XT250 3y5と私・・・私と家族

昔、私の青春であったXT250そして子供たち
そして新たな家族に・・・スーパーカブ90のチビちゃんが来ました。

なつかしの充電器 New Goody GO-3A

2012年06月17日 | 夢…思い出


懐かしい充電器が出てきました、当時大阪府箕面市にあった南海部品で購入した思い出があります。


今からもう何25年以上前になろうか・・・6Vと12Vの切り替えが付いていて安かったような思い出があります。


このあと7軒以上の転居を繰り返し(伊丹市×2軒、宝塚市×1軒、柏原市×2軒、宇部市×2軒)ずっと工具類のそばに箱に入った常態で黒のゴミ袋にくるまれて、ガムテープでグルグルまきにされて・・・


阪神大震災の時も私のそばを離れずに・・・


見つけたのは去年の夏です、何が入っているんだろう?と汚いガムテープをはがして破れかけたビニール袋を剥がしました、エッ!・・・


少し涙が落ちたかも知れません、クリーム色と薄緑色の箱に包まれた充電器が出てきたのです。


当時まだ10代後半か20代前半の私が浮かんできました。


箱はネズミがかじったのかボロボロです、ゴキブリの糞がいたるところに散らばって落ちていました。


仕方なく処分をしました


 そして今回XT250君の12Vバッテリーを充電するのに家の中に持って入りました3Aのヒューズも当時のまんま付いてます、電源を入れました・・・パッと輝くランプ、生きてました!半日XT君のバッテリーを充電してみて使えること完動していることがわかりました。


幾多の苦難を乗り越えて生きてきた戦友ですね。


次男君が欲しがっています、今はまだあげれませんが、いいでしょういつか彼の持ち物として次の世代にも活躍してくれるんならそれこそ最高のプレゼントですから。


深夜の可愛い不良たち

2012年04月12日 | 夢…思い出

九州夜間飛行いや夜間走行が面白かったのか、今夜も次男君が声をかけてきました。


長男次男そして私の我が家の男たちで今夜もナイトフィーバーです。


夜の街を駆け抜けます、遠くに「吉野家」が・・・


「夜明けまぎわの吉野家では化粧のはげかけたシティーガールとベイビーフェイスの狼たち・・・」



懐かしい歌が口をついて出てきました、1979年でしょうか私がまだ学生の頃の深夜バイクで町を疾走しながら歌っていました・・・確かオールナイトニッポンで流れてきたんだと思います。


心の琴線を刺激されてこの歌にほれ込んでしまい、なぜかわけもなく泣きたいけれど泣くことも出来ずに苛立ちと不安を抱え身もだえしながら走り回っていました。


当時21歳自分の人生がまだまったく見えず本当に「未来は霧の中」でした



不安、焦り、苛立ち・・・走ることと暴れることで押さえ込んでいました。


少しでも立ち止まり弱音を吐けば、ザーッと崩れ落ちる砂上の城、泣き出せば決して止まらないだろう人生の崩壊。ギシッと奥歯をかみ締めこぶしを握り締めて走っていました。


でも時の流れとは凄いものですあれからたった数十年、今くつろいで後部席に座って歌っている私がいます。


「街頭では学生たちが、マイクをもって声を上げる、決まりきったような政治の季節、どこかの店先に流行のメロディー歌は世につれ・・・」


 


 


 


 


夕日がきれいです

2010年07月07日 | 夢…思い出

現在梅雨は小休止ですね、毎日天気!バイクたちも交互に使っています今日はスーパーカブのチビちゃんです。


仕事が終わったのが午後6時半、まだ日中に焼け爛れたアスファルトの熱気が襲ってきます。


ダレ~とした感じでエンジンをかけ、ダレ~と走り出しました。体に当たる風はじっとりとぬめるようです。


タンタンと走りぬけ秋穂道の駅の辺りで前方に真っ赤な夕焼けを見ました、見ましたというよりは、突然目の前にズーンと現れまし




空き地にバイクを停めてしばらく見とれていました・・・♪♪夕焼け海の夕焼け真っ赤な別れの色だよ♪♪♪


夕日が泣いている?いや!夕日が僕の手を引っ張ってがんばれ!と応援してくれているように思えました。


昔々遥かに昔、神戸ポートタワーの360度回るレストランで食事を取っているときにこの歌が、スパイダースのこの歌が流れていました、確か私は小学校の4年生かな、顔のない男とこれも顔のない女の人と私の3人で食事をしていました


