デューラーといえば、緻密な精密な線の版画家。
時々西洋美術展のどこかでその超絶技巧を魅せられてきたが、
彼一人の展覧は珍しいのでは?
どんな展覧になっているのかドキドキして入館。
階下のエントランスにはど~んと
「4人の魔女」を拡大した幕が下がっている。
あれだけ大きく拡大されても破綻がない凄さ。
4人の女性たちのたわわな姿には親近感も芽生え、
重量感ある肉体の引力を 許そう、と思った。(失敬)
今回の展覧は、展覧された157点すべてがデューラー。
ゴッホ展としてそのまわりの作家たちが共演したような
そんなことがない、デューラー率100%
圧倒的とか、圧巻とかそんなことがでは到底足りない。
ぶれなく一本、デューラー一色。
その日はお散歩も控えていたので、
図録はおあずけにしたが、
図録もまた半端ない力の入り様で、
デューラーの研究と手引きには欠かせない
一冊となったのではないだろうか。
「絵画芸術にとって大切な事は
宗教、肖像、自然である」
というデューラーのことばを尊重し、
3部仕立ての構成。
第1章 宗教
キリスト教聖書に関わる様々な場面の紹介。
グーテンベルグによる印刷の機械化の発展に伴って、
宗教を語る上で大切な聖書が
たくさん刷られるようになった。
本のサイズに合わせての小さな画面に
伝えたい事がぎゅっと詰まっている。
1500年頃のものが主流。
木版の連作であったり、銅版画の連作であったり。
木版のほうが彫りが太く、銅板のほうがずっと細かな線。
眼にやさしいのは木版の方だった。
しかし、聖書が分からないでみているのは
申し訳ない気持ちにはなる。
生々しい表現にたじろぐ場面もあるし
ここでキリストは復活したのだということも
神々しい光りに包まれているところなどから
それなりには理解できる。
受胎告知
第2章 肖像
こちらはその対象となった人物と表現力を
単純に楽しめる。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世との交流によって作られた、
巨大な木版による凱旋門は会場を圧倒していた。
ローマ皇帝の物語が綿密に超絶技巧で語りつくされている。
その大画面を囲むように様々な肖像。
リアルな表現に写真の役割があったのだろう。
それも、1500年頃の話。
日本では雪舟あたりか。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン
第3章 自然
ここの画題には人物と共に動物や虫たちが参加して、
バックにはこれでもかの線で自然界の木々や山が現れる。
最後に3大傑作として
「騎士と死と悪魔」
「書斎の聖ヒエロニムス」
「メレンコリア」
で締めくくられた。
「アダムとイヴ」も見落としたくない。
「岐路に立つヘラクレス」
このモノクロで重厚な線の集合体の威力は
鑑賞者の目をことごとく潰していくように
刺激的だ。
後世彼の影響を受けない版画家たちは
いなかったのではないだろうか。
同時期に西洋美術館の常設では
「19世紀フランス版画の闇と光」
という豪華なラインナップが並んでいる。
また、芸大美術館でも関連展覧がある。
この展覧にあたって、
西洋美術館ニュースを開いて感心した
一文があったので紹介する。
(要約、解釈はあべまつ)
今から9年前の2001年3月「モネと日本」展が
オーストラリアキャンベル市で開催されたときに
西洋美からモネの「陽を浴びるポプラ並木」を貸しだしたことを
きっかけにヴィクトリア美術館のデューラー・コレクションを
調査することになったそうだ。
その質の高さに驚き、コレクションを特別閲覧させてくれた
デューラーの学芸員とぜひ東京でデューラーの展覧会を、
との提案が生まれた。
その提案はなかなか進まなかったが、
2007年にメルボルンを訪ね、いよいよ展覧の具体的な企画が
実現することとなった。
この展覧の作品貸し出しにはメルボルンからは
寄付金の類は一切要求されていない。
それは、
この企画が学芸員同志の交流から生まれたものであるから。
昨今の大型展覧は多額の寄付金の要求があり、
大きなスポンサーシップがどうしても必要となるが、
こうした学芸交流に基づくボトムアップの
展覧会を今後とも大事にしたいと思っている。
(西美主任研究員 佐藤直樹)
いずれにしても、
このデューラー展の迫力に倒れること、
まずはオススメいたします。
トップの画像は 「メネシス 運命」
時々西洋美術展のどこかでその超絶技巧を魅せられてきたが、
彼一人の展覧は珍しいのでは?
