都美のスペースが今ひとつなじまない私にとって、
どんな展示となっているのか、
今回のエジプト展もそんな危惧を持っていたのだが、
場内に入って、それはすぐにふっとんだ。
予想を遙かに超えて、
ものすごく美的にすばらしい表現方法で
ミステリーゾーンへ誘ってくれた。
これこそが鑑賞者への最上のサービス。
そこここに展示への工夫が見られた。
一方、横浜の展覧会はともかく超大で、スケールが巨大だった。
大きさというものへのあこがれが実感できた。
よくも海底から発見し、無事引き上げられ、
その超大で重量もかけ離れたものが
よくぞ海を渡ってきてくれたものだと。
ここ上野の方は、横浜よりスペースがぐっと狭まったが、
鏡の効果抜群で、エジプトの神のマークが
磨りガラス風にワンポイント貼ってあったり、
鏡に映り込む景色も計算されていて、
当然ライティングも白々とせずにダウンライトで美しい。
洞窟の中にいる錯覚を覚える。
どうやって運ばれてきたのか、
ドキュメント映画で見てみたいものだ。
彫像達は無言で重々しく荘厳されている。
彫像ではなく、王、神の姿として奉られている。
エジプト王権の歴史、その資料が
墓荒らしの歴史のようで落ち着かない気もするが、
ツタンカーメンの存在、
ミイラに寄せる復活の願い、
王者への道のりと悲劇、
下々の敬虔な物腰、
動物たちも神に仕え共に生きていた、
死者達への変わらぬつながり、
そんなことが感じられ、実に深々とした展覧会だった。
図録もすばらしいできだった。
写真はそのものから、美しいとは何かを
教えてくれている。
とはいっても、荷物の重量を考えて、求めなかったのだが。
エジプトの王家はみな美しい人々ばかりだったことが
大感動だった。
美しいということは、まばゆい力となり、
人々を虜にし、嫉妬を生み、戦いの心を生む。
その血の継承は残酷な悲劇の血の戦いを
招いてしまったのではないだろうか。
うっとりする彫像達、お気に入りをあげる。
*神格化されたイアフメス・ネフェルトイリ王妃の小像
何というバランスのとれた姿態、あこがれの8頭身。
*アメン神とツタンカーメン王の像
今回の玉座、とも言うべき存在。
アメン神の肩越しに手を添えるツタンカーメンの手。
従わせる、堂々と座るアメン神
鼻がかけているのがなぜかマイケルを思い出した。
このツタンカーメンは、多神教からアメン神一神教へと宗教改革を起こした
父アクエンアテン王の後をついで若くして王位を継いだ。
即位当時はアメン神一神教を信仰したが、
後に多神教を取り戻した。
その宗教改革の歴史から存在を歴史から抹殺された
悲劇が生まれたのだろう。門外不出の初上陸。
*ライオン頭のセクメト女神座像
実に美しい、ライオン頭を持つ女性の彫像。
エロスの神、とでも言うべきか。
石のつるりとした質感と表現すべき姿が一致した
神々しい姿。
*カメムウアセト王子の石棺の蓋
見上げるほど大きな頭部。
異常に盛りあげられた頭部。
悲劇を予感しているような表情。
乾燥したもろい砂のような質感。
*イビの石製人型棺の蓋
今回一番の美しい顔と判断。
微笑みをたたえ、利発な品格を帯び、威厳も備え
王としての立場をしっかり受け止めて仕事をしそうな
美しい顔。
これで棺の蓋なのだから、私はこれで安心して黄泉へ旅立てる。
そういう妄想で幸せになれる。
横を見ると、髭のあたりに3こ、手のあたりに大きめな穴が
あけられて、多分ここから棒などを差し込んで
蓋を閉めたのだと想像した。
これを拝めたので、大満足。
*青銅製の猫の小像
猫の彫像は世の中にたくさんあっても、
こんなに気品溢れる猫にお目に掛かったことがない。
足の付け根の盛り上がり、凛とした背中が厳しい。
華奢な顔を支える首は心強く、
前足には長いしっぽが絡む。
耳には耳輪があり、
首にはゴージャスなネックレスが見える。
一点連れて帰るのは、これだ。
*オリシス神の礼拝所を捧げる男性像
頭部はかけているのに、跪き捧げる手は力強く、
踏ん張る足の指は5本しっかり開き体重を支えている。
こんな表現を紀元前にできてしまっているのだから、
人間の技術はすでに頂点までいってしまったのだと思った。
*ハヤブサの小像
*トキの小像
*ジャッカルの小像
これらは3体で一つ、彼らも神様の仕事をしたのだ。
東博の東洋館にも大きなトキがいたはずだ。
*死者の書
死んだ後に罪をしなかったという告白書のような
手紙のようなもの。
決して乳を与えなかったということはしませんでした。
分銅を間違えたりしませんでした。
そんなことを書き連ねて旅立つのか。
パピルスという発音と紙の原初であることが今でも
なんかときめく。
*ホルスの4人の息子達の小像
