季節は巡り、今年はあと二月となりました。
約一年半前から活動していた、協賛金活動が無事終了し、
会計監査も無事に認められ、目標としていた
没後10年記念 宗左近詩碑建立
そのモニュメントが市川市里見公園内に
まるでずっとそこに立ち続けていたかのように設置されました。
活動の進捗報告など、ブログやFacebookなどをもっともっと活用できれば
スピーディに現場画像などもお伝えすることなどができたのですが、
なかなか手詰まり、人手不足など 精鋭(?)少人数で回っていましたので、
致し方なかったことと、反省しつつも、できるだけのことに
奮闘してきたと感じています。
そもそも、このあべまつ、がなぜ関わってきたのかというと、
市川在住時代にひょんな事からご縁を頂き、
宗先生のご自宅マンションに親しく通い、大変お世話になって、
そのご縁もありながら、奈良に住んだこともあったのでした。
二十代の頃でした。
宗先生は、詩人、法政大学教授、美術評論家でもあり、
校歌を三善晃氏とコンビを組み三善晃氏が作曲、宗先生が作詞を多くつくられました。
詩作では「炎える母」で歴程賞受賞、詩集「藤の花」で詩歌文学館賞受賞などしています。
市川に長らく住みましたが、生まれは北九州戸畑。東大哲学科卒。
1919〜2006 87才
それまで、宗先生の偉大さとか、何を詩作されてきた方なのか、
法政大学で何を教えてこられたのか、
まったく知らないまま、近くの文化度の高いえらいおじさん宅にお邪魔する
そんな心つもりで親しく通っていたのでした。
最初は夫人にお誘いを受けてお邪魔するようになったのですが、
不思議なご縁が続いたものです。
夫人は、宗香という名前で帽子作家として活動していた時期がありました。
サイトにまとめて頂きましたので、ご紹介します。 こちら
圧倒的に突き抜けている造形作家だったと思います。
その後、私自身の人生の双六のコマがなかなか複雑で、
ご夫妻とお目にかかれずに、仕事に結婚、子育て、乳がん闘病などで
余裕のない生活をしていたわけですが、
愚息がなんとか手がかからなくなってきたこともあって、
宗先生没後5年頃から、夫人のお手伝いをするようになりました。
そして、夫人が病気を得て、なかなか生活も思うように暮らせなくなり、
いよいよ命の炎が消え、去年4月1日に宗先生の元へ旅立たれたのでした。
夫人存命中から詩碑を市川にも建てることを願って、活動を進めていこうという矢先の事でしたから、
なんとか、詩碑を建てて、
すでに記念モニュメントがある、北九州、宮城の中新田、(今は加美町となりました)
とともに、縁の深い三カ所が宗左近のトライアングルとなるよう、
市川の地でもぜひに、と活動が進められてきたのでした。
ここにブログを開設して下さった方がいるので、
ご紹介します。
宗左近ブログ
本当に力強い方々との活動でした。
お陰様で、宗先生と香夫人にきちんとご報告ができるよう、
心して励むことができました。
アート・ブロガーのTakさんの応援も頂きました。
記事はこちら
今後も「宗左近」という大きな大きな縄文の詩の神様とともに、
香夫人の類い希な才能も忘れず、しっかりとものをみつめることを
大切に人生を努めていこうと思います。
私の中で、きっと宗左近夫妻の圧倒的なものを真剣に
純粋にみる、ことを目の当たりにしたことが大きく影響されたのだと
ありがたく感謝するしかないのですが、
文学、哲学の素養もないにもかかわらず、
これからも、宗先生から頂いた言葉、
「網膜の拡大と突破を」を忘れずに大切にしたいと思います。
応援頂いたみまさまへ、ありがたく御礼申しあげます。
季節の良いときに市川里見公園の花々とともに、
ぜひ、詩碑をごらんにお出かけしてみて下さい。
市川駅からバスで国立病院下車し、江戸川に向かって徒歩5分程度です。
詩碑の完成を安堵と解放と宗先生、香さんへのご報告を喜びにかえて。
「宗佐近」この詩の巨人、ぜひチェックしてみて下さい。