あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

ぬぐ絵画 ・東京国立近代美術館

2012-01-14 16:43:03 | 美術展



実はその構成がとてもわかりやすくて、
作品数自体も軽めなので、
常設との競演も楽しめる、好企画展だった。

1 はだかを作る
  まだまだはだかを公然とお披露目できる時代ではなかったが、
  銭湯の庶民を描くならばなんとか。
  五姓田義松の銭湯の絵からとても美しい裸体女性が描かれ、
  ため息。西洋婦人図
  欧州に絵画を学ぶ、そういうことがようやく始まったのだった。

  男子の裸体画も現れる。
  ガツンガツンに弾ける筋肉、肉体。
  黒田清輝はパリで学んだ裸体がを日本に広めようと
  苦心する。
  日本に洋画を教えに来ていた
  ラファエル・コランの絵も。
  そうして生まれた、
  黒田清輝の「智・感・情」


  
  上野の国立博物館横にある、黒田清輝記念館で
  時々見ることができる、その連作は
  そこで見たときよりもぐっと大きく、静かで神々しい光を放っていた。
  日本で受け入れてもらえる要素を悩み抜いての表現だったのかもしれない。
  線は赤く、その際に光の色が輝いていた。
  観音菩薩をなまめかしくしたような、
  生身の女性とは異次元の姿だった。

2 はだかを壊す
  その黒田清輝に学んだ萬鉄五郎の個展ブース。
  写生というよりもイメージ先行を感じる、心象絵画的な作品。
  あの威圧的なこちらを睥睨している 裸体美人
  ばかりではなく、他の作品も鑑賞できて良かった。
  元気がいいのか、具合が悪いのかわからないところが魅力。

  次のブースがの展覧の一番暗部で濃厚なところ。
  梅原龍三郎、
  中村彝
  村山魁多
  甲斐庄楠音
  これを並べた企画に拍手であった。
  どろどろになるところ。
  体臭とぶるんぶるんする肉体がそこに悩ましくあった。
  脳裏に暗澹たる肉体を背負いながら
  次に移ると
  古賀春江 VS 熊谷守一
  古賀春江の籠の鳥になった女性の美しいこと。
  熊谷守一のその後の単純なデザイン画の色鮮やかな作品とは
  まるで違う裸体描写と、轢死した女性の暗がりに
  どきっとさせられるが、その存在感はすさまじい。

3 もう一度、はだかを作る
  ようやく洋画のテクニックやら、
  鑑賞者の目も慣れてきて、
  裸体婦人図が定着してきた。
  安井曾太郎、
  梅原龍三郎、
  小出楢重など。
  パリ画壇からの影響も見て取れ、
  ようやく見ている方も安堵してみていられることに
  気がついた。

この期間、常設の展示も裸表現にリンクしているので
常設も見逃せない。
「ぬぐ版画」コーナーもおすすめ。
橋口五葉や、伊東深水、恩地孝四郎、などが楽しめる。
隣の写真も関連集。

棟方志功のたっぷりとした「湧然とする女者遙々」
谷中安規の作品群とも出会えるし、
ぬぐコラボは力作といって良いと思った。

また、今回の図録のハンディタイプに驚いた。
よろめいたが、また本箱の状況を思って、求めなかったが、
豪華、かつ重量級の力作図録に
そんなに研究成果を学ばなくとも画像が美しくなくとも、
ライトテキストがあればと素人ファンは切望するのだった。

ぬぐ絵画展のサイトも気楽なかわいいキャラクターが
カップルでナビ。
しかめっ面してお勉強しなくとも
楽しんでねっていう思いが嬉しい。

場内はなぜか男性率高く、女性の一人鑑賞者が少なかったが、
女性にも十分受け入れてもらえる企画展だったと思う。

もう少し暗がりな展示室だったらどうだろう。

上野の着衣のマハをふと思い出したりもした。

残り一日、ちょっと気分を変えて竹橋へ!

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