XT250 3y5と私・・・私と家族

昔、私の青春であったXT250そして子供たち
そして新たな家族に・・・スーパーカブ90のチビちゃんが来ました。

怪奇月食!もとい皆既月食

2014年10月09日 | 仕事・・・
ここ数日、新聞をにぎわす皆既月食、たまたま夕飯、風呂が早く終わり寒いのにお嬢Misaちゃんとカメラ片手に庭に出ましたが近所の家の屋根が月にかかってンー見えません
二人で公園の高台まで走るぞ!
と走りだし角を曲がった時にお嬢が「私いかない!恥ずかしいから」
、なんと私はジャージの上着に下はパンツ一枚でした・・・(笑)
一度帰り身なりを整え出てみると、なんと月は庭から見えるではありませんか、そうでした!地球は回っているんでした慌てるとろくなことはありません、今度は三脚がみつからないよう、
二日位前の夜に近くの最近ライトアップ「飛上り地蔵」に撮影に行き間違いなくいつもの場所に直したはずなんですが、ありません。
もしや、三脚を忘れて帰ったのかとお嬢を車に乗せて「飛上り地蔵」さんへ
二日前の撮影場所を探しましたが見つかりません、頭上では月が煌々と輝いて、月食が始まってます、「Misaはやくしなければおわっちゃうよ、車に乗れ、帰るよ!」あわてて帰り付き手持ちでワープ写真を量産しつつ月が次の家の陰になる寸前にお嬢が「なんで地蔵さんの所で写真を撮らんかったんカメラもあったし」
・・・同じB型のお嬢に言われて気づきました、そういえば地蔵さんの帰り道でも沢山の人が、月を撮っていました。どこでも撮れたんでしたね
まあ沢山のワープ写真も入れて14~15枚撮れました
怪奇月食!かな皆既月食かな?
小さい


ン?


ワープ


ぶれでした


今日の朝、通勤時に三脚を発見!Myカーの後部座席にポンと置いてありました
今日は自分のあわてん坊な性格を反省すべく、会社で静かに音楽を聴きながら丸一日過ごそうと決めて沢山のCD を抱え応接室へ、同僚が上司に聞かれたそうです「彼は何をしてるんだね」同僚は笑いをこらえながら「自分の性格を反省しているらしいです・・・クス」上司は「あまり思い詰めないようにいっておいてくれ」と出張に出ていきましたよと連絡が入り、後はゆっくり反省できました、聞いたCDは、森田童児2枚、中島みゆき2枚、松任谷由実2枚、長渕2枚、甲斐バンド1枚、松山千春1枚その内ウトウトしてきて寝るために 喜太郎のシンセ FULL MOONを聴きながらゆっくり反省できました(笑)



晴天の霹靂かな?

2014年09月17日 | 仕事・・・
最近、いそがしいです
少しコメントに書きましたが、私たちの業界にもいろいろと変化があり、私も少しですが翻弄されています(笑)
業界には【A】部門と【B】部門がありここ5年程新入社員は【A】ならびに【B 】で教育を受けていますこの道10年、20年という人でも【A】>【B】ですが多少は【B】もこなします、で私はどうかというと【A】を極めること32年【A】のみを歩いてきました・・・いろんな取材も受けました、NHKのカメラマンにビデオに撮られたこともありました、でも私は裏方に徹しました大道具や小道具や照明、音響、プロデュース、悪魔や天使役までこなしながら、名前を隠し、顔を隠し儀式の中で確かな技のみを見せてきました。
そしてそれは私の先輩達が歩んできた道でした、闇よりまだ暗い漆黒の中で、百鬼夜行を侍らして自分はに徹し蛍の灯を耀かせながらも決して正体をあきらかにせず、老いては私に道を譲り静かに朽ちていった大先輩、先逹の願いでもあったと思ったからです。
その為、私は【A】の習得、技を極めるために全てををかけましたその結果【B】は完全に無視しました、というか邪魔でした。
しかし世の流はそういった思いになんの頓着もせず日の光の下に引っ張りだし順位を付け【B】部分が光の部分であることをいいことに、「【B】をもってない場合は【A】 をする資格なし」と定めました、【B】は資格試験があります、それも6段階です。
後輩たちは入社後または大学在籍中に【B】の一番下の資格は取っています。
でも私はなんの資格もありません、でもこの先あと40年【A】をやらなければいけません(これは20代後半、道半ばで亡くなった同期の友との約束です)、奈良県の山奥で小さな滝にうたれながら願もかけています酒も絶ちました・・・(笑) (^-^)v
で、会社と話を付けて【B】の一番下の資格をとってくれれば、【A】をやり続けていいことになりました。
おかげで、この八月、九月は後輩たちに【A】 の講習会を開きながら【B 】の資格をとるために試験勉強をするというハードな日々を楽しみながらおくっています。
わがままな私です、「試験勉強だ!」ということで応接室に教材資料とXT部品を持ち込んで我が部屋のように過ごしています。




