明治から、大正にかけて、近代京都画壇において、様々な展覧会での入賞、を重ねてきた、都路華香。
その人の名を私は知らなかった。
にわか日本美術応援団のいち、おばさんが知るよしもない。
しかし、こうやって、色々な美術館情報や、ネットの力、ブログの繋がり、
そんなことが私の力となって、こんな巡り会いをもたらしてくれた。
竹内栖鳳の名を知ってはいても、何故、同時期のこの人の名を知らないのだろう?
やはり、京都と、東京は遠いということか。
友禅描きの父を持ち、川合玉堂と友好を温めた。
辻良景が本名。
9歳の時に幸野楳嶺に入門。都路華香の名をもらう。
後、竹内栖鳳が幸野楳嶺に師事する。
湖北の賎ヶ丘山麓の祖父のもとで育ち、
それが京都画壇と馴染まなかった理由となったのかも知れない。
琳派や、南画なども取り入れ、波の表現にも苦心をする。
20歳ごろから、高島屋の袱紗図案の懸賞募集に出品、3等賞受賞。
友禅の図案会に入選などを続け、以降、様々な展覧会に入選を続ける。
31歳、アメリカセントルイス万博へ出品。
その後、イギリス、オランダ、フランス、ローマなど、海外にも出品。
40代は目覚しい活躍。
京都市立美術工芸学校教諭となる。
様々な会の審査員に選ばれたり、
天皇陛下の御前揮毫などもする。
50代後半から、家族の不幸が続く。
体調を崩し、60歳で亡くなる。
図録の年譜から、簡単に目に付いた略歴を書いてみた。
あぁ、そんなことより、本物絵をぜひぜひ見てほしい。
東京のピンクの達磨さんだけでは、
都路華香をつかみきれるものではないのだから。
3月4日まで。東京国立近代美術館で。
図録も2000円ですが、華香を知るすべが満載です。
しばらく図録で、うっとりいたします。
追記
出品リストを見ると、東京会場にこない作品が12点もあり、
それも図録によると、いいポジションに配置されていて、
華香を語る上でも大事な大切な作品と解る。
あぁ、何があったのだろう??
図録は京都国立近代美術館と、笹岡私立竹喬美術館の編集、発行とある。
悲しい関係が見えても来るのだ。
それと、「白鷺城」に不審なグレーの暗雲が立ち込めていて、
okiさんも疑問に思われていたらしいので、
学芸員さんに聞いてみたのです。
そうしたら・・・
第一回帝展に出点された白鷺城が、
何者かによって墨で殴り書きされてしまったそうです。
それを修正したので、あのような不自然な暗雲が流れたのだそうです。
その犯人は、以前にもそういう行動を起こした人で、
華香ばかりではなく、他の画家達の絵も被害にあったそうです。
何時の世にも変な人が現れるようです。
華香に個人的な悪意を持っての行動ではなかったらしいです。
なんだか見たい絵と会えなかった悲しみが
じんわり胸を襲うのでした。
いずれにしても、欲のない、悠然とした、大自然のような絵に触れて、
本当に癒された気持ちになります。
湖北、いよいよ日本のふるさとを訪ねなければ、
と琵琶湖周辺の郷愁を深めることにもなりました。
「緑波」
「高士逍遙図」
「雪中水禽図」
「十牛図」
ほか、軸装のものがとても好きでした。
漆皿下絵帖も良かったです。
新しい日本画の色、色彩にチャレンジしたのだとするならば、
ピンクのダルマさんは、あながち華香らしいともいえるのかも
と、寛大にもなったのでした。
その人の名を私は知らなかった。
にわか日本美術応援団のいち、おばさんが知るよしもない。
しかし、こうやって、色々な美術館情報や、ネットの力、ブログの繋がり、
そんなことが私の力となって、こんな巡り会いをもたらしてくれた。
竹内栖鳳の名を知ってはいても、何故、同時期のこの人の名を知らないのだろう?
