あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

3月の鑑賞記録

2012-04-08 21:18:06 | アート鑑賞記録
 3月上旬から12日過ぎまで草月の花展に参加したり、
 参加する方のお手伝い、先生のお手伝いなどなどが立て込んでいました。
 お陰さまで無事に終了することが出来ました。


 そういうわけで、
 美術鑑賞の余裕がなく、
 3月は後半に気になる展覧に駆け込んできた状態でした。

 *横浜美術館 松井冬子展
  かねてより気になる女流作家で、いよいよの大個展開催に
  心弾ませて鑑賞。
  彼女の心底に流れる暗闇が実は一番輝けるものへと
  蠢いていることにゾクゾクさせられた。
  展覧会場の構成も秀逸、展示に合わせて作られた
  ショートビデオから流れる無機質な心音を思わせる音は
  会場にも響き渡り、声明にも聞こえるようで
  五臓六腑に同調して心地よかった。
  美人であることの、だからこその際立つ尖りに
  圧倒されがちだが、そんなことよりも
  呆れるほどの執着と美しい画力と他を寄せ付けない世界観が
  ひたすら喜ばせてくれた。
  女性だからこそ、心境に近くに寄れることの
  嬉しさも特筆すべき事だろう。
  女体を持つ、ことへの絶望も諦めも誇りも
  女性だからこそだと。
  かくして男性コンプレックスというものを自覚した次第。
  油断のならぬ生き物と抗うことの出来ない自身の
  エロス。
  同調することへの救いなのだと、思えた。
  男性作家の描く美とのつきあい方とは全くもって
  別世界な事にひどく感動したのだった。
  もしかしたら、超美人で、という枕評価には辟易しているのかもしれない。  

 *横浜そごう美術館 細見美術館展
  松井冬子から脳天パンチを頂いた直後で
  雅な世界にすんなり突入できず、
  あらまぁ、なんて華やかなことでしょう、
  な印象で終わってしまって申し訳なかった。
  それにしても典雅なコレクションである。
  光悦と宗達のコラボ作品。
  岩佐又兵衛の歌仙、大作の源氏物語屏風。
  守一、其一の優美な軸。
  沖一峨の薬玉図のあでやかなこと。
  京都の絵師たちの勢揃いは
  細見美術館ならではでしょう。
  芳中のゆるい絵などもあって、嬉しく喜んだ。
  神坂雪佳がずらり並ぶのはお見事だった。
  若冲作もゆるい伏見人形。
  このコレクションでは若冲も穏やかな作がお似合い。
  花見間近のころ、この優雅さにため息を頂いた。
  PART2もあるそうで、そちらも期待したい。

 *森美術館 イ・ブル展
  雑誌情報や、チラシなどから放つ気になるエネルギーに触発されて
  久しぶりに森美術館へ出かけた。
  建築のメタボリズム以来。
  自分のアンテナに引っかかった展覧会に出かけるのが
  第一の動機なのだが、
  この展覧も外れなく好みの世界にヒットした。
  実にクールでかっこよく、美しかった。
  場内の構成も綿密に組まれているオーラが漂っていた。
  最初の天上からぶら下がる肉肉しいオブジェも
  イントロとしては十分。
  作品はどんどん浄化されていくようでもあったが、
  パワーはますます溢れ出て作品と作品がお互いを
  高め合って共鳴してまた六本木の天空にもよくマッチしていた。
  以前現代美術館でその中の一点と出逢っているような気がした。
  ビーズでできたトルソー。
  このイ・ブルの宙づり展示は仰ぎ見ることによって
  逆に見下ろされていることも体験する。
  肉体からの呪縛から解放されていくストーリーは
  松井冬子ともリンクしてくる。
  彼女もまた女体をもつ自我との闘争と諦めに
  内なる爆発を彫像したかったのかもしれない。
  いずれにしても女性は自分の体と向き合っていく時間が必要なのだ。
  何体もの犬の秀作はものの物体を捕らえる力が
  確実なものだと示すのに十分すぎた。
  忘れたくないのは、作品の側にある彼女のことば。
  内省し戦ってきた厳しい目線が姿を変えたことばとなって
  血が通った温かいぬくもりを抱えて漂っている。
  無機質な作品に命を与えているようでもあった。
  
