あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

赤と黒の芸術 楽茶碗  三井記念美術館

2006-11-06 13:03:30 | 日本美術
三井記念美術館は、去年の10月に三井の本拠、三井本館を抱きかかえるような、高層ビルを建てて、その中に中野の三井文庫を受け継ぎ、オープンしたのだ。

日本橋の再生のセンセーショナルな建物で、あたりを一新させた景色となっている。しかし、古い三井本館も重厚に側から歴史を語っている。

財閥の三井家がお持ちになっているお宝なので、ため息つくしかないのだけれど、すばらしいものを作った人の証を見るのは、とても感動するし、すばらしいものを見せてくれるチャンスがあれば、ぜひ逃したくない、と思うのだ。

さて、ここは先ほどの上野とはうってかわり、実に厳かで、しずかで、鑑賞者もおとなしく、お行儀が良い。

会場の薄暗いところに入ると、いきなり長次郎の名碗が並んでいる。

タイトルが赤と黒だから、ほ~そうきたか。とうなってしまった。
美術館の力の入れようが伝わってくる。

長次郎のお茶碗は、すべて利休好みだ、と茶碗の本にあったことを思い出した。
ずっと、利休のそばで、利休のお茶を支えてきたのだ。
言葉がないのに、利休への思い、ひたむきな精神が伝わってきた。

赤茶碗は、とても自然で、暖かな佇まいだった。
「大黒」は、思いの外真っ黒ではなく、素朴な黒で、茶味がかっていて、土っぽいところが見え隠れしていた。
それに似た黒に、「銘 あやめ」があったが、今回はこれが一番のお気に入りとなった。
とっても土っぽい。「俊寛」ほど精神性が溢れてはいないし、許容があるように思えたのだ。口縁も柔らかな流れがあって、造形も緩やかで、人間くさい。

筒茶碗の「銘 杵ヲレ」もすてきだ。
お茶を頂くには、鼻がかぶりそうだが、花生けにも良い味を出してくれそうだ。
長次郎の手後が残っているようで、ものつくりの息吹が感じられる。
本当に、土に向かって、手を使い、指を丁寧に動かし、利休の心に添ったものを作り出していたのだ。そう思うだけで、感動。

展示室1にほとんどの時間を使って、なめるように見て回った。
友人二人もお茶碗好きなので、感想を言い合えることも嬉しかった。

展示室2には、長次郎が作った、二彩獅子像が、可愛くおしりをあげて、歓待してくれた。

今回は、京都の楽美術館からも相当数のものが展示されている。
二つの美術館のコラボレーションのようでもあった。

お軸なども少しはあるのかと思ったが、屏風一双と、楽という字のお軸がある程度で、見事にお茶碗ばかり。

展示室3は、お茶室 「如庵」の秋の取り合わせ。
まったくの無地の黒中棗が光っていた。利休が持っていたと伝えられる。
お茶碗は、大井戸茶碗 上林井戸。
今回の茶碗の展覧にあわせて、侘びていて、とても男らしい、渋い取り合わせだった。

展示室4からは、後代の銘茶碗が並ぶ。
宗慶、常慶は、長次郎をしっかり後継する。
道入は、悠然と独自の作をとりこんだ。
光悦の「村雲」もオリジナルな、独創溢れるもの。
これは、図録「三井家 伝世の名宝」の表紙を飾っている。
展示室5からは、三代~七代の流れ、
展示室7には、七代から、現代の十五代吉左右衛門の作が並び、
脈々と流れ、お家が続く事の凄さを見せつけられた。

たかが茶碗、されど茶碗。
お茶の世界の厳しさを感じるすべもないけれど、
選ばれた高僧が、お茶の美学を殿方に伝授していった、
その狭い場所に生々しい歴史が詰まっているのだ。

長次郎は心から、利休のお側にいた、利休のために茶碗を作ることこそが
彼の生きる道だったのではないかと思った。

今は、幸せなお茶なのだろうな、とも。

このような楽茶碗の壮大な展示ができる事自体がものすごいことだ。
黒茶碗が真っ黒じゃないことも、図録の写真の色では絶対味わえない色や、
肌加減も実際に見ないと伝わってこないことも改めて、実感した。

じっくり眺めることができた、すばらしい茶碗の展覧会だった。

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8 コメント

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楽茶碗展 (いづつや)
2006-11-07 11:42:29
京都にある本家、楽記念館を訪問する時間がなかなかとれないのですが、これまで今回の展覧会をふくめて、楽家歴代の茶碗を見る機会が何度かありましたので、これらを合わせると名碗とよばれるものは大体鑑賞した感じです。

