あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいさめ)

2007-01-29 13:39:44 | 歌舞伎
なにしろ、話が吉原の花魁と、通う佐野の商人だ。
主人公の田舎者で、顔中おできだらけの無粋な男を中村吉右衛門が切なく、
かわいらしく演じきっていた。

対する花魁八ッ橋は、中村福助。
はすっぱな役がお似合いの福助なのだが、
これは案外当たり役だったかも知れない。
玉三郎の怪しさとは世界が違い、
花魁の金権主義なイヤらしさが滲んでいたのだ。
そうしなけりゃ、花魁の世界でどうやって生きていくのさ、
という意地が見えてきた。

渓斎英泉の怪しい花魁の顔を思い出した。
本物はどんな物か、見に行かずにおられようか。
そういう役目が浮世絵だったのだと、合点。

純粋で、ウブで、真っ正直な佐野の次郎左右衛門。
間夫がいるから、身請け出来ないと贔屓の八ッ橋に
何はどうしても叶わないと付きはねられる
情けない男をよれよれになって演じていた。
しかし、ついには堪忍袋が切れて、人の良い声も強面の声に変わり、
刃傷して自身の身の置き所を表現しきって憂さを晴らし、
幕となるのだ。

話は単純。
しかし、この大げさ振りはなんだろう?
そこがみる人の心をわしづかみなのだ。

大道具がこんなに面白いと思ったこともなかった。
花魁動中のにぎにぎしさ。
たばこ塩館で見てきたばかりの長いキセル。
御茶屋に置かれている屏風に、花鳥図などの中に、見返り美人が張られている。

床の間には、南画の立てば芍薬の一幅の絵。蝶も舞っている。
旦那衆が帯に差しているたばこ入れ。
女衆も博多帯にたばこ入れを差している。

旦那衆が言っていた。
こりゃ、錦絵で見たものより、ナマで見た方がよっぽどいい。

錦絵は、吉原グラフのような物で、流行を届ける情報誌の役目も
担っていたことが理解できる。
噂を信じる人の危うさも、嘘を飛ばして何とかお金のおこぼれを頂こうとする
性悪の下人の存在も、
今とまったく変わっちゃいない。

(納豆は普通に納豆として食べりゃいいのだ。

画面で見ていた吉原の景色が目の前で動くことの凄さ。
歌舞伎は人々の心をどのくらい揺さぶってきたことだろう。

それにしても、籠釣瓶とは、そうとうの名刀だったのだろうか?

TV画面にかぶりつきだのだった。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イヌイットの壁掛け ・高円... | トップ | 「悠久の美」「マーオリ楽園... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (遊行七恵)
2007-01-30 10:20:12
こんにちは
福助の八つ橋は歌右衛門指導の八つ橋です。
だから花道でダリアのように笑うのも、「田舎者め、見とれているな、ほんにきれいだろう」と言う意味があるのです。
確か襲名のときに彼が抱負を語っているのを聞きました。
吉右衛門の実父・八世幸四郎と福助の大叔父・歌右衛門との共演の写真を見ましたが、その芸の血脈がこうしてつながれているのが嬉しいです。

吉右衛門はニンに合わない役でも芸で見せる力があるので、どの役をしてもいつも大納得です。
返信する
遊行 さま (あべまつ)
2007-01-30 11:53:59
八ッ橋のあの流し目が、見終わってからずっと粘っこく残っています。
そして、あれが一番の急所であることにようやく気が付いているところです。
お歯黒の歯を出して、ニヤリですから、女の凄味が溢れていました。
大阪もお芝居のニューウェーブ、楽しそう。
どこかの白黒のポスターがお!と思ったのでした。
中島かずきさんのお芝居だったかな。

歌右衛門は、お化けかと思ってました(笑)
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。