 *日本橋高島屋 法隆寺展
  都内の病院に通院するために伊豆からか通う母と見てきた。
  法隆寺のあの穏やかな異空間から宝物がお出まし。
  聖徳太子二歳像は川端康成が愛したという像を思い出す。
  幼気に手を合わせて真摯に祈る様は実に無邪気で
  純粋を感じる。
  一万円札は聖徳太子で育った世代。
  聖徳太子の偉業もそれで実感できたようでまさに現金なものだ。
  夢違観音さまたちの銅像のなかで素朴な円空仏が
  現れて驚いた。
  玉虫厨子などの模作もあったが
  やっぱり実物も法隆寺まで出かけたいという気持ちが
  勝ってきた。
  あの場所は、本当に特別な気がする。
  百済観音を間近に見るため、
  また近くの中宮寺の弥勒菩薩にお目にかかりに
  ゆったり旅に出かけたいものだ。
  
 *近代美術館 ジャクソン・ポロック展
  来館日が誕生日の人は無料、という企画にほくそえんで
  しっかり当日に某夫人と連れだって鑑賞してきた。
  有名な作品はもちろん圧巻だったのだが、
  実は自画像の凄さに驚いた。
  絵を描くことを始めた頃のポロックの抱えている
  ドロドロの塊はすでにそこに現れているようで、
  その塊とのつきあいが絵画表現であったのかもしれない。
  まるで岡本太郎の色を思い出す作品や、
  30~40年代の時代の影響を近美の長い廊下でスクロールしているようだった。
  絶頂期のポーリングの作品群は
  ピカソを追いかけ、追い越しとてつもない表現を手に入れた
  情熱のほとばしり。
  あの時代、岡本太郎もピカソの存在に阻まれた悔しさがあったのだろうか。
  とてつもない巨匠の技になんとしても抜けなければならない、
  新しい表現を手に入れなければならない、
  そんなことを日々追いかけ続けるのには
  どれだけタフでいなければならないのか。
  同時代の芸術家たちは破綻していたのだ、と同行の夫人から
  伺えば、なるほどどういう時代観があったのかもしれないと感じた。
  受け入れられ、評価を得たら、
  今度はまた変化させていかねばならない。
  芸術家という悩ましい生き方をそのまま
  生きたのではないかと思うくらいポロックは真面目だった。
  真面目すぎたが故のアルコール依存。
  カットアウト。
  これがとても印象的だった。
  44歳で車の事故死。
  今年55歳になった私は何も破壊する塊など持ち合わせていない。
  それが幸せなのか、どうなのか、
  何事もない人生がしあわせなのか。
  ポロックのどうしようもなさを引き受けられる女性もまたなかなか
  現れないことも残酷な現実だと思った。
  鑑賞後にDVD「ポロック」を見る。
  なるほどと思わせる破綻の道筋。
  ポロックになりきったエド・ハリスの役者魂にも感嘆した。

  
 *東京国立博物館 ボストン美術館展
  長年憧れてきた日本美術のいいとこ取りのボストン美術の 
  日本美術のお宝が錦の旗を掲げての凱旋。
  入り口ではコレクションの柱を作った3人の肖像。
  岡倉天心像は芸大美で「彫刻の時間展」では後ろ向きになっていたが、
  今回は堂々と正面を切って釣竿を持っての登場。
  五浦あたりの姿だろうか。
  フェノロサとビゲローは肖像画。
  ビゲローは日本に骨を埋めているはずだ。
  まずは初回するりと鑑賞することとした。
  二大絵巻は体力がないときっちり見ることが出来ない。
  快慶作の菩薩様はやは眉目秀麗。ため息が漏れる美しさ。
  刀、小袖の工芸コーナーが独立していることも嬉しい。
  近代絵画のお歴々には深く敬意を表し、
  ラストの簫白には恐れ入った。
  千葉市立美術館での簫白ショックに繋がる。
  気合いを入れ直して、
  何度も通いたくなる。
  今年一番のゴージャスな展覧に間違いないだろう。
  よくぞ日本にお帰り下さったと。
  来日中に一度は目にしたい展覧であることは確か。

