礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日本語コレバカリダとバスク語kori bakarrik da

2024-09-25 00:20:44 | コラムと名言
◎日本語コレバカリダとバスク語kori bakarrik da

 同じような話が続いたので、いったん、話題を変える。
 山中襄太著『国語語源辞典』(校倉書房、1976)を拾い読みしていたところ、「こればかりだ」という項目があった。まず、これを引用してみる。

こればかりだ [考]かつて藤岡勝二氏が,パリでの実察経験として,コレバカリダ (此許りだ)という日本語がバスク人にすぐ通じたといっているということを読んだ記憶がある。それはたしか安逹常正氏の「漢字の研究」という本の巻頭だったと思う。これとほとんど同じ話が,岡田峻氏の「マヤの文化」の「バスク族の国々」(p.153)にでている。すなわち,――以前,フランス・バスクの大司教Mugabure〈ミュガビュール〉が話されたバスク語と日本語との類似点について,彼が東京について日本人との会話の中に,偶然にも80余りの日常の文句を発見したことを述べている。ある日大司教が手紙を書こうと思って,下男に紙を持って来させた時,その下男はkore bakari daといって一枚の便箋を渡した。大司教はバスク語でkori bakarrik daという,全く同意味の言葉と,後でわかってから,偶然の類似から分らない日本語の研究の手を染められた。日本語とバスク語との発音と文の構造が似ている点から,日本に来るバスクの僧侶や尼僧について,日本語の発音をきいても,ほとんど我々と異ならないのに驚いている。あるいはバスクと日本人との関係も「コレバカリ」ではないのかも分らない。 Gora Euskadi !(バスク族に光栄あれ!)と。ピレネー山地に,民族や言語の孤島的存在とみられているバスク族,また中南米のマヤやインカの民族や言語が,日本の民族や言語と似ているということは,そもそも何を物語るか。現在の段階では何ともいえないあるものが,その間に伏在しているのではなかろうか。それを調査研究してみる必要が,大いにあると考えられる。

〝安逹常正氏の「漢字の研究」〟というのは、安逹常正編『漢字の研究』(六合館、1909年11月)、安逹常正編『訂正再版 漢字ノ研究』(六合館、1910年2月)、安逹常正編著『増補 漢字の研究』(六合館、1910年12月)のいずれかを指すのであろう。三冊とも、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できたので、それぞれの巻頭部分に目を通してみたが、「コレバカリダ」の話は見つからなかった。
〝岡田峻氏の「マヤの文化」〟とあるのは、岡田峻著『マヤの文化』(育成社弘道閣、1942)のことである。国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧したところ、「バスク族の国々」という章があり(111~156ページ)、その末尾に、次のようにあった。

 以前,フランス・バスクの大司教ムガブールMugabure〈ミュガビュール〉が話されたバスク・日本語との類似点について、彼が東京について日本人との会話の中に偶然にも八十余りの日常の文句を発見した事を述べてゐる。
 或る日、大司教が手紙を書かうと思つて下男に紙を持つて来させた時、その下男はkore bakari daといつて一葉の便箋を渡した。ムガブール大司教はバスク語でkori bakarrik daといふ全然同意味の言葉と後で分つてから,偶然の類似から分らない日本語の研究の手を染められた。日本語とバスク語との発音と文の構造が似てゐる点から、日本に来るバスクの僧侶や尼僧について、日本語の発音をきいても、殆ど我々と異らないのに驚いてゐる。或はバスクと日本人との関係も『こればかりでないのかも分らない。』
    Gora Euskadi !――バスク族に光栄あれ!―― 〈153~154ページ〉

 岡田峻(おかだ・たかし、1904~1966)というスペイン語学者のことは、まったく知らなかった。その著書『マヤの文化』のことも、もちろん知らなかった。『マヤの文化』という本は、まだ拾い読みした程度だが、貴重な労作であることは間違いない。こういう学者、こういう本を教えてくれた『国語語源辞典』に感謝したい。

コメント
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