礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

餅屋の主人必ずしも下戸に非ず(福沢諭吉)

2021-08-07 00:08:26 | コラムと名言

◎餅屋の主人必ずしも下戸に非ず(福沢諭吉)

 丸山眞男『「文明論之概略」を読む』(岩波新書、一九八六)について、感想などを書きとめている。本日はその三回目。
『「文明論之概略」を読む』は、「まえがき」のあとに、「目次」「凡例」があり、さらに「序 古典からどう学ぶか」がある。そのあと、ようやく第一講が始まる。
「序 古典からどう学ぶか」は、二三ページもあって、「序」としては、異様に長い。この「序」について丸山は、「まえがき」の中で、次のように述べている。

 なお冒頭の「序 古典からどう学ぶか」はもともと本稿とは成立を異にし、雑誌『図書』が一九七七年九月号を、岩波文庫創刊五十間年記念号に充てた際に寄稿したものである。『図書』に載った稿の副題には「ある読書会の開講のことば」とあるが、この「ある読書会」はまったく架空のもので、後述するような本書成立の機縁となった講読会とは関係がない。ただ、これが 本書の開講の辞としてちょうど適切だ、という新書編集部の強いすすめに従って、これを序とした次第である。したがって内容的に第一講以下と若干重複するところがあるが、この点、読者の諒恕を請いたい。〈ⅱページ〉

 ここで、「本書成立の機縁となった講読会」とあるのは、伊藤修氏を中心とする私的な読書会を指す(昨日のコラム参照)。
 丸山は、「新書編集部の強いすすめに従って、これを序とした」と言っている。この「強いすすめに従って」という表現に注目したい。この本に、この「序」は必要ない、と判断していたのではないか。
「序」を実際に読んでみたが、丸山らしい切れ味のない冗長な文章であり、あえて、ここに置く必要はないと感じた。
 なお、この「序 古典からどう学ぶか」には、――開講の辞にかえて――というサブタイトルがついている。こういった「お膳立て」にも、おそらく丸山は、納得していなかったと思う。
 その「序」だが、注目すべき指摘がないわけではない。たとえば、次の数節。

 さて、古典を読む際に、先入見とならんで最大の敵は「早呑込み」の理解です。(そうして多くの場合、早呑込みは先入見と結びついています。)その意味では、一をきいて十を知るという私たち日本人の世界に冠たるカンのよさは、古典とじっくり対面する場合にはかえってマイナスに働くことがすくなくありません。ある命題に出会うと、すぐ連想が働いて、ああ、例のあれだな、と早合点し、あるいはその命題の提出者の心事に臆測を働かせて、奴は結局ここを狙っているなという風に、一か二のあたりでもう十の見当をつけてしまいます。実のところ福沢自身が、自分の著述について、こういう類〈タグイ〉の早合点に悩まされました。例の『学問のすゝめ』の惹起した楠公権助論〈ナンコウゴンスケロン〉などがよい例です。
 「……区々〈クク〉の疑念を抱くは、必竟掩【おお】はるゝ所ありて、片眼〈ヘンガン〉以て物を視るの弊ならん。其の掩はるゝ所の次第を尋ぬるに、人民同権は共和政治なり、共和政治は耶蘇【やそ】教なり、耶蘇教は洋学なりと、己の臆度〈オクタク〉想像を以て事物を混同し、福沢は洋学者なるゆゑ其の民権の説は必ず我れ嘗て〈カツテ〉想像する所の耶蘇共和ならんとて、一心一向に之れを怒ることならん歟【か】。(中略)酒屋の主人必ずしも酒客に非ず、餅屋の主人必ずしも下戸〈ゲコ〉に非ず、世人其の門前を走りて遽【にわか】に其の内を評する勿れ、其の店を窺ひて其の主人を怒る勿れ」(明治七年、『朝野新聞』への匿名投稿。のち明治三十年、全集緒言収録)。
 人の「権理通義」は万人同等だ、と言っているから、奴の論は共和主義だ、共和主義だからヤソだ――というのが、前にのべた「連想」の早呑込みです。また、酒を売っているのは主人が上戸〈ジョウゴ〉だからにちがいない、餅を店先に並べているところを見ると酒嫌いにちがいない、「西洋の文明を自的とする事」を力説しているのは西洋にいかれているからだ――ときめてかかるのは、ある命題をすべて提出者の好悪の心情から流露したもの、とする早合点の例です。この例そのままの早合点を今日、福沢についてする人は、もはやいないと思います。けれども、こうした早合点のパターンは、福沢を対象とする場合にかぎらず、現代でも方々〈ホウボウ〉に目につくではありませんか。〈一七~一八ページ〉

 早合点のパターンは、「現代」でも目につく、と丸山は言っている。たしかに……。オリンピックに反対する人は「反日」などという、早合点の政治家があらわれたのは、ごくごく最近のことであった。
 このあと、第一講から順に、感想などを述べてゆくつもりだが、八月一五日が近づいてきたということもあり、一度、「敗戦」関係に話題を振る。

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