ろうばのつぶやき

もはや逆らえないわが身の老化と世の中のIT化、パソコンを前にひとりつぶやく昨今。

LA追想 滞在生活 その4

2005-11-15 20:02:00 | 追想
**通信・交通・英語・映画・その他日常ごと**

当時(約30年前)のLAは日本よりよい面もたくさんあった。
1ドル=250円前後の時代なので、やはり日本よりある意味かなり
豊かな国だった。

まず電話を引くのでも、日本なら何万円もかかるのが、五千円ほどで
簡単に引けた。

ダウンタウンの確かパシフィックテレフォンという会社名のオフイスへ
行けば、数色の電話機(ダイアル式ではあったが)の好みの色を選びその場で
持ち帰えれば、アパートでモジュラージャックにつないですぐに使えた。

車がないと暮らせないと言われているのは確かだが、バスは意外に便利で
わたしは郊外のサンタモニカ市や、帰国前には行ったことがないと
言う日本人の女の子を数人連れて“ユニヴァーサルスタジオ”や
“ナッツベリーファーム”などへもバスで行った。

どんな安アパートであっても、ひねればお湯が出た、水道の水はまずく
スーパーの自販機で買ったり、家に大きなボトルを備えて配達・交換の
水ビジネスを利用していた。

W氏一家との旅行で途中コロラド州でも水を買おうとしたら
「ロスから来たのね、ポリ容器もってるからわかるわ、コロラドの
お水はおいしいのよ」といわれてしまった。

最初に住んだアパートの近くにはスーパーとマクドナルドがあり便利
だった。マニアル通りに問いかけてくれるので、注文できるように
なれば日常会話をマスターしたようなものである。

わたしは結局、カタコト英語、おそらく3歳児程度の英語しか身に
つかなかったが、後々の海外旅行ではそれで十分役に立った。
人は3歳児とでも会話できるものだからである。

向こうで見た映画の主なものは「JAWS(ジョーズ)」とアガサクリスティ
原作の「ナイル川殺人事件」、日本のように字幕スーパーがなくても楽しめた。

そのうちホームシック気味になり「男はつらいよ」などの日本映画を
見たりしたが・・。TVでは当時でも大晦日に紅白歌合戦も見られた。

有名スターの手形・足型で有名なチャイニーズグロウマンズシアターは
たしかに手形・足型はあったが、周囲はスターとは程遠い劣悪な環境に
あって驚いた。

映画の都ハリウッドの雰囲気とは結局無縁で、ビヴァリーヒルズに
しても車に乗せてもらって行ったが、門が閉まった豪邸が並んでいる
だけで有名人も出歩いているわけもない。

気候もよく慣れると生活しやすい街ではあったが、やはり多種多様の人種が
混在し、いろいろな問題を孕んでいるアメリカは正直ずっと住みたい国
ではなかった。

肌に合わないというか、よほどタフでなければアメリカ人にはなれない。
わたしは一時滞在者で終わり、帰国後も再び訪れたいとは思わなかった。

最近になって、やっと又行って見たい気が起こってきている、陸続きなのに
メキシコへも行かなかったことも悔やまれる。

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2 コメント

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Unknown (brewski)
2005-11-16 14:17:26
ご無沙汰しております。(でも、ブログはいつも見てますよ(^。^)



僕も早くも予定滞在期間の半分が終わりました。

振り返ると、いろいろとやってきたな~と思う一方、まだまだ活動を広げていかないと駄目だな、と反省もしている今日この頃です。



また遊びに来ますね~★
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Brewskiさん (5656rouba)
2005-11-16 14:33:28
さっきわたしも久々にコメント入れさせて

もらいました。

あの質問のことですけど、わたしに無理そうだと思ったらスルーしてかまいませんので(^^ゞ
返信する

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