この4人で、死者の肝臓やらを担当して
乾燥した後は用が無くなったとか。
凄い話ではあるけれど、
息子達の仕事として、励むしかなかったのだろう。
*ガラス象嵌細工をした木製パネル
イタリアの象嵌細工のおみやげ品などを思い出すけれど、
こんな時代から、はめ込む技術が発展してきたのだ。
小さいながらもかわいい仕上がり。
*ハルワの棺とミイラ
ミイラが収まる棺とセットで上下に棺、その間にミイラが
ケースに入っての展示。
なんか凄いことをしているようだった。
棺の裏蓋にも人型の色が付けられ、
実際に棺の蓋を開け、
ぐるぐる巻きにされたミイラを発見した人がいるのだから、
いいんだか、恐ろしいんだか。
*護符のついた首飾り
装飾品もすてきなものがあった。
中でもこれが一番のお気に入り。
珊瑚のような色使い。
ビーズで作って見ようという気になった。
*葬送用模型型船
40人ぐらいの人々が船で棺を運び出す。
黄泉の旅立ちに人々は乗船するだけで
船をこぐ力はいらなさそう。
道連れ、なのか、一緒に運んでいるだけなのか。
たくさんの人がいるだけで、それだけで安心だ。
ほかにもいろいろ楽しめたが、
固有名詞が難しく、発音しにくいし、
説明も今ひとつ体で理解できない。
インディ・ジョーンズ博士みたいな人がそばで講義してくれない限り、
理解は深まらないけれど、
それでも残された形がこれだけインパクトがあるのだから、
エジプトの凄さは世界中であこがれの的になるのは
仕方のないことだろうと納得。
壮大な展覧会サイトはこちら
行ったときは夏休み終盤で、子供達もたくさん訪れていて、
これから、夏休み宿題追い込み!そんな感じもあった。
家族で見るエジプト、そんな様子もほほえましい。
愚息ボーイは25日から登校。
とんでもないテキトー宿題をやらかしているようだったが。
会期は10月4日まで。
ぜひ一度、滅多にない都美術館のすばらしい展覧会場に
足を向けてみてください。おすすめです!
どんな展示となっているのか、
今回のエジプト展もそんな危惧を持っていたのだが、
場内に入って、それはすぐにふっとんだ。
予想を遙かに超えて、
ものすごく美的にすばらしい表現方法で
ミステリーゾーンへ誘ってくれた。
これこそが鑑賞者への最上のサービス。
そこここに展示への工夫が見られた。
一方、横浜の展覧会はともかく超大で、スケールが巨大だった。
大きさというものへのあこがれが実感できた。
よくも海底から発見し、無事引き上げられ、
その超大で重量もかけ離れたものが
よくぞ海を渡ってきてくれたものだと。
ここ上野の方は、横浜よりスペースがぐっと狭まったが、
鏡の効果抜群で、エジプトの神のマークが
磨りガラス風にワンポイント貼ってあったり、
鏡に映り込む景色も計算されていて、
当然ライティングも白々とせずにダウンライトで美しい。
洞窟の中にいる錯覚を覚える。
どうやって運ばれてきたのか、
ドキュメント映画で見てみたいものだ。
彫像達は無言で重々しく荘厳されている。
彫像ではなく、王、神の姿として奉られている。
エジプト王権の歴史、その資料が
墓荒らしの歴史のようで落ち着かない気もするが、
ツタンカーメンの存在、
ミイラに寄せる復活の願い、
王者への道のりと悲劇、
下々の敬虔な物腰、
動物たちも神に仕え共に生きていた、
死者達への変わらぬつながり、
そんなことが感じられ、実に深々とした展覧会だった。
図録もすばらしいできだった。
写真はそのものから、美しいとは何かを
教えてくれている。
とはいっても、荷物の重量を考えて、求めなかったのだが。
エジプトの王家はみな美しい人々ばかりだったことが
大感動だった。
美しいということは、まばゆい力となり、
人々を虜にし、嫉妬を生み、戦いの心を生む。
その血の継承は残酷な悲劇の血の戦いを
招いてしまったのではないだろうか。
うっとりする彫像達、お気に入りをあげる。
*神格化されたイアフメス・ネフェルトイリ王妃の小像
何というバランスのとれた姿態、あこがれの8頭身。
*アメン神とツタンカーメン王の像
今回の玉座、とも言うべき存在。
アメン神の肩越しに手を添えるツタンカーメンの手。
従わせる、堂々と座るアメン神
鼻がかけているのがなぜかマイケルを思い出した。
このツタンカーメンは、多神教からアメン神一神教へと宗教改革を起こした
父アクエンアテン王の後をついで若くして王位を継いだ。
即位当時はアメン神一神教を信仰したが、
後に多神教を取り戻した。
その宗教改革の歴史から存在を歴史から抹殺された
悲劇が生まれたのだろう。門外不出の初上陸。
*ライオン頭のセクメト女神座像
実に美しい、ライオン頭を持つ女性の彫像。
