あべまつ行脚

ひたすら美しいものに導かれ、心写りを仕舞う玉手箱

川端康成コレクション 伝統とモダニズム 東京ステーションギャラリー

2016-06-20 16:33:01 | 美術展




 川端康成のコレクション、と聞いただけでそわそわしていました。
 彼の目に叶ったものがどれだけ桁外れであったか、
 古美術ファンならば垂涎ものを 易々と手に入れていたようで、
 そのグレードの高さにも目眩を覚える方がいると思います。
 
 いつか、その全貌を、鎌倉の旧宅で展示された様子を目にしたいと
 願っていますが、もはや、叶わないことなのかも知れません。

 とはいえ、そのコレクションが拝めるのであれば、
 是が非でもと見に行ってきました。

  「知識も理屈もなく、 私はただ見てゐる」

 そうなのか、とは思いつつも、
 ものを見ることはつまり、そのものに魂が呼ばれ、
 吸い込まれている瞬間なのだろうと、
 そうだ、その通りかも知れないと会場の中に入りました。

 好きか、惹かれるか、よいか、
 それだけでいいのだと教わります。

 誰かのコレクションの導きがあったのではなく、
 川端康成のあの執着したぎょろ目に寄って、
 引き寄せてきたものが集合している、それだけで
 一大事件のように思えてくるところがこちらの
 ノーベル賞受賞文豪、という色目を恥ずかしくも思います。
 すでに閉館の道を辿った、鎌倉の近代美術館は
 鎌倉在住の文化人によって育てられてきましたが、
 その中にも当然、川端康成の大きな存在があったことでしょうし、
 東京国立博物館、東洋館にも
 川端康成旧蔵という名品が展示されることもあります。
 今回の展覧会で、
 あの、ロダンの「女の手」
 ハートの「土偶」
 「聖徳太子立像」太子の幼いお姿。
 池大雅の「十便図」
 与謝蕪村の「十宜図」なんて、国宝です。
 それらを目の前で確認することができて本望でした。

 民芸作家や、表紙絵、挿絵、としての画家たちとの交流
 また、若い画家をサポートし、
 古賀春江作品を沢山有していたことなどなど、
 見所満載でした。

 同時に、切ない初恋文が公開され、
 偉人となると、このようなプライベートな部分も
 容赦なくお披露目されてしまうという事へ
 なんとはなしに、お気の毒感を抱いてしまいましたが、
 彼のうぶな思いは、その後の小説にも活かされていると
 解説されると、ますますいたたまれない気持ちとなってしまいました。

 他、浅草のチラシ、ポスターが面白く、
 見世物の宿命とデザインに興味深いものがありました。

 文豪達の書簡も大変面白かったのですが、
 太宰治の切々と芥川賞を懇願する様は
 まさに、それが太宰治なのだろうと、感じ入りました。

 川端康成の文章と共にある展示でしたから、
 図録も併せて求めました。

 以前、芸術新潮でも特集号があったと思い出しながら、
 その号をみいだせない、怠惰な本棚の持ち主でもあります。
 あぁ、内藤洋子との対談で彼女を見る目が
 なんとも危険なビームを出していたように思い出します。

 吉永小百合、内藤洋子、山口百恵、その前に美空ひばり、田中絹代
 という銀幕スターが踊り子を演じていましたことも、
 人気の小説だったことがわかります。

 6月19日で展覧は終了しました。

 東京ステーションギャラリーは
 秀逸な展覧をヒットさせていると嬉しく感じています。
 次回も楽しみにしています。

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