2012年度、新年会

2012年01月15日 | 仕事・・・

2012年1月14日夜~!


会社の新年会です、場所は湯田温泉「西の雅常盤旅館」



ここは仕事でもお世話になっているところです、今回の幹事はわが社の青年会の後輩たち、あまりわがままを言わずに任せておきましょう。


わが社のメンバーと各取引業者さんの人たちで大広間はいっぱいです。


乾杯の音頭のあと30分もしないうちに、各自席を立ちあちこち歩き回っています、あっちで乾杯こっちで乾杯。


上手に流れ出しましたので私は喫煙場にこっそりと移動します。


タバコに火をつけて一服・・・至福の時間。


1人でゆっくり吸っていると・・・来ましたきました・・・取引業者さんたちの面々。


「さんぺいさん、絶対ここだと思いましたよ」・・・


私が1年365日24時間タバコをくわえているのを知っている可愛いやっらです。


やっぱりタバコの吸えない新年会はだめでしょう、全業者さんと挨拶を交わせました。


10年ほど前に私の友人の祖父が逝去されました98歳死ぬまでエコーを1日2箱を守り抜いた達人です。


私がエコーを吸うようになったのも昔友人の家に遊びに行ったとき、こっそりくすねたこの爺さんのタバコでした。



このお爺さんにあやかって私も毎日2箱のエコーを吸いつつ98とはいわずとも96まで元気でいたいものです。


初めて煙にむせてより40年、あと40年間は吸えるぞ。


料理よりも酒よりもタバコ!1にタバコ2にタバコ3、4がツーリングで5にタバコ。


今年も良い年になりますようにと、くわえタバコで全業者さんと挨拶を交わしました。


 


 


 


防府 「満願寺」、「稲荷大神宮」、「阿弥陀寺」

2011年12月06日 | 仕事・・・

http://blog.goo.ne.jp/sanpeikun4324


 満願寺、屋根のアールが特徴的です


仕事中ですあくまでも仕事中です・・・まずは防府天満宮横の真言寺院、満願寺へそしてその横にある稲荷大神宮を見学します。


ついてきていた後輩君は不思議顔??? 「さんぺい先輩・・・なんで寺と神社がくっついているんですか」


・・・「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)というのは、神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論で、平安時代に成立しました。その基礎には仏教以前の山岳信仰と修験道などの山岳仏教の結びつきがあったといいます」


とりあえずこういった意味を少し簡単にかみくだいて説明しましたが、はたして分かってくれたのかどうかはわかりません。


ただそのあと阿弥陀寺に紅葉を見に行った時に、「アッ!春日神社があった・・・」と納得していました。


満願寺の紅葉はもう遅く、阿弥陀寺の紅葉はこれからでしょうかねやはり山の中は少し遅いみたいです。


 


山口市 吉敷龍蔵寺の大銀杏

2011年11月30日 | 仕事・・・

今日はサボっているんではありませんよ、お仕事です。山口市の吉敷の山の奥にある真言寺院、龍蔵寺に来ています。


もう一度言います!サボっているのではありません、仕事の後に境内のお散歩です。


不動明王の前でボーゥとして鼓の滝の先端に見入っていたら


 


それは然はじまり出しました。


 


本当に突然でした。


それは音も無く突然に始まりました、一斉にイチョウの葉が散り始め。やがて、激しく落下する黄葉は、黄色の玉簾を下ろしたように視野をさえぎり、ひとしきり続いた葉っぱのスコールが静まり、最後の一枚が枝を離れるのを・・・」