エロスの神、とでも言うべきか。
石のつるりとした質感と表現すべき姿が一致した
神々しい姿。
*カメムウアセト王子の石棺の蓋
見上げるほど大きな頭部。
異常に盛りあげられた頭部。
悲劇を予感しているような表情。
乾燥したもろい砂のような質感。
*イビの石製人型棺の蓋
今回一番の美しい顔と判断。
微笑みをたたえ、利発な品格を帯び、威厳も備え
王としての立場をしっかり受け止めて仕事をしそうな
美しい顔。
これで棺の蓋なのだから、私はこれで安心して黄泉へ旅立てる。
そういう妄想で幸せになれる。
横を見ると、髭のあたりに3こ、手のあたりに大きめな穴が
あけられて、多分ここから棒などを差し込んで
蓋を閉めたのだと想像した。
これを拝めたので、大満足。
*青銅製の猫の小像
猫の彫像は世の中にたくさんあっても、
こんなに気品溢れる猫にお目に掛かったことがない。
足の付け根の盛り上がり、凛とした背中が厳しい。
華奢な顔を支える首は心強く、
前足には長いしっぽが絡む。
耳には耳輪があり、
首にはゴージャスなネックレスが見える。
一点連れて帰るのは、これだ。
*オリシス神の礼拝所を捧げる男性像
頭部はかけているのに、跪き捧げる手は力強く、
踏ん張る足の指は5本しっかり開き体重を支えている。
こんな表現を紀元前にできてしまっているのだから、
人間の技術はすでに頂点までいってしまったのだと思った。
*ハヤブサの小像
*トキの小像
*ジャッカルの小像
これらは3体で一つ、彼らも神様の仕事をしたのだ。
東博の東洋館にも大きなトキがいたはずだ。
*死者の書
死んだ後に罪をしなかったという告白書のような
手紙のようなもの。
決して乳を与えなかったということはしませんでした。
分銅を間違えたりしませんでした。
そんなことを書き連ねて旅立つのか。
パピルスという発音と紙の原初であることが今でも
なんかときめく。
*ホルスの4人の息子達の小像
この4人で、死者の肝臓やらを担当して
乾燥した後は用が無くなったとか。
凄い話ではあるけれど、
息子達の仕事として、励むしかなかったのだろう。
*ガラス象嵌細工をした木製パネル
イタリアの象嵌細工のおみやげ品などを思い出すけれど、
こんな時代から、はめ込む技術が発展してきたのだ。
小さいながらもかわいい仕上がり。
*ハルワの棺とミイラ
ミイラが収まる棺とセットで上下に棺、その間にミイラが
ケースに入っての展示。
なんか凄いことをしているようだった。
棺の裏蓋にも人型の色が付けられ、
実際に棺の蓋を開け、
ぐるぐる巻きにされたミイラを発見した人がいるのだから、
いいんだか、恐ろしいんだか。
*護符のついた首飾り
装飾品もすてきなものがあった。
中でもこれが一番のお気に入り。
珊瑚のような色使い。
ビーズで作って見ようという気になった。
*葬送用模型型船
40人ぐらいの人々が船で棺を運び出す。
黄泉の旅立ちに人々は乗船するだけで
船をこぐ力はいらなさそう。
道連れ、なのか、一緒に運んでいるだけなのか。
たくさんの人がいるだけで、それだけで安心だ。
ほかにもいろいろ楽しめたが、
固有名詞が難しく、発音しにくいし、
説明も今ひとつ体で理解できない。
インディ・ジョーンズ博士みたいな人がそばで講義してくれない限り、
理解は深まらないけれど、
それでも残された形がこれだけインパクトがあるのだから、
エジプトの凄さは世界中であこがれの的になるのは
仕方のないことだろうと納得。
壮大な展覧会サイトはこちら
行ったときは夏休み終盤で、子供達もたくさん訪れていて、
これから、夏休み宿題追い込み!そんな感じもあった。
家族で見るエジプト、そんな様子もほほえましい。
愚息ボーイは25日から登校。
とんでもないテキトー宿題をやらかしているようだったが。
会期は10月4日まで。
ぜひ一度、滅多にない都美術館のすばらしい展覧会場に
足を向けてみてください。おすすめです!
展覧会の展示にどのくらい力を注いだかが
展覧会の成功に繋がると実感したのでした。
美しかったです。
エジプトの人は美形だったんだなぁ。
それだけでも罪深い。
チョコも大人美味でした!
ミステリーゾーンとはまさにこのことですね。
私も一瞬ここが都美かと我が目を疑いました。
それに負けないくらいの素晴らしい作品の数々。
エジプト人の鳥好きには好感持てます!!
子連れで楽しめる展覧でも、やっぱり自分ペースでは絶対無理!ですからねぇ。
夏休みお疲れ様です。
ママ友達はみんなへとへとになってました。
是非ご自身へご褒美鑑賞なさってください。
芸新、買いましたよ♪
わかりやすそうで、これからじっくり見ます。
今月の「芸術新潮」もエジプト特集なので、要チェックです。