どんな展覧になっているのかドキドキして入館。
階下のエントランスにはど~んと
「4人の魔女」を拡大した幕が下がっている。
あれだけ大きく拡大されても破綻がない凄さ。
4人の女性たちのたわわな姿には親近感も芽生え、
重量感ある肉体の引力を 許そう、と思った。(失敬)
今回の展覧は、展覧された157点すべてがデューラー。
ゴッホ展としてそのまわりの作家たちが共演したような
そんなことがない、デューラー率100%
圧倒的とか、圧巻とかそんなことがでは到底足りない。
ぶれなく一本、デューラー一色。
その日はお散歩も控えていたので、
図録はおあずけにしたが、
図録もまた半端ない力の入り様で、
デューラーの研究と手引きには欠かせない
一冊となったのではないだろうか。
「絵画芸術にとって大切な事は
宗教、肖像、自然である」
というデューラーのことばを尊重し、
3部仕立ての構成。
第1章 宗教
キリスト教聖書に関わる様々な場面の紹介。
グーテンベルグによる印刷の機械化の発展に伴って、
宗教を語る上で大切な聖書が
たくさん刷られるようになった。
本のサイズに合わせての小さな画面に
伝えたい事がぎゅっと詰まっている。
1500年頃のものが主流。
木版の連作であったり、銅版画の連作であったり。
木版のほうが彫りが太く、銅板のほうがずっと細かな線。
眼にやさしいのは木版の方だった。
しかし、聖書が分からないでみているのは
申し訳ない気持ちにはなる。
生々しい表現にたじろぐ場面もあるし
ここでキリストは復活したのだということも
神々しい光りに包まれているところなどから
それなりには理解できる。
受胎告知
第2章 肖像
こちらはその対象となった人物と表現力を
単純に楽しめる。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世との交流によって作られた、
巨大な木版による凱旋門は会場を圧倒していた。
ローマ皇帝の物語が綿密に超絶技巧で語りつくされている。
その大画面を囲むように様々な肖像。
リアルな表現に写真の役割があったのだろう。
それも、1500年頃の話。
日本では雪舟あたりか。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン
第3章 自然
ここの画題には人物と共に動物や虫たちが参加して、
バックにはこれでもかの線で自然界の木々や山が現れる。
最後に3大傑作として
「騎士と死と悪魔」
「書斎の聖ヒエロニムス」
「メレンコリア」
で締めくくられた。
「アダムとイヴ」も見落としたくない。
「岐路に立つヘラクレス」
このモノクロで重厚な線の集合体の威力は
鑑賞者の目をことごとく潰していくように
刺激的だ。
後世彼の影響を受けない版画家たちは
いなかったのではないだろうか。
同時期に西洋美術館の常設では
「19世紀フランス版画の闇と光」
という豪華なラインナップが並んでいる。
また、芸大美術館でも関連展覧がある。
この展覧にあたって、
西洋美術館ニュースを開いて感心した
一文があったので紹介する。
(要約、解釈はあべまつ)
今から9年前の2001年3月「モネと日本」展が
オーストラリアキャンベル市で開催されたときに
西洋美からモネの「陽を浴びるポプラ並木」を貸しだしたことを
きっかけにヴィクトリア美術館のデューラー・コレクションを
調査することになったそうだ。
その質の高さに驚き、コレクションを特別閲覧させてくれた
デューラーの学芸員とぜひ東京でデューラーの展覧会を、
との提案が生まれた。
その提案はなかなか進まなかったが、
2007年にメルボルンを訪ね、いよいよ展覧の具体的な企画が
実現することとなった。
この展覧の作品貸し出しにはメルボルンからは
寄付金の類は一切要求されていない。
それは、
この企画が学芸員同志の交流から生まれたものであるから。
昨今の大型展覧は多額の寄付金の要求があり、
大きなスポンサーシップがどうしても必要となるが、
こうした学芸交流に基づくボトムアップの
展覧会を今後とも大事にしたいと思っている。
(西美主任研究員 佐藤直樹)
いずれにしても、
このデューラー展の迫力に倒れること、
まずはオススメいたします。
トップの画像は 「メネシス 運命」
芸大にも行きましたが、あちらはデューラー率が低く、やや・・・でした。
《黙示録》だけは、西美で一緒に展示してほしかったかな・・・。
コメントとTBありがとうございます。
純粋デューラー展にとらさんのゴッホ率を
思い出しまして。。。
芸大へもぜひ行ってみたいと思っています。
とらさんの丁寧な記事はいつも参考になります。