 *目黒区立美術館 メグロアドレスー都会に生きる作家ー 展
  毎年の桜の頃は素晴らしい並木になるはずの目黒川。
  まだその日は雪洞だけでつぼみのまま。
  久しぶりの目黒区立美術館。
  ご縁を頂いたので、ギリギリ会期末に滑り込んだ。
  目黒に居住している作家さんたちなのかはわからなかったが、
  ともかくはすぐ隣で活動している今を動いている若い作家たち7人。
  青山悟+平石博一
   楽譜から音譜が動き出して音が生まれる
   静かな暗渠から光が注ぐ。  
  今井智己
   至って日常な風景でもあるが、
   発色現像方式印画。
   通り過ぎてしまいそうな都会の普段の景色。 
  須磨由希子
   これから解体されてしまうという昭和の薫り高い
   一戸建ての家を丁寧に鉛筆で記憶した。
  長坂常
   建築家としての参加。
   美術館に日常を表現。目黒区立美術館の
   スマートな作りにどこか人の跡が残っているような。
   樹脂で固められた古い大きなテーブルも
   きっと誰かの記憶とぬくもり。
   「関係しない関係」というタイトルもこの場所を
   誰でも気楽に関係して欲しい願いだろう。
  南川史門
   鮮やかな色のパネルが高い天井の壁面にならんで
   心地よい。
   ストライプの区切りで都会的なクールさを表現。
   邪魔しない色使いが泥臭くない、現代を表しているのだろうか。
  保井智貴
   階段を上がったところに二体の犬系な動物。
   奥の部屋にぽつんと人物像が一人、そのずっと奥に
   もう一体。
   今回のチラシに使われた。
   よく見ると驚きの古典的日本工芸。
   漆、岩絵具、膠、黒曜石、琥珀、麻布などが使われている。
   そこの路地を曲がったところに棲んでる
   わんこと、そこのお家の花ちゃん、みたいなかわいらしさが
   ありながら何百年もずっとそこにいるような気もしてくる。
   女の子の衣装がとてもシンプルなのに、古典的な絵柄で
   はかない存在感を放っていた。
  この会場のカフェに作家たちのビデオが流れていて
  作品を作る工程や思いなどを知る手がかりとなった。

美術鑑賞とは別に一大イベントがあったことも。
ブログやTwitterでその活動の綿密さにブログを始めた頃から
大いに敬意を持ち、参考にさせて頂いている
 Takさんが満を持しての執筆。
その名も「フェルメールへの招待」
その記念すべき発行に仲間たちのパーティが開催され、
アートブログの末端であるあべまつもこれはお祝いに行かねばと
駆け付けました。
それが3月3日のひな祭り。
会場には溢れんばかりの人、人。
常日頃の活動と、お人柄のたまもの。
ブログやTwitterはもはや現代の社交場で
情報交換のサロンでもあり、
思いがけない広がりをもたらすことを体験させて頂いている。
それが、自分では決して巡り会えないだろう、
そういう方々とフランクにお話を伺える世の中。
便利なツールはやっぱり使って見るものだとつくづく。
今後も様々な日々を生きている人々とアートを通しての
元気の交換は大切にしていきたいと思った。
そのトップで、Takさんはボランティア精神も素晴らしく
若い人たちの牽引をし、またプロの世界との橋渡しも
心血注いでの活動に、ただただ甘えるだけです。
ここに日頃の感謝をこっそり申し上げます。


そうこうしているうちに
春休み突入です。

もう少し一日一日をぎゅっとしめて
ブログを更新できるよう、努めたいと思います。
と思うばかりですが、ゆるゆるとお付き合い下さる方に
お礼申し上げます。

では、4月、強力な展覧目白押しです。
気迫に飲まれながらも、その嵐に身を任せたいと思います。

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