私の好きな紀行文の一小節ですが、本当にそんな感じで散り始めました、こんな日にこんな時に巡り合えたなんて本当に幸せですね。


見る間に辺り一面金色に染まっていきました。


私は昔から銀杏のこの潔い散り様が好きでしたしいつも潔くない私のあこがれでもありました。


「ある古老の話では一気に葉を落とす年はドカ雪が来る」と言うことです。


 


 


 


小鯖 禅昌寺でお手伝い

2011年11月30日 | 仕事・・・

http://blog.goo.ne.jp/sanpeikun4324


今日は自分のお仕事をサボって、小鯖 禅昌寺に友人のお手伝いをしに行きました。


東日本大震災のイベントが明日あるからです、山口県曹洞宗青年会の人たち(次の世代の住職)が一生懸命に作業をしておられました。


彼らは仏門の徒、人を救う仏の道を歩いているのですからこの3月から何度となくボランティアに行っておられました。


そんな彼らがチャリティーをして少しでもその収益が役立てばと頑張っておられるんですね。


私の友人はこの200人からいるお坊さんたちを取り仕切るトップです。


今は大きなお寺の住職さんです。


昨日、私の同僚君がたまたまこの人とあい、「さんぺいさんは元気にしておられますか・・・」と言われたらしいです。


・・・今日の私は大きなプロジェクトを抱え朝から走り回り、やっと一段落ついて精魂つきてフラフラでした・・・が友人のためにと頑張って禅昌寺に顔を出したのでした・・・



車から降りて足はフラフラ千鳥足!それでもなんとか頑張って庫裏までたどり着きました。



「・・・さんは来てるか?」小坊主に聞きました「今日は来てないですよ、それよりさんぺいさん手伝っていただけるのですか、ありがとうございます」


ここまでくれば仕方がありません「OK!手伝うよ」とテーブルをもった瞬間、フラフラーときてガシャ~ンと倒しちゃいました。


軽いものをと旗を持った途端なたなびく旗にくるまれて せっかく設定していたモノの上に倒れましたガラガラガッシャン!!!


・・・手伝いに来たのかジャマをしにきたのかわかりませんね。


何もしていないのに「おつかれさまでした!」と見送られ帰路についたんです。


手にはしっかり真面目に最後までお手伝いをした人にだけ配られるラムネとお菓子を握らされていました・・・(汗)


今日は疲れきって散々な日でした。


帰ってから後輩君には真面目に作業をしたからもらえたんだぞ!と行っておきました。


それより後輩君、こんなシールを自家用車に貼っていたんです。



しばらくは横目で見て知らん顔していましたが・・・


やっぱり欲しくなっちゃいました、それを言うと彼の顔が一瞬曇りました。


きっと、さんぺい先輩のことだからべりべり剥がすんじゃあないかいなと、心の中で思った顔でした。


でも大丈夫、剥がした中古品より・・・フフ!必ずどっかで手に入れてやると心の中で誓いました。


まあ今日も一日、「面白くて楽しい一日が過ごせました」、体はガタガタですけどね。


明日も楽しい一日でありますように!


 


 


 


 


 


 


今度は長崎県に日帰りで・・・

2011年09月29日 | 仕事・・・

私はタクシー運転手ではありません、もちろん長距離トラックの運転手でもありません。


ただのしがない営業マンなんですが・・・


この間の鹿児島までのキャノンレース、もとい長距離に味を締めて、なんかあったらすぐ行くよ、私に言ってきてねと上司に言っていました。


で、今日です!我が社に研修に来ていた30代のプログラマーAさん、まあ大事な取引先のご長男さんなんですが、私になついていまして・・・そして今日が帰社日、長崎県の浦上です!


観光をかねてお送りすることになりました、車は前回とおんなじトヨタ エスティマ特別仕様車、助手は去年入社の後輩君。


会社内で前回のキャノンボール、いや長距離の話がひとり歩きしていたらしく出発前に上司から釘を刺されました 


「さんぺいさん頼みますよ、大事なお得意先の御子息様ですから大事に丁寧に安全にお送りしてくださいね、それと若い子を助手に付けておきますからその子の教育も頼みます・・・」


ただでさえ緊張していた後輩君、これでガチガチです。


Aさんはこの6ヶ月間の研修中、弟の様に可愛がってきた方ですから私の教育が骨の髄まで染み込んでいます、私の前では「はい」しか言うなと教育していますし私のサボリいや、バイク整備も手伝わせていますので、プログラマーの白魚のような細い手の爪の中はオイルが染み込んでいます・・・キャノンボールの話も知っておられます(笑)


