礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦局ノ収拾ニツキ急速ニ研究決定ノ要アリ(昭和天皇)

2021-08-08 03:14:57 | コラムと名言

◎戦局ノ収拾ニツキ急速ニ研究決定ノ要アリ(昭和天皇)

 極東軍事裁判研究会編『木戸日記――木戸被告人宣誓供述書全文――』(平和書房、一九四七年一一月)という本がある。木戸被告人とは、敗戦時の内大臣・木戸幸一(一八八九~一九七七)のことである。「木戸日記」というが、「木戸日記」そのものではなく、「日記」の引用を中心とする木戸の「宣誓供述書」(一九四七年九月二九日付)である。
 この本に拠って、七十六年前のちょうど今ごろを振り返ってみたい。とりあえず、一九四五年(昭和二〇)八月九日についての記事から。

三〇二 ポツダム宣言の受諾決定  其朝〔八月九日朝〕私は陛下に拝謁し、此際は予て〈カネテ〉御決心の通り速かにポツダム宣言を受諾して戦争を終結する外なしと考へる旨を奏上致しました。陛下の聖慮も同様でありまして、戦局の収拾に付いては急速に研究決定の要ありと思ふ故首相と充分懇談する様にとの仰〈オオセ〉がありました。昭和二十年八月九日の出来事は同日附私の日記に記録してあります。検察側は同日附私の日記法廷証一二八三号に就いては唯六行のみ摘出して居りますが、完全なる記事は次の如くであります。
  昭和二十年八月九日 (木) 晴
「午前九時大島豊氏、齋藤貢氏来訪。両氏対蘇政策ニツキ意見ヲ聴ク。
 午前九時十五分ヨリ十時迄御文庫〈おぶんこ〉ニテ拝謁ス。蘇連ガ我国ニ対シ宣戦シ本日ヨリ交戦状態ニ入レリ。就テハ戦局ノ収拾ニツキ急速ニ研究決定ノ要アリト思フ故首相ト充分懇談スル様ニトノ仰セアリ。幸ニ今朝首相ト面会ノ約アルヲ以テ直ニ協議スベキ旨奉答ス。
 十時十分鈴木〔貫太郎〕首相来室。依ツテ聖旨ヲ伝ヘ、此ノ際速ニポツダム宣言ヲ利用