やはり、京都と、東京は遠いということか。
友禅描きの父を持ち、川合玉堂と友好を温めた。
辻良景が本名。
9歳の時に幸野楳嶺に入門。都路華香の名をもらう。
後、竹内栖鳳が幸野楳嶺に師事する。
湖北の賎ヶ丘山麓の祖父のもとで育ち、
それが京都画壇と馴染まなかった理由となったのかも知れない。
琳派や、南画なども取り入れ、波の表現にも苦心をする。
20歳ごろから、高島屋の袱紗図案の懸賞募集に出品、3等賞受賞。
友禅の図案会に入選などを続け、以降、様々な展覧会に入選を続ける。
31歳、アメリカセントルイス万博へ出品。
その後、イギリス、オランダ、フランス、ローマなど、海外にも出品。
40代は目覚しい活躍。
京都市立美術工芸学校教諭となる。
様々な会の審査員に選ばれたり、
天皇陛下の御前揮毫などもする。
50代後半から、家族の不幸が続く。
体調を崩し、60歳で亡くなる。
図録の年譜から、簡単に目に付いた略歴を書いてみた。
あぁ、そんなことより、本物絵をぜひぜひ見てほしい。
東京のピンクの達磨さんだけでは、
都路華香をつかみきれるものではないのだから。
3月4日まで。東京国立近代美術館で。
図録も2000円ですが、華香を知るすべが満載です。
しばらく図録で、うっとりいたします。
追記
出品リストを見ると、東京会場にこない作品が12点もあり、
それも図録によると、いいポジションに配置されていて、
華香を語る上でも大事な大切な作品と解る。
あぁ、何があったのだろう??
図録は京都国立近代美術館と、笹岡私立竹喬美術館の編集、発行とある。
悲しい関係が見えても来るのだ。
それと、「白鷺城」に不審なグレーの暗雲が立ち込めていて、
okiさんも疑問に思われていたらしいので、
学芸員さんに聞いてみたのです。
そうしたら・・・
第一回帝展に出点された白鷺城が、
何者かによって墨で殴り書きされてしまったそうです。
それを修正したので、あのような不自然な暗雲が流れたのだそうです。
その犯人は、以前にもそういう行動を起こした人で、
華香ばかりではなく、他の画家達の絵も被害にあったそうです。
何時の世にも変な人が現れるようです。
華香に個人的な悪意を持っての行動ではなかったらしいです。
なんだか見たい絵と会えなかった悲しみが
じんわり胸を襲うのでした。
いずれにしても、欲のない、悠然とした、大自然のような絵に触れて、
本当に癒された気持ちになります。
湖北、いよいよ日本のふるさとを訪ねなければ、
と琵琶湖周辺の郷愁を深めることにもなりました。
「緑波」
「高士逍遙図」
「雪中水禽図」
「十牛図」
ほか、軸装のものがとても好きでした。
漆皿下絵帖も良かったです。
新しい日本画の色、色彩にチャレンジしたのだとするならば、
ピンクのダルマさんは、あながち華香らしいともいえるのかも
と、寛大にもなったのでした。
「白鷺城」は第一回帝展に出品されて被害を受けたのですよね。
僕は華香にうらみのある人の仕業かなといろいろ憶測しておりましたが常習犯の仕業でしたか。
華香も相当落ち込んだり怒ったりしたことでしょう。
禅の修行をした人だから笑って受け流したかなーいろいろ想像するのも楽しいですね。
何十年もたって再発見される画家の一人のような気がします。本人の性格よりも絵画そのもの評価が優先されてくるのでしょうか。
でも、学芸員さん情報が得られたのが、嬉しかったです。
ゆったりした、ほのぼのした絵があって、大好きになりました。
昨日、もしかして、太田記念から、近美へ移動したのですが、とらさんも同じ日だったんでしょうか?
まだまだ奥の深い美術探検だと思いました。
初対面ですっかり好きになりました。
どうも上手いことこちらから
飛ばないようです。トラバ。
あべまつさんとは
京都でニアミスしていますね。
あれには驚きました!
Takさんとは、実は何度もニアミスしているのかも知れません。私は、平日火、金が主たる行動日ですが、たまの土日の・・きっと・・遠いところで・・
白鷺城についてはそんなに悲しい経緯があったのですね。
残念でなりません…。
もう間もなく会期を終えそうですが、
この展覧会が再評価のきっかけともなればと思います。
白鷺城は、ぱっとみたら、なにか煙がたなびいているような、でもよく見ると、変ですよね。
他の画家さんも被害に遭われているとか、有名な加害者だったようです。
これで終わって欲しくないですね。
画風にエキセントリックが足りないのか知らん。
渇!ってパワー全開のいい絵もありましたのにね。