台風19号の被害は全容が明らかになるにしたがって、
風よりも深刻な雨被害によって21もの河川が決壊又は越水しました。
国管理の強靭な堤防で守られていると思われた大河があっけなく決壊したのです。
千曲川は埼玉県・山梨県境の甲斐信ヶ岳を源流として長野県内を流れ、
新潟県に入ると信濃川と名前を変えて日本海にそそぐ大河です。
流域の人々の暮らしに寄り添いながら恵みをもたらしてきた川ですが、
戦国時代には城とともに敵から守る要塞の地として役割を果たしてきました。
でも決壊した川のあたりを上空から見るとちょっとした地形の異変に気づきます。
このあたりは川幅が1000mもある大河なのにすぐ下流は200mしかありません。
ここで水が行き場を失って更に膨らんで堤防に負担をかけたと思われます。
これは川下の新潟県側の洪水を防いだという歴史の遺産と言われています。
上杉謙信が武田信玄との戦いを優位に進めた結果がこうなったかは定かでないが、
地形を利用して下流域の都市を守る手段であったのは確かです。
そう言えば私が暮らす近くの木曽川でも、
名古屋を含む尾張平野側の左岸の堤防が、
美濃の岐阜県側の堤防より高く作られていたのは周知の事実です。
(現在は改修されているか?です)
時の権力者の意向が現代まで引き継がれているとしたら、
堤防の補強をより強靭化したり災害への保証をしっかりしていくのが、
行政や政治の役割でしょう。
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