お気に入りは長次郎、三代道入、15代楽吉左衛門。今回、長次郎は15点と贅沢な展示でしたね。黒楽、赤楽茶碗の代表作はほとんどありました。流石、三井です。

楽茶碗は手づくねで形をつくりますから、作家の作意がそのまま伝わってくる感じがしますね。味わい深いやきものです。
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いづつや さま (あべまつ)
2006-11-07 12:38:09
コメント、TBありがとうございます。

去年、五島美術館の名碗の展覧会で、お茶碗の強者達とお目にかかってきました。なんていう展覧会だったろうと、今でも思っています。
実際、お茶会で使われてきたお茶碗で、今も五島のお茶会に参加できたら、そのお茶碗で一服頂戴できることもあるとか。(会費もそれなりですが・・・)

唐物や、高麗茶碗から、楽が生まれて、日本のものになったのだなぁと感じ入ってきたのです。

日本文化の中心は、やはり、京都と思います。
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十五代の挑戦 (雪月花)
2006-11-07 16:08:49
こんにちは。今日は立冬、今朝から吹き荒れているあたたかな南風は木枯し一号なのでしょうか。
三井記念の楽茶碗をご覧になったのですね。わたしは会期の早いうちに鑑賞しました。ひと口に楽といっても、四百数十年の系譜には新たな試み、初代への回帰、そして苦悩と停滞もあったのだと知りました。今回、とくに十五代吉左の赤楽に感銘を受けました。まさにこれから花開こうとする瞬間の姿、期待に胸をふくらませたみずみずしさ。今後、ひと花もふた花も咲かせんとする当代の気概が伝わってきました。また、三井は作品を360度じっくりと観ることのできる個別のガラスケースもあるのでうれしいですね。
上野の仏像展もゆきたいけれど、もうすこし後のほうがよいかしらん。
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雪月花 さま (あべまつ)
2006-11-07 22:11:55
今日はまた風の強い一日でしたが、暖かいので、木枯らし1番??なんとなくもの足らない感じもしました。
さて、楽茶碗。私はまだ、15代の吉左右衛門の作が
わからないのです。悩ましいというか、沢山のものを抱えているのではないかと、揺れてしまうのです。
でも、これから、どんな作になるのか、楽しみです。

来週NHK新日曜美術館で仏様を放映するそうですから、その前に行かねば、と思っています。
祭日の博物館は、恐ろしいほど混雑していました。
その日は、前期の方はすでに見ていたので、本館と東洋館を見てきたのです。
夕方が使えない主婦にとっては悩ましいところですよねぇ。
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Unknown (はろるど)
2006-11-08 00:38:40
あべまつさま、はじめまして。
自由なランナーさんのブログから辿って参りました。
はろるどと申します。

私は全く茶碗の素養がないのですが、
この展覧会はとても感動致しました。茶碗の深みにどっぷりはまった感じがします。

>黒茶碗が真っ黒じゃない

同感です。
手の温もり、そして制作者の息吹、
さらには利休の心が伝わるように思いました。
こうして15代もその伝統が続いていることに、
心から敬意を払いたいです。
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はろるど さま (あべまつ)
2006-11-08 11:09:49
はじめまして、ようこそ。

お茶碗のことは、ひたすら我が儘に鑑賞しています。
やきものが大好きで、追っかけしています。
創り使ってきたものに込められた何かが、そわそわさせてくれます。
お茶碗なんて、ただのお道具なのに、血道を上げている究極のこだわりに感動しています。

はろるどさんがおっしゃるように、お家が代々続くことの凄さ、を感じました。

ご縁を頂きました。こちらからもお邪魔させて頂きます。
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楽焼の深遠さ (自由なランナー)
2006-11-08 22:30:31
こんにちは。
楽焼をまとまってみたのは、はじめてでその奥深さまでは到底理解できませんしたが、長次郎の茶陶が代々素晴らしい作家によって受け継がれているのに、感銘しました。
もっと、お茶のこと知らなければいけないな、と自戒しました。
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自由なランナー さま (あべまつ)
2006-11-09 17:16:26
ようこそ。
長次郎の黒は、厳しい修行中の雲水のようで、ストイックな美しさにぐっと来ています。
でも、本当はもっと緩やかで、伸びやかな人なのかもしれない、と思ったり。そんなことを思わせる小さな手のひらサイズのやきものに、興味が尽きません。

作家のわからない、李朝や、民芸ものも大好きです。遊ばせてもらってるって感じです。
お茶碗の世界に振り回されるのも、楽しいです。
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