XT250 3y5と私・・・私と家族

昔、私の青春であったXT250そして子供たち
そして新たな家族に・・・スーパーカブ90のチビちゃんが来ました。

4ペケティー君の新たな旅立ち

2008年05月18日 | ヤマハXT250 3y5
長男のDT50、私のXT250(3y5)の2台のミッションオイル交換。DT50は700cc
XT250は1300ccです ドレンボルトを開け古いオイルをダーッと出して新しいオイルを規定量いれます。作業手順ですがどちらもアンダーガードがついてましてXT250はアンダーガードに穴が開いていてどドレンボルトの顔がのぞいてますおかげで簡単にスパナが入ります。DT50はアンダーガードを10ミリのねじを2本はずし取り除いてからドレンボルトを発見しスパナで緩めます。作業自体はXT250がはるかに簡単早いですね。
ビックリしたのはDT50の抜いたオイルが真っ白だったことです・・・

ペケティー君の新たな旅立ち②

2008年05月10日 | ヤマハXT250 3y5
2008年5月9日 鋭く鋭利にへこんでいたタンク。こけてもこんなところ打たないだろうと思うところを、鋭くへこませていた。今日は会社の宿直、タンクの修理、塗装に挑戦する。まず剥離材でタンクの塗装をきれいに剥ぐと、簡単に剥げると思ってたが塗装が厚い・・・もう一人の同僚の手も借りて2時間ばかし黙々とペーパーがけ。やっと剥げた、鋭い凹みをホルツのパテで埋め後はひたすら80番、320番、1000番のペーパーがけそしてきれいに洗い乾かす。会社にはいろんな道具があるから仕事が速いですよ、ツルツルのタンクを紐で吊るしまずホルツのサーフェイサーを吹きかけ、乾燥後ウレタン塗料です。シルバー(レビン、トレノに使われてた)を乾燥させながら3度吹く。
ここで深夜の1時でした。今日はここまで。

ペケティー君の新たな旅立ち①

2008年05月08日 | ヤマハXT250 3y5
250キロ程度のツーリングに行って来ました。
場所は日本海 青海島と角島です宇部から美祢経由で行きました。
   相棒は・・・長男 ヤマハDT50です原付だよ(軽く90キロ出たけど)
   30キロ制限のDT50について走りますペケティーは5速で35キロまで守備範囲ですなんせトルクが低速よりで発生します(2.0kg・m/6500rpm)40キロぐらいがドコドコとちょうど気持ちのいいスピードですから、新緑の山中をトコトコと走りながら僕はペケティーの心臓の音にうっとりとして身を任せてます。高村光太郎の詩が口をつきます「あれが阿多多羅山(あたたらやま)、あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。この大きな冬のはじめの野山の中に、あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。」本当にうっとりとねむるような頭のなかです。青海島は青春の思い出・・・ペケティーはしっかり走りきってくれました。
   

久しぶりの出会いそしてエンジン始動②

2008年05月05日 | ヤマハXT250 3y5
若いニイちゃんの書類に印鑑を押すと彼ははやてのように消えて、後にポッンとYAMAHA XT250 3y5がはずかしそうに立っていた・・・無言の対面がしばらく続くあまりにもあっけないない再会、朝のしじまのなかで頭の中は本当に真っ白だった。ぼろぼろでサビだらけだったペケティー(XT250 3y5のことをこう呼びます)君はフレーム全塗装されエンジンもサビとり耐熱ブラック塗装されてましたフロントサスもきれいなものです、あの最初写真を見たときのペケティーがこんなにきれいになってるなんてペケティーも照れているのかずーとそっぽを向いていました。庭に押して入りキーをまわしキックをする・・・かからず? おっと今朝は冷え切った空気だとチョークを引きキックをもう一発踏み込むと、ドゥリュン、ドドドド・・・エンジンがかかりました、ペケティーにウインクしました、そして話しかけました。チョークを戻した彼はエンジン回転1250で安定して回りながら私を見て笑っていました。別れと出会いを重ね彼も私もまた新たな旅立ちの舞台に立てました。空は快晴です最高の出会いの日です。

久しぶりの出会いそしてエンジン始動

2008年05月05日 | ヤマハXT250 3y5
XT250 3y5を出していて山口県から一番近い店。福岡にあるバイク屋に打診後すぐさま楽天に出された評価とわざわざ撮っていただいた数枚の写真が、パソコンに送られてきた。がたがたボロボロサビだらけ・・・一瞬、引いてしまいました!!
エンジンはかかるとのこと。それにメールでのやりとりの中で店の誠実さがわかったのでこの機種に決める。そして・・・2008年4月18日午前6時00分 寝こみを襲うかのようにピンポーンとパジャマで出てみると「バイクを持ってきました」ハンコウくださいと若いニイちゃんが立ってました

XTの思い出②

2008年05月04日 | ヤマハXT250 3y5
がむしゃらに働きふと気がつくと50歳・・・37歳のとき震災に会いXT250と別れバイクや旅や夢のすべてをあきらめていた。そして今年長男、大学合格 自宅から通うため原付の免許を取った そして我が家へ YAMAHA DT50がくる。そしてある日「お父さんツーリングに行こうよ」と言ってきた。震災のとき5歳だった子が、私がいつもXT250に乗っていたことを、お父さんはバイクに乗ってたと、かすかに覚えていたらしい。
 不思議なことに僕も去年の暮れから震災で写真もなくなってしまっていたXT250をあまりにも哀れに思い、パソコンのホームページでXT250の写真を集めていたのだった。
だからヤマハのXT250 3y5をもし買うとすればどこに中古が在るのか日本中で売りに出されていた店はある程度把握してました。