2011年8月20日のお昼前平和な時間、突然ですよ・・・仕事が暇なのでXT君の外して磨いている17インチホイルのスポークをくわえタバコで組んでいました。
もうすぐ昼食です、アルバイトの男の子と今日はどこへ食べに行くべえかなと話していましたら・・・
携帯が鳴って・・・上司です、「さんぺいさん今から鹿児島の肝付に・・・、・・・できる?」
山口で品物を受け取って、今日中に鹿児島県肝属郡肝付の山の中まで届けてきて欲しいんですとのこと。
そこらの煙草屋さんまでハイライト1個買ってきて!みたいな軽い調子で言われました。
いつも仕事中のバイクいじりに目をつむってくれている上司さんです。
私も近所にお使いに行くような軽い感じで、「いいですよ」と受けました。
後輩君に地図をとらします・・・「さんぺい先輩、片道約500km/hぐらいですね」こちらも軽い感じの受けごたえ。
往復1000km/hか・・・同期の人に助手を頼み2人でお昼12時に小郡インターから高速に乗りました、車はエスティマ特別仕様車、軽く踏んでもグングン加速します、ガソリン代は会社持ち、高速代も先方の会社持ち。
私たちにも少しですが手当も付きます。
ETCでフル仕様・・・楽しいです!小郡から出て壇ノ浦PAで早くもストップ、昼食べてないことに気づきドライブインで美味しいものを堪能して「♪鹿児島まで高速代ガソリン代会社持ち?」、鼻歌気分で九州高速を疾走します。
仕事にかこつけた私たちの計画はこうです。
1、できるだけ早く新幹線並みのスピードで大隅半島肝属まで行っちゃいます。
2、できるだけ早く引渡し書類上の処理を終わらせ、できるだけ早く高速で熊本まで戻り・・・馬肉です、甘い馬刺しが私たちを待っています。
3、できるだけ馬刺しを食べて満足してまたぶっ飛んで帰社する・・・GPSと勝負します。
GPS付きETCには到着予測時間が出ています、私たち男の子がこれを見て考えることは只ひとつ、18時予定なら17時には着きたい、機械如きに負けるわけにはいきません・・・
今日は覆面が多いです、でも野生の感で生き延びます。
18時00分が17時55分になり17時30分になり、助手さんのトイレ休憩で17時45分戻り、私のタバコ休憩で17時55分に戻り(ちなみに禁煙車です)、熊本のPAでゆっくりお土産を見たりして18時00分に戻りました。
それから後はモナコGPです一気に時間の短縮に成功。
でもここで悪魔のお電話、鹿児島空港出口の手前で会社からのTELが入り空港で一度降りて先方の会社の人をつんでいってくださいと・・・
会社は鍵がしまっているらしいです。
空港ホテルの前で待ちます・・・待ちます・・・来ません、当たり前です会社は単純に80km/hで割った到着時刻を先方に伝えています。
私たち元気な男の子は(50過ぎても男はおとこです)たまたま車のGPSETCに付いていた到着予測時間をなんとか短縮させるか、機械には負けねえぞ、の気持ちで爆走しています。
空港ホテル前で40分待ちました振り出しに戻ってしまいました。
国分まで隼人道路(東九州道)をのんびり走ります、右手には思ったより大きな桜島が見えています、36年前に原付MR50でこの島に来んだなあ・・・感傷で胸がチクチク痛みます。
他社のお客さんを乗せてまで無茶な運転はしませんよそれにYさんは老齢な80才ぐらいのおじいちゃんですしね・・・
溝辺鹿児島空港から約60km大隅湖を見ながら山の中の葛篭折りをWのタンクローリーを先頭に20km/hで走ります。
2時間かけて会社にたどり着きました、倉庫に物を搬入し事務処理は手馴れた同僚に任せ、私は帰社のためのETCをセットして運転席で同僚を待ちました、GPSは山口小郡IC到着予測時間を30日午前1時40分を表示しています。
同僚が来ました、後ろのドアを開けました・・・エッ!
そうでした連れてきた以上は連れて帰らねばいけませんでした。
1時間かけて鹿児島空港に行きA氏を降ろし高速にかけ上がります、予測時間は30日午前1時55分を指しています。
またまたラグナセカサーキットに変身した高速を右に左に走りぬけます・・・
馬刺しは・・・完全に忘れていました八女まで爆走して到着予測時間1時00分まで短縮させて、お腹がグーゥウウとなってから気がつきました・・・ああ・・・馬刺しが・・・馬肉が。
今更どうにもなりませんです、開いているPAで残り物の丼をかき込んで、車の運転をおとなしい性格の同僚君に交代しました。
助手席からETC君に「負けました!すいませんでした」と声をかけて眠りについたらしいです。
ETC、GPS、思えばこいつと半日以上に渡って競い合ってきました、負けて少し悔しかったけれど、なぜか苦楽を共にしてきた戦友のような気持ちで腹も立ちません、次回は勝ってやるからな。
おとなしめのスムーズな運転の同僚君の運転で気持ちよく熟睡しました、めかりPAでタバコ休憩で止まったときにタバコをすって戻りETC君を見たときにビックリして同僚君を見ました・・・
到着予測時間30日午前0時45分・・・同僚君の顔は照れたように笑っています。
私が寝入っているまに彼は頑張ってくれていたのです、私より2才上で私の仕事上の後輩=同僚君
おとなしくて、物静かでうだつの上がらない性格なんですが、私の為に頑張ってくれていたんです、いや彼も昭和の30年代生まれ、なにか心に熱いものがあったんでしょうね。
「いくぞ!」、「OK!」私は安心して眠りにつきました、山口到着0時30分でした。
ETC君になげキッスをして同僚君と握手をして帰りました、家で暑い湯船に浸かりながら・・・あっ!今日は早出当番だ・・・
2時に寝て5時半に起きて・・・今日一日だるかったです、昼前に同僚君と会議で会いましたお互いポーカーフェイスで私はサムアップサイン、彼はピースサインで無言でお互いの労をねぎらいました。
私たちは昭和の30年代に生まれ、そういった時代を生きてきたんです、日本が、世界が変わっていくのをワクワクドキドキして見ていたんです東京オリンピックや人間が月に立った時や、中島みゆきや吉田拓郎、松任谷由美、サザン多くのスターたちを見て。ディスコヤ、キティーランド・・・
バブル景気があってバブルが弾けて、その中を無我夢中で模索しながら歩いてきました。
おっと脱線しました、同僚君の生き方に万歳です!