ガレ、の名前を知ったのは、いつの頃だったろう?
庭園美術館がオープンした頃、ラリック展を見に行ったのは随分前だ。
その前からどうも知っていたようだ。
世紀末のアールデコと、アールヌーボーは、
なんとなく美術館に行き始めた頃から耳に、
目にしていたのだろうし、
ファッション雑誌などを通しても、
世紀末美術は宣伝されていたのだと思う。
以来、その名前はガラスというはかない材料を使っているにもかかわらず、
金の斧を落とした湖がある、
深い謎の森の中で作られたような、
そんなガレの作品は私の中で、
童話の世界のように記憶された。
あのおどろおどろしい闇のなかからぼうっと浮かぶ蜥蜴や
キノコの形をした濃真紅のランプ。
それがガレという人のガラス細工。
きらきら宝石のようにきらめくガラス、
その真反対のマットで、重厚で、光らない、
湿度のある日陰のガラス。
重厚な豪邸の客室のコーナーで
ぬめっとした質感のガラスが
ぼうっと光を帯びて、
さぞ異彩を放ったことだろうと思ったものだ。
今回は、そんないかにもガレという印象の物より、
ジャポニズムの影響溢れる、
ガレの憧れた日本を表現したものの展示に的が絞られていた。
ふと、プライスコレクションの図録にプライス氏が
建築家ライト氏から
「日本美術コレクションの礎として、自然への服従」
を教わったというフレーズを思い出した。
日本人の自然に対する畏怖と尊敬と共存の深い繋がりは、
欧米人にとっては、理解しにくいものなのだろう。
そのことを力説すればするほど、
自然との付き合い方の違いを感じてまう。
ガレの花瓶や、ランプなどからは
日本の絵師達が2次元フラットに描いた、
もののあわれ、はかなさ、一瞬のきらめきを
デザイン構成の模写をし、肉感的に3次元に起こし、
息を吹きかけ、血を通わせ、また再びの復活、再生して
生き返らせてしまう、魔法を感じた。
なぜ9世紀末にジャポニズムがもてはやされたのか、
万国博覧会の評判ばかりではなく、
あまりにも手仕事の細かな表現力と、
自然に対する愛情と、日常にその者達を愛して使っている
日本人の生活自体が憧れとなったのではないだろうか。
天に召されるのではなく、土に帰る、のだから。
戦争に明け暮れた人々の暗い心に
光と癒しを求めていたのではないだろうか?
ガレは、様々な日本の意匠を学んだ。
伊豆高原にある伊豆ガラスと工芸美術館から、
日本の草花の見本として、ガレを大いにバックアップした
高島北海の画帳が出ていた。
北斎漫画、富岳百景、広重の江戸百景、
蒔絵漆芸の小川破笠、柴田是真、
超リアルな宮川香山の蟹の張り付いた水鉢、白鷺の瓶、
乾山の松文の茶碗、美濃の瀬戸黒茶碗、
などなどガレのジャポニズムの底流が展示されているのをみると、
日本の美術はなんて気高く、
自然と共存し、自然を尊敬して、その技術の精巧さと
デザインのすばらしさを改めて深く感じられた。
ガレ、の作品展ではあったけれど、
私にとっては、日本美術のすばらしさを誇りに思える
展覧会でもあった。
庭園美術館がオープンした頃、ラリック展を見に行ったのは随分前だ。
その前からどうも知っていたようだ。
世紀末のアールデコと、アールヌーボーは、
なんとなく美術館に行き始めた頃から耳に、
目にしていたのだろうし、
ファッション雑誌などを通しても、
世紀末美術は宣伝されていたのだと思う。
以来、その名前はガラスというはかない材料を使っているにもかかわらず、
金の斧を落とした湖がある、
深い謎の森の中で作られたような、
そんなガレの作品は私の中で、
童話の世界のように記憶された。
あのおどろおどろしい闇のなかからぼうっと浮かぶ蜥蜴や
キノコの形をした濃真紅のランプ。
それがガレという人のガラス細工。
きらきら宝石のようにきらめくガラス、
その真反対のマットで、重厚で、光らない、
湿度のある日陰のガラス。
重厚な豪邸の客室のコーナーで
ぬめっとした質感のガラスが
ぼうっと光を帯びて、
さぞ異彩を放ったことだろうと思ったものだ。
今回は、そんないかにもガレという印象の物より、
ジャポニズムの影響溢れる、
ガレの憧れた日本を表現したものの展示に的が絞られていた。
ふと、プライスコレクションの図録にプライス氏が
建築家ライト氏から
「日本美術コレクションの礎として、自然への服従」
を教わったというフレーズを思い出した。
日本人の自然に対する畏怖と尊敬と共存の深い繋がりは、
欧米人にとっては、理解しにくいものなのだろう。
そのことを力説すればするほど、
自然との付き合い方の違いを感じてまう。
ガレの花瓶や、ランプなどからは
日本の絵師達が2次元フラットに描いた、
もののあわれ、はかなさ、一瞬のきらめきを
デザイン構成の模写をし、肉感的に3次元に起こし、
息を吹きかけ、血を通わせ、また再びの復活、再生して
生き返らせてしまう、魔法を感じた。
なぜ9世紀末にジャポニズムがもてはやされたのか、
万国博覧会の評判ばかりではなく、
あまりにも手仕事の細かな表現力と、
自然に対する愛情と、日常にその者達を愛して使っている
日本人の生活自体が憧れとなったのではないだろうか。
天に召されるのではなく、土に帰る、のだから。
戦争に明け暮れた人々の暗い心に
光と癒しを求めていたのではないだろうか?
