◎皇国将来ノ興隆ヲ念ジ隠忍自重(大陸命1385号)
河辺虎四郎『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』(時事通信社、一九六二)から、第五章「大東亜戦争」の第六節「マニラへの使節」を紹介している。本日は、その三回目。
この会同の席へ、海軍側からの情報が入って来た。それによると、厚木飛行基地にある海軍飛行部隊は、終戦に激昂していまなお乱暴を働き、海軍中央部側からの説得などに耳を傾ける気色もなく、今日も、木更津でマニラ行き一行の乗用機の試験飛行がなされたとき、厚木の戦闘機がこれを追っかけていた。何をしでかすかも知れんというのである。
陸軍では、私ら一行の搭乗機が、先方側の指令による、白塗青十字の塗装をしているので、敵機と誤認して攻搫して来る防空戦闘機があるかも知れんとの考慮から、明十九日われわれの飛行機の行動について、航空隊一般に通諜しておいた。ところが海軍では、前記の危惧もあるので、故意に通諜することを控え、むしろ秘密扱いにされていたのであった。
右の情報によって、会談間に、私ら一行の明朝の出発時刻を一時間くりあげて、午前六時木更津を出ることにしたらよかろうとの意見が出て、大勢はこれを可とする空気が見られたが、私自身は 頑としてこれに反対し、予定の時刻を固執した。私のいうのは、〝私は日本の陸海軍の将校に、そんな阿呆はおらぬと信ずる。そんな者がいるかも知れんと心配して、いままで七時出発を基準に、基地や機材の準備をしつつあるのを、急遽変更することはよくない。万一そうした狂人がいて、それに撃ち墜されても私はかまわぬ。また、この降伏軍使がそんな理由で一日二日遅れようが、大局上何の支障もない〟との意味であった。これで時刻変更の案は消えた。私は宿舎に帰った。
十八日つぎの大命が出された。
《 大陸命第千三百八十五号
一、別ニ示ス時機以降、第一総軍司令官、第二総軍司令官、関東軍総司令官、支那派遣軍総司令官、南方軍総司令官、航空総軍司令官、第五方面軍司令官、第八方面軍司令官、第十方面軍司令官、第三十一軍司令官、小笠原兵団長及参謀総長ニ与へタル作戦任務ヲ解ク
二、前項各司令官ハ同時機以降一切ノ武力行使ヲ停止スベシ
三、詔書渙発以後敵軍ノ勢力下ニ入リタル帝国陸軍軍人軍属ヲ俘虜ト認メズ
速ニ隷下末端ニ至ル迄軽挙ヲ戒メ皇国将来ノ興隆ヲ念ジ隠忍自重スベキ旨ヲ撤底セシムベシ》
また中国における停戦協定について指示せられた。
《 大陸指第二千五百四十五号
大陸命第千三百八十二号ニ基キ左の如ク指示ス
支那派遣軍総司令官ハ戦闘行動ヲ停止スル為局地停戦交渉ヲ実施スルコトヲ得
此際ソ軍ニ対スル交渉ニ関シテハ関東軍総司令官ト密ニ連絡スルモノトス》 【以下、次回】
「大陸指第二千五百四十五号」は、その中で「大陸命第千三百八十二号」に言及しているが、河辺虎四郎『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』の第五章「大東亜戦争」第五節「尊き犠牲続く、聖旨通達の御処置」は、すでに、「大陸指第千三百八十一号」、「大陸命第千三百八十二号」、「大陸命第二千五百四十四号」の引用・紹介をおこなっている。
ちなみに、「大陸命第千三百八十五号」で示されている司令官等の実名は、次の通り。第一総軍司令官・杉山元、第二総軍司令官・畑俊六、関東軍総司令官・山田乙三、支那派遣軍総司令官・岡村寧次、南方軍総司令官・寺内寿一、航空総軍司令官・河辺正三、第五方面軍司令官・樋口季一郎、第八方面軍司令官・今村均、第十方面軍司令官・安藤利吉、第三十一軍司令官・麦倉俊三郎、小笠原兵団長・立花芳夫、参謀総長・梅津美治郎。このうち、航空総軍司令官の河辺正三は、河辺虎四郎の実兄である。