高速に乗ってすぐに後輩君に聞きました、「君は最高何キロ出したことある?」


後輩君「80kmか90kmです・・・」


「次のパーキングで運転を変わろう」・・・「はい!」、うちの後輩はみんな素直です、私の前では「はい!」しか言いません・・・(笑)


Aさん・・・「200kmのおおだいですか」


私「何を危ないことを言っているんですか、安全運転ですよ」


車内は大爆笑です



後輩君の緊張も取れて、何回も休憩を挟みながら長崎に行ってきました、大役が終わり無事に送り届けて、さて観光でもしようと街に繰り出しましたがそのときからバケツをひっくり返したような雨が・・・市内は大渋滞です。


長崎も36年ぶりなんですがね・・・平和公園やほかの名所旧跡も、車の中から眺めるのがやっとこさです。


雨はどんどんひどくなってきます、あきらめて高速に乗り先ほど21時30分に帰ってきました。 


なんの写真も撮れず、なんにも味わえずの長崎旅行でした、いや、仕事でした。


初めて来た後輩君がかわいそうなので佐賀県のパーキングで美味しいものを食べて、めかりSAで佐世保バーガーを食べ気分だけ味わって帰ってきました。


片道400kmちょうどよいひまつぶしになりました・・・笑い!


 


 


CBX750FE RC-17E 見てきました

2011年09月28日 | 仕事・・・

「さんぺいさん営業に行ってきてもらえますか」、上司のやさしいお言葉をもらいました。


同行はYBR125の後輩君、二人は一気にワープしてCBX750F RC-17Eを見に行きました。


走行距離25000kmの1984年式 CBX750F RC-17Eです。


最後に動かしてから5年の歳月が経っているらしいですが、さすが屋根つきのガレージ保管、ブレーキの固着もなく軽く前後に押し歩きができました、しかしフロントタイヤ空気少なすぎです。


しかしさすがに5年・・・すごいホコリです、まあホコリに覆われていたのが幸いしてサビは思ったより出ていませんレストアできる範囲でしょうね。


タイヤ前後交換してから1度軽く乗っただけは本当みたいです、ひび割れも一切なくゴム質も許容範囲、走行可です。


シートは専門業者にアンコ抜きをしてもらい足付性を高めていますこれもホコリにおおわれていますが軽く拭き取ると、新品のシートが現れました、これも制作してもらってから1度乗っただけとのことは本当みたいです。


160cmの私が片足ピッタリ届きます。


マフラーは4イン1のヨシムラモドキのブラック集合菅(もしかして本物のヨシムラなら、オークで売り払うも良し)、ただちょっとこれがひかかります、車検に通らないかも、純正マフラー無しですし、集合を付けるためにセンタースタンドも外していますしこれも無いらしいです。



エキパイはすごいサビが出ていますがドライバーでほじったところ、サビ取りしても大丈夫なだけの肉厚は保っています、純正を入れる予定ですからあまり気にしてはいませんが。


ノーマルマフラーがステッププレートの固定に使われているので、 集合いれているのでステップがぐらぐら状態。


純正マフラーは4-1-2でとても静からしいです。


フロントホークインナー、点サビ多数、シールの破れ、オイル漏れなし、上下運動正常。


タンク内サビなし、揮発しかけているガソリン満タン状態、ガソリンコックONにしたままですので、キャブレターは間違いなく分解、清掃しなければいけないでしょうね・・・4つか!


バッテリー完全死亡。


デカール類全て剥がしてあります。


 


鍵、1個純正あり、書類全て揃っています。


問題点


1、この場所からどういう方法で家まで移動させるのか? ←これが一番問題です。


2、自宅保管場所及び会社内保管整備場所は確保できるのか 乾燥重量230kg 


3、CVキャブの分解は初めてです。


4、4発の同調はやったことがありません、スキルアップのためできるだけ自分でする予定ですが・・・触媒検査?


5、もし動いたとしたらユーザー車検に挑戦するつもりですが・・・出来るのでしょうか?


6、絶対されるであろう、家族の冷たい視線、態度・・・


前途多難です。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


CBX750・・・の話が?