見たこともない大きなステーキが目の前にあって、使ったことのないホークとナイフが置かれていました。


きらびやかな回転レストランの中で僕は全ての現象を消し去りスパイダースのこの歌をこだまのようにリフレインさせていました。


松任谷由実 VOYAGER

2009年08月02日 | 夢…思い出

松任谷由実の大好きだったアルバム83年「VOYAGER 」を20年ぶりに手に入れました


当時私は、大学は出てみたものの社会の荒波の中で私のような軟弱者が生きていけるのだろうかと・・・真剣に人生に悩んでいた時期でした。その2年前に彼女と別れ、いろんな事に苛まれ、失意の中で就職もせずペケ君で(初代XT250 3y5)8ヶ月かけて日本一周野宿旅を終え、縁故でとりあえず就職は決まったけれど・・・まだ出社できませんでした。


本当に大人の社会の中で生きていけるのか、このCDを何百回と聞きかえしながら立ち直れるきっかけを模索していました。あれから25年以上の月日が流れ、今ここにいます。


立ち直れた自分がいます。


私の根本をつくってくれた数ある音楽の中でひときわ輝きを放つ「VOYAGER」・・・とくに大好きなのは「私を忘れる頃」です。


長生きはするものですね。


VOYAGER 松任谷由実


  ガールフレンズ
  結婚ルーレット
  ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ
  青い船で
  不思議な体験
  ハートブレイク
  TYPHOON
  TROPIC OF CAPRICORN
  私を忘れる頃
  時をかける少女


買い物バック

2009年04月08日 | 夢…思い出
昨夜仕事から帰ってみると、テーブルの上に真新しい買い物用バックが2つ…(-_-#)長男いわく、スーパーでもらう袋が有料になったからと祖母が使いなさいと買ってくれた…
世の風潮か地球人としての使命からかついにわが家にも…その話を聞きながら今スーパーで5円出して買ってきた袋を丸めてゴミ箱にポィ!と捨てる???
子達の怪訝な顔?
話は長くなります…私が生きた街、長男や次男が生まれた街その街には今でも私のすべてがあります。
甘美な思いで、つらく悲しい思いで喜怒哀楽、四苦八苦など…2歳から39歳までの私の全てがあります。消して消えないし消すつもりの全く無いすべてが。
私に物心がついた最初の日、下駄箱横ではガッタン、ガッタンと動いていました、私たち悪童はその横でベッタン(メンコ)やコマ回しをして大きくなって行きます。彼女を初めて連れてきた日も機械はガッタン、ガッタンと動いていました。夜中におやじさんが苦虫を噛み潰したような顔をして流れる汗を拭おうともせず、止まってしまった機械にとりついていたのも覚えています。私たち悪童は二階の部屋で麻雀をしていました。
友人の姉さんが大学に受かった時、世間の景気は少しずつ好くなり機械はいつもの3倍の速さで楽しそうにガンガンガン!と動いていました。速く動かすにつれ機械が止まる率も増え、だいぶん白のふえてきたおやじさんは「止まるなよ!」と機械に祈るように話かけていました。出来上がった製品を梱包するため、友人をはじめ家族や私たち悪童も、祈るしかありませんでした「頼むぞ止まるなよ!」みんなの祈りが通じ無事に姉さんは大学に通えました。
この町の人々はほとんどの家が家業として家内工業を営んでいました、我が町内はスーパーのレジ袋とスリッパのかかと張り…一つ1円の何10分の1…それでも家業として作り続け大手に下ろし、泣き、笑い、頭のある子は学校にいかし、頭のない我が友人は麻雀の負けを私に払い…(笑) 景気に一挙一動し大手に買いたたかれ、それでも命がけで生きてきた…懐かしい親父達、愛すべき母親達。
その横腹の温もりの中で成長できた私達は幸せでした。
私は家族に強制はしません…地球環境の為にレジ袋を拒否し他の人々と平和に共存していくのは良いことでしょうから、でも私は別です、きっと生きてる以上今日のように無駄使いをして捨てるでしょう。そこに今でも住み続ける友人A君.B君.C君.D君やその子供達の幸せを祈って
少しセンチになったかな。

想いでの音楽

2008年07月02日 | 夢…思い出
 


昨日 大瀧詠一の古いアルバム「ロングバケーション」を聞く。当日僕は23才、車はトヨタ トレノ1600GT、場所は川西市多田神社の川沿い、時は5月夜、隣のシートには18才の彼女。今日は彼女の誕生日、風は涼やかにふいている。彼女が買ったCDをカセットにおとしてくれた(当時の車はみんなカセットです)彼女はこのアルバム「ロングバケーション」に夢中でとくに「スピーチ・バルーン」になるとじっと眼をつぶり全神経を研ぎ澄まし、曲に身をゆだねるのだった。しばしの余韻のあとこんどはじっと僕の眼を覗きこみいかに素晴らしいかをもくもくと延々と話し続ける、僕はツンと上を向いたかわいらしい鼻を眺めながら、彼女の感受性の豊かさと言葉にする時の確かさを感じながら海を目指して走り続けた「暗い海に向かってヘッドラインのバッシング」のフレーズをしてみるために。