ガレは、様々な日本の意匠を学んだ。
伊豆高原にある伊豆ガラスと工芸美術館から、
日本の草花の見本として、ガレを大いにバックアップした
高島北海の画帳が出ていた。
北斎漫画、富岳百景、広重の江戸百景、
蒔絵漆芸の小川破笠、柴田是真、
超リアルな宮川香山の蟹の張り付いた水鉢、白鷺の瓶、
乾山の松文の茶碗、美濃の瀬戸黒茶碗、
などなどガレのジャポニズムの底流が展示されているのをみると、
日本の美術はなんて気高く、
自然と共存し、自然を尊敬して、その技術の精巧さと
デザインのすばらしさを改めて深く感じられた。
ガレ、の作品展ではあったけれど、
私にとっては、日本美術のすばらしさを誇りに思える
展覧会でもあった。
マンネリがちなガレをうまく見せてくれたと
思います。
個人的には月光色ガラスの作品に惹かれました。
宮川香山の再チャレンジした蟹の作品。ちょうど
今、東博にも最初のものが出ているので
見比べることができて嬉しかったです。
作品が多いですよね。ガレさんは北斎漫画や
日本の色々な美を参考にして独自の美を
作ったそんなのが、日本人としては
誇らしいですよね。
ガレのイメージが広がる
優れた展覧会でしたね。
サントリーさんの底力。
浮世絵との展示にも惹かれました。
宮川香山の蟹さん、凄かったです!
東博の方が地味で、サントリーの方が色鮮やかでしたね。よく壊れないで残ってくれたと思いました。
色んなガレが頭の中で散らばっていましたが、
今回の展覧会のお陰で、集約された気がしました。
企画力と、収集力、「ガレ」とだけ書かれたポスターも秀逸で、さすがサントリーでした。
ガレの日本美術の解釈がよくわかる展覧会でした。
下絵の繊細さも素敵でした。
日本はギヤマンに憧れたけれど、
こんな作家は生まれなかったのが残念です。
歴史も違うのでしょうね。
さすが、サントリーでした。
蓮の葉と蛙、あのお皿、ひとつ下さい!
でした。
パリにジャポニズムを訪ねる番組が
かの、山口智子女史がレポートしたことを
思い出しました。@@!
良い内容だったのですが・・・
>天に召されるのではなく、土に帰る
西洋と日本の価値感の違いが見事に表れていますよね。
小さな昆虫に命の儚さを見出す感性も、そうしたところに由来するのかなと思いました。
このサントリー展がガレの初体験なんて、
ラッキーですね!
西洋骨董がもてはやされた頃、ガレの小品が
○○万円とかで、どっきりしたこと思い出します。
日本の美を愛してくれたガレを日本人が大好きになるのは、底流に日本の心があるからなのでしょうね~
ガレの作品は、ファンタジーを感じますね。
サントリーのガレ展はすてきでしたね。私は
2回も行ってあれこれ、江戸から明治にかけての
日本は、実に創造的、日本画の伝統と、西洋の
もの、美は細部に宿るとか、でも蜻蛉などが
つかわれたのが、珍しかった?やっぱり不思議
です。違うものですね。
そして、お久しぶりです。
六本木のサントリー館は、企画力が充実していると感じます。鑑賞者の目線をしっかり掴んでいます。
西洋と日本が大いに交流した時代、
とっても素敵な美しいものが生まれましたね!
その証が燦然と輝き、嬉しくなりました。