2011年09月27日 | 仕事・・・

いろんな話が舞い込んできます・・・この間のXJR1300、そして今日は会社のお得意さん(業者さん)B氏からCBX750の話が・・・


B氏の話・・・若い頃からバイク好きで、本格的にトライアルをしておられたそうな、当時のヤマハTY250をフルチューントライアル仕様270ccにしていたらしい。


そして私とおんなじで大学卒業時、北海道熱にかかりツーリングのためにCBX750を購入して北海道に2回行かれたらしいです・・・(私は3回行きましたが)


B氏からの突然の申し入れ、「3年前までは乗っていました今は車検は切れていますが、程度良い状態で屋根つきガレージで保存しています」、「病気をして体力不足で乗らなくなりました、仕事がいそがしいしもうですから生涯乗らないと思います」


もう年?・・・「ちなみに何年生まれですか?」どう見ても私より若そうです・・・


B氏「昭和36年です・・・もう50の大おおだいに乗っちゃいました」


ゲッ!私の弟と一緒じゃないですか、ということは私も年寄りなんでしょうかネ・・・言えませんが思いました。


私の親父は69才までCB750 K0に若い女の子を乗せて走っていましたが・・・これも言えませんが思いました。


「さんぺいさんはおいくつですか」、「Bさんより3つ年上です」


・・・「すごいですね、いつまで乗り続けられるんですか」、私「最低限、親父には負けたくありませんし・・・一生涯です」


という話から乗り続けてくれるなら、「さしあげます」という話になっちゃいました。


「エンジンかかるようにしておきます、今度の休みに見に来てください」


触手は動きます1300ccフルサイズ、フルパワーじゃなくて(きっと寿命が縮まります)、乗ったことのある750ccバイク、それもシャフト駆動でいろんなものがメンテフリー。


今度の休みの日にビール1ケースもって見に行こうかな・・・


でもなんで足の短い私にばかり大型バイクの話がくるんでしょうかね・・・?


 


 


 


 


 


 


桜島と馬刺し

2011年08月30日 | 仕事・・・

2011年8月20日のお昼前平和な時間、突然ですよ・・・仕事が暇なのでXT君の外して磨いている17インチホイルのスポークをくわえタバコで組んでいました。


もうすぐ昼食です、アルバイトの男の子と今日はどこへ食べに行くべえかなと話していましたら・・・


携帯が鳴って・・・上司です、「さんぺいさん今から鹿児島の肝付に・・・、・・・できる?」



山口で品物を受け取って、今日中に鹿児島県肝属郡肝付の山の中まで届けてきて欲しいんですとのこと。


そこらの煙草屋さんまでハイライト1個買ってきて!みたいな軽い調子で言われました。


いつも仕事中のバイクいじりに目をつむってくれている上司さんです。


私も近所にお使いに行くような軽い感じで、「いいですよ」と受けました。


後輩君に地図をとらします・・・「さんぺい先輩、片道約500km/hぐらいですね」こちらも軽い感じの受けごたえ。


往復1000km/hか・・・同期の人に助手を頼み2人でお昼12時に小郡インターから高速に乗りました、車はエスティマ特別仕様車、軽く踏んでもグングン加速します、ガソリン代は会社持ち、高速代も先方の会社持ち。


私たちにも少しですが手当も付きます。


ETCでフル仕様・・・楽しいです!小郡から出て壇ノ浦PAで早くもストップ、昼食べてないことに気づきドライブインで美味しいものを堪能して「♪鹿児島まで高速代ガソリン代会社持ち?」、鼻歌気分で九州高速を疾走します。


仕事にかこつけた私たちの計画はこうです。


1、できるだけ早く新幹線並みのスピードで大隅半島肝属まで行っちゃいます。


2、できるだけ早く引渡し書類上の処理を終わらせ、できるだけ早く高速で熊本まで戻り・・・馬肉です、甘い馬刺しが私たちを待っています。



3、できるだけ馬刺しを食べて満足してまたぶっ飛んで帰社する・・・GPSと勝負します。


GPS付きETCには到着予測時間が出ています、私たち男の子がこれを見て考えることは只ひとつ、18時予定なら17時には着きたい、機械如きに負けるわけにはいきません・・・


