あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

デイヴィッド・リンチ監督 

2010-08-20 12:15:34 | 映画
時々、思い出したように「美術手帖」を買っている。
本箱に2007年10月号が入っていて、
「デイヴィッド・リンチ」が特集となっていた。
近所の本屋できっととりあえず買い、でしまっておいたのだった。

デイヴィッド・リンチはツイン・ピークスで一大ブームを起こした。
その時私は仕事に埋没していたから
やっている夜中にTVをつけられずにいた。
何回かはみても、連続の話がつかめなくて消化不良に陥って
見なくなった。

また、思い出せば、異形の主人公で「エレファントマン」
または倒錯の執着「ブルーベルベット」
(画像にあげたもの)
これがまた大好きな映画の一つ。

エレファントマンの異形の話は
犬神家などでも流行っていたし、
美女と野獣は古典的な話。

「ブルーベルベット」
その歌が頭の中でくるくるする。

ついでに、亡き、マイケル・ジャクソンのゴールドの棺の内側は
ゴージャスなブルーベルベットに包まれていた。

で、美術手帖はそのデイヴィッド・リンチをアーティストとして
特集しているのだ。

驚いた。

今頃気がつくなんて遅すぎと笑われるかもしれないが、
映画界情報が20年ぐらい長いトンネルに入っている。
時々流行の話は耳にしていても
実のところ、無知状態に近い。
彼の新作と言われた映画も全く見ていない。

映画監督になる人が芸術家であった、ということも
それは特別なことではない。

日本でも勅使河原宏がいたし、
我らが北野たけチャンマンにしても映画は撮る、絵も描く、小説も書く。

ダリも「アンダルシアの犬」に関わった。

でも、
デイヴィッド・リンチのペインティング、ドローイングの
紹介を見て、なぜ日本にその企画展を持って来られないのか。
そういう熱望がぶくぶくと膨らんでくる。
じつに興味深い作品ばかり。

シュールとエロスの浄化。
彼の資質に倒錯という言葉が常用される。
収集できない散らばった斜めな集約。
暗闇の欲望のどう仕様も無い執着。

いまとなってはこの倒錯こそが美しいことへの
入り口ではないかと思う。

その表現はいつだって眩く美しい。

グロテスクか?

人々は目を覆いたくなるものが
実は言えない、が好きなところがある。
好きと言ってはいけない、けれど好きだ。

谷崎の陰翳礼讃にしても、
泉鏡花の高野聖にしても、
江戸川乱歩の人間椅子にしても。

掟破りが美しいのだ。

オフェリアの死顔が美しい。
澁澤龍彦の高丘親王の迦陵頻伽薬子の声が美しい。

美術手帖の記事に「女優の起源は娼婦である」
という一文があり、
なるほど、と膝を打つ。

阿国も、義経の静御前も。

デイヴィッド・リンチの個展が
2007年の3月から5月まで
カルティエ現代美術財団で開かれたそうだ。

この作品群の写真から
庭園美術館で映画と共に
個展として開かれたらどんなにステキだろうと
夢想してやまない。

追記として、
この2007年10月号に
石田徹也の特集もあり、
われながら良い号を仕留めたものだと
ほくそ笑んでもいる。

自分の映画記録をしようとして
飛んだ道草をしてしまったが、
実はこういうひっかかりが一番楽しいものだ。

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