あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

10月 あれこれ

2012-11-05 13:26:14 | つらつら思うこと
 
 10月、とても慌ただしいひとつきだった。

 旧友が足の骨の手術をするために拙宅に近い病院に入院した。
 何故わざわざそこの病院なのか?と思ったら、
 主治医の先生の病院ベットが一杯なので、
 たまたま我が家の近所の病院を使わせてもらうこととなったらしい。
 彼女は怒濤の夏を過ごしていた。
 90才を越える父親の世話をしつつ、
 独身で生活を支えてきたが、
 急な父親の入院からあっという間の冥界入り。
 葬儀に始まり、今までのマンションから一人住まいように引越。
 そして自分の手術入院、術後は松葉杖の練習、
 通院、仕事復帰へと階段を一歩づつ一歩づつ。
 私も葬儀に行って最後のお顔を拝見し見送ってきた。
 彼女の病院にもお見舞いに上がり、珈琲など入れて
 喜ばれて嬉しかった。
 入院している患者さん同士でも助け合ったり励まし合ったりで、
 それは彼女への大きな安心に繋がったことだろう。
 一種の同士連帯感が生まれるのは
 入院生活をした経験からも良く理解できる。
 直に退院した彼女の新居に行ってみた。
 松葉杖を使いながらの一人暮らしの不安やら、不便さなど
 少しの軽減に繋がればとあーだこーだとおしゃべりしてきた。
 台所の使い勝手の改善に近くの友と一緒にガタガタいいながら
 収まりを付けてきた。
 そうこうして一月が経ち、無事に会社へゆるゆる通勤しながら
 復帰への試運転が始まった。
 なんとかなるものである。

 同時期に前歯のメンテナンスに歯科通院が始まった。
 具合が悪いのは虫歯が進行したことで、
 よくよく見れば相当な進行ぶりで結局新しいセラミック歯を被せることに
 なった。幸い根っこから抜歯することは免れた。
 中学高校時代に親が心配して歯列矯正に通ったこともあったが、
 最後の段階で投げ出し、結局は微妙な乱杭な歯列なまま、
 某歯科医の結婚できりゃね、この程度大丈夫だ。
 という無責任な言葉も可笑しく、まぁいいかで人生半世紀過ぎてしまった。
 地元の歯科医は色々めんどくさい空気はあるのだが、
 技師の腕もなかなかなので乱杭の口内環境にフィットしているから、
 今回もすっかり安心してお願いすることにした。
 ほどなく、夫も愚息も言わなければ気付かないほどのセラミック歯が入った。
 本人は前歯一本の存在の凄さに感動しつつ、やはり体温が今ひとつ
 伝わらない感覚にも驚きながら、普段と変わらない状態に感謝している。

 もう一つ、小さな文芸誌のお手伝いをしている。
 それは25年ぐらい前からのもので、初刊行からどういうわけか
 関わっていて、不思議なご縁で今も続いているという謎なお付き合い。
 執筆者も経年の成せる技で多くの人が天国へ旅立たれた。
 去年、それで仕切り直しを試みたわけだが、
 プロではない、スポンサーを持たない、書いた人が負担する
 そういった小さな文芸誌で、人生の山坂を超えてきた人の
 奮起する場でもあったりする。
 次号は50号。良くもまぁつづいたものだと。
 何かをする場があること、有り難い事であるし、
 その関係者から思いがけないことを沢山頂いていることが
 大きな存在となっている。

 それと、草月流いけばな教室に通って7年が過ぎた。
 最初は愚息から少し手が離れてきたので、
 何か始めたかったことがあって、通える範囲を条件に
 最初はフラワーアレンジメントに通ってみたが
 半年後あたりに先生がお辞めになってしまった。
 そもそもアレンジメントの表現がピントこなかった。
 設計図に向かって埋めていく作業に感じられて気持ちが
 乗っていかなかったのだ。
 それではと探していた先が、今も通う草月流のカルチャーセンターの
 教室だった。
 女性らしいしなやかで華やかな先生とは違った、
 とてもさばさばしたそして先生ではなくいつも仲間だと思っているのよ、
 そう仰る先生と巡り会った。
 教室の生徒さん達も様々な人生を背負いながら
 その時間を大切に通ってくる人ばかり。
 あっという間に7年が過ぎた。
 毎週木曜日はいつもフレッシュな気持ちでその時々に
 配られる花材との出会いが楽しみなのだ。
 お陰さまで雅号を頂き、3級師範のお免状も頂戴した。
 何かにチャレンジする大変さと喜びも大きな収穫となる。
 教室での年一度の発表会では
 5月に飯能で焼いた自作花器で与えられた花材で表現してみた。
 教室の廊下にも門下生一同で合作の大作にもチャレンジ。
 合作をしたことのない人達との共同作業はそれだけでも
 刺激的だったし、達成感も味わえる。
 体力は使うけれど、脳みそは喜んでいた。
 それをご近所の友人達に披露して、一緒にランチの時を持った。
 デパートなどの展覧とはまた違ってコンパクトではあるけれど、
 それなりに楽しい企画だった。
 今月から、先生に付いて企業の華道部のお手伝いも始まった。
 助手になるための手習い、のようなもの。
 先生になると言うことの大変度が今頃ぎゅーんと伝わってくる。
 大変なお仕事だ。
 草月の看板を背負っていくということの重責。
 まだまだ未熟の手前だ。







 そんなこんなを抜けながら、
 江戸東京博物館での川村清雄展、
 山種美術館での栖鳳ギャラリートーク、
 東京美術倶楽部での山下裕二先生による白隠講義、
 ちゃんと聴講することが出来ているのだろうか??

 川村清雄の凄さがもうひとつ伝わらないのが残念だが、
 展覧デビューしたばかりなのだと思えば、
 まだまだこれからの画家と思えば良いのかも知れない。
 東の大観、西の栖鳳といわれて久しいが、
 やはり大観のスケールに及ばない栖鳳に今一度光を!
 という山種の企画はコンパクトながらも意義があると思ったし、
 美術館と鑑賞者を縮める好企画に新時代を感じた。
 白隠、そうそう、あのすたすた坊主、がんばって
 レポUpせねばなりません。がんばりましょう。(希望的)

 はたまた奈良在住の時からのご縁で
 嬉しい人が上京されて、
 久々にその女将さんと息子さんと旧交を温めた。
 東京だよおっかさんをしに新しくなった東京駅を見学もした。
 ご縁というのは面白いことの綱渡り。




 
 とどめは
 腐れ縁の旧友が20年営業してきた器のお店を引越したことで、
 よくも決断したと喝采だ。
 話を聞けば、複雑なことがあったらしいが
 ともかくは良い移転場所とそこの大家さんの人の良さと、
 周りの環境を思えば
 ゆっくりでいいからそこで地元の人達にも愛され、
 生活を大事にすること伝える場になればと
 大いに応援するのだった。
 拙宅からはちょいと遠方なのだが、
 ご近所なら日々通ってあぁだこうだを共有できそうなところだ。

 またまた
 アートを愛する若い人達との交流も
 今の私を老化させない唯一のアンチエイジングだろうと
 お付き合いに感謝する。
 人との関わりの中で自分の立ち位置がより生き生きと
 見えてくるものであるし、その発見が何よりも楽しいし、
 現場のライブ感はPCの窓からはとても感じられないものだ。
 
 現場に行く。
 そのことの力はとても大きい。
 
 というところでの10月一月分のダイジェストでした。
 展覧ブログはもう少し猶予頂きます。

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