今日は覆面が多いです、でも野生の感で生き延びます。


18時00分が17時55分になり17時30分になり、助手さんのトイレ休憩で17時45分戻り、私のタバコ休憩で17時55分に戻り(ちなみに禁煙車です)、熊本のPAでゆっくりお土産を見たりして18時00分に戻りました。


それから後はモナコGPです一気に時間の短縮に成功。


でもここで悪魔のお電話、鹿児島空港出口の手前で会社からのTELが入り空港で一度降りて先方の会社の人をつんでいってくださいと・・・


会社は鍵がしまっているらしいです。


空港ホテルの前で待ちます・・・待ちます・・・来ません、当たり前です会社は単純に80km/hで割った到着時刻を先方に伝えています。


私たち元気な男の子は(50過ぎても男はおとこです)たまたま車のGPSETCに付いていた到着予測時間をなんとか短縮させるか、機械には負けねえぞ、の気持ちで爆走しています。


空港ホテル前で40分待ちました振り出しに戻ってしまいました。


国分まで隼人道路(東九州道)をのんびり走ります、右手には思ったより大きな桜島が見えています、36年前に原付MR50でこの島に来んだなあ・・・感傷で胸がチクチク痛みます。


他社のお客さんを乗せてまで無茶な運転はしませんよそれにYさんは老齢な80才ぐらいのおじいちゃんですしね・・・


溝辺鹿児島空港から約60km大隅湖を見ながら山の中の葛篭折りをWのタンクローリーを先頭に20km/hで走ります。


2時間かけて会社にたどり着きました、倉庫に物を搬入し事務処理は手馴れた同僚に任せ、私は帰社のためのETCをセットして運転席で同僚を待ちました、GPSは山口小郡IC到着予測時間を30日午前1時40分を表示しています。


同僚が来ました、後ろのドアを開けました・・・エッ!


そうでした連れてきた以上は連れて帰らねばいけませんでした。


1時間かけて鹿児島空港に行きA氏を降ろし高速にかけ上がります、予測時間は30日午前1時55分を指しています。


またまたラグナセカサーキットに変身した高速を右に左に走りぬけます・・・


馬刺しは・・・完全に忘れていました八女まで爆走して到着予測時間1時00分まで短縮させて、お腹がグーゥウウとなってから気がつきました・・・ああ・・・馬刺しが・・・馬肉が。


今更どうにもなりませんです、開いているPAで残り物の丼をかき込んで、車の運転をおとなしい性格の同僚君に交代しました。


助手席からETC君に「負けました!すいませんでした」と声をかけて眠りについたらしいです。


ETC、GPS、思えばこいつと半日以上に渡って競い合ってきました、負けて少し悔しかったけれど、なぜか苦楽を共にしてきた戦友のような気持ちで腹も立ちません、次回は勝ってやるからな。


おとなしめのスムーズな運転の同僚君の運転で気持ちよく熟睡しました、めかりPAでタバコ休憩で止まったときにタバコをすって戻りETC君を見たときにビックリして同僚君を見ました・・・


到着予測時間30日午前0時45分・・・同僚君の顔は照れたように笑っています。


私が寝入っているまに彼は頑張ってくれていたのです、私より2才上で私の仕事上の後輩=同僚君


おとなしくて、物静かでうだつの上がらない性格なんですが、私の為に頑張ってくれていたんです、いや彼も昭和の30年代生まれ、なにか心に熱いものがあったんでしょうね。


「いくぞ!」、「OK!」私は安心して眠りにつきました、山口到着0時30分でした。


ETC君になげキッスをして同僚君と握手をして帰りました、家で暑い湯船に浸かりながら・・・あっ!今日は早出当番だ・・・


2時に寝て5時半に起きて・・・今日一日だるかったです、昼前に同僚君と会議で会いましたお互いポーカーフェイスで私はサムアップサイン、彼はピースサインで無言でお互いの労をねぎらいました。


私たちは昭和の30年代に生まれ、そういった時代を生きてきたんです、日本が、世界が変わっていくのをワクワクドキドキして見ていたんです東京オリンピックや人間が月に立った時や、中島みゆきや吉田拓郎、松任谷由美、サザン多くのスターたちを見て。ディスコヤ、キティーランド・・・


バブル景気があってバブルが弾けて、その中を無我夢中で模索しながら歩いてきました。


おっと脱線しました、同僚君の生き方に万歳です!