の中
目眩を起こしそうになった。
あんまり見入りすぎると
気持ちが変になりそうだった。
桜の花びら一枚一枚にも気を許していない。
水墨画の徹底した白と墨色のせめぎ合い。
厳しい世界だ。
詩情と感情と自然の命を、
きりきりするエモーショナルな技巧の上に立つ、遊び心。
五木寛之が新日曜美術館の番組で語っていた、
綺麗なものを綺麗に軽く描く、ことのすごさ。
軽く、という意味がよくわからない。
加山の絵から、油断も隙もありゃしない。
というキリキリ舞を覚えるのだ。
宗達、光琳、雪舟、そういった日本美術の底流が脈々と流れ、
近くは速水御舟の情念と丹念を彷彿とさせる。
日本画とは、
様式美の中に昇華させた詩情、情念を歌にする。
見る側の人々に一体感の想像を体験する余白、宇宙。
そんなことを思った。
綺麗なものを綺麗に描く。
そのサディスティックなまでの追求。
縄縛りな美。
残像を胸に、
六本木に降り続ける雪をカフェで飽きるほど
眺めてきた。
日曜日のNHK放映、新日曜美術館で知った。
横山といえば、松岡正剛氏の「山水思想」の冒頭で
横山操は「日本絵画の将来はどうなるんだ」
といって死んでいった。
と横山をガツンと紹介する。
また、横山の死5年前に加山又造と「二人展」をやっている。
その横山操は病床で
「日本の水墨画を完成させないで死ぬのは
無念だ。ぼくはもう一度、雪舟から等伯への
道程をたどってみたかった」
と加山に告げていたという。(「山水思想」松岡正剛より)
その言葉はきっと加山又造のどこかに沈んでいたのではないだろうか。
そんな気がしていた。
壮大なテーマ。
もう一度雪舟から等伯を、ということは、
どういうことなのか。
壮大なテーマではあるけれど、
日本画家とは日本画を描く人のことだ。
日本画とはなにか?
その加山又造の展覧会が、3月2日まで
六本木の国立新美術館で開催中だ。
ギリギリ間に合ったのだが、
都会の喧噪をハラハラと花びらのように舞い降る雪が包み込み、
日本画を目指した人の絵を見るうってつけの日、
そのように思えた。
京都で生まれ、西陣の衣装図案家の息子として生まれた
という境遇もさることながら、
昭和激動のアメリカナイズされてきた時代の中で、
よくぞ日本を捨てずにひたすら日本と向き合って
描き続けてきたものだと、会場内の大画面の渦の中
目眩を起こしそうになった。
あんまり見入りすぎると
気持ちが変になりそうだった。
桜の花びら一枚一枚にも気を許していない。
水墨画の徹底した白と墨色のせめぎ合い。
厳しい世界だ。
詩情と感情と自然の命を、
きりきりするエモーショナルな技巧の上に立つ、遊び心。
五木寛之が新日曜美術館の番組で語っていた、
綺麗なものを綺麗に軽く描く、ことのすごさ。
軽く、という意味がよくわからない。
加山の絵から、油断も隙もありゃしない。
というキリキリ舞を覚えるのだ。
宗達、光琳、雪舟、そういった日本美術の底流が脈々と流れ、
近くは速水御舟の情念と丹念を彷彿とさせる。
日本画とは、
様式美の中に昇華させた詩情、情念を歌にする。
見る側の人々に一体感の想像を体験する余白、宇宙。
そんなことを思った。
綺麗なものを綺麗に描く。
そのサディスティックなまでの追求。
縄縛りな美。
残像を胸に、
六本木に降り続ける雪をカフェで飽きるほど
眺めてきた。
いつもご覧下さって、ありがとうございます!
チトさんのところにはお邪魔しているのですが、コメントせずで、お許しを。
最近、ちょっとなんだかバタバタしていまして・・・
今回の加山又造は、とてもタイミング良く
深まる情報が目にとまったので、
いい勉強させてもらいました。
美しい姿は、厳しさも兼ねていることビシビシきました。感動です。
明日は20度に上がるそうです。
桜もソワソワしていることでしょう。
阿修羅も上野にお出ましですからね~♪
いつも楽しみに拝見させていただいております。
加山又造、私は深く考えることができず「きれいだな~、いいな、いいな」で通り過ぎてしまったようでした。それが不服でもありましたが、今の自分にとってはそうだったのかなと。
あべまつさんの記事を拝見して、改めてその作品を鑑賞したような気がしました。すごく衝撃的でした。
だいぶ春めいてきて、お外に出たくなる季節ですね。いろいろとご覧になったものをまた教えてくださいませ♪
一人の作家の作品をたどることができる
個展は、その作家の歴史をたどることにも繋がりますね。
サントリーのビオンボ展でみた「日月山水図屏風」が命を吹き返したと思ったのでした!
できました。
あの動物の絵と琳派的装飾画が、やっとリンク
しました。
今年のベスト10に残る展覧会でした。
私も前期、後期行きたかったです!!
近美にポッと出ているときとは違って、
とても晴れやかに、嬉しそうに輝いていました。作家の企画展はその人の人生ともお付き合いすることになるので、楽しみもまた深まります。
琳派好きにはたまらない世界ですね。
遊行さんがかなり前からお好きだったら、さぞ幸福感に満たされたでしょう。
綺麗が綺麗って、痛々しいとも思えたのでした。役者の佇まいが美しいのは、鍛錬があるからと似ているのかもしれません。
しばられている情熱がひしひし伝わってきた気がしたのです。それが、「見せようとしなかった強さ」に繋がるのかしら・・と。
こちらからもTBありがとうございます。
後期展示に行って来ました。
一緒に行ったかみさんも
最初から最後までやられっぱなしでした。
加山の圧倒的なパワーに。
TBありがとうございました。
又造さんは本当に好きな画家でしたから、かなり喜んで眺めて廻りました。
五木さんのTVは帰宅後に見ましたが、「綺麗なものを綺麗に軽く描く、ことのすごさ」という言葉を聞いて、強く同意してました。
展覧会を見ながらリストの端に「キレイ、ただキレイであることが圧す」とかそんな風にわたしも書いてました。
綺麗であること、それを通したのはやはり強いと思います。
そのくせその強さを表に見せない。
でも、あべまつさんはその又造さんが見せようとしなかった強さを「見てしまった」のではないかと勝手に想像しております。
昨日は私の通院日だったので、否応もなく外出したので、真っ直ぐ帰らずに六本木まで長い足を伸ばしたのでした。
行って良かったです。
縁は縁を呼ぶものだと感じました。
横山→加山→等伯→雪舟・・・
日本人は、自然を深く尊敬し、虚無感を美に昇華し、そのはかなさを死生観に繋げて愛しているのだと思いました。
今日はほんとに寒かったですね。でも
あべまつさんの情熱に、さすが と思い
ました。TBありがとうございます。
この展覧会で山水思想に、であったのには
びっくり、横山操とともに厳しい人だった、
ただ好きだったというのが、こういう形で
結びつくのは、怖いような思いです。
それにしても、綺麗な、あやしいまでの
美しさ、でも最後は山水画の世界、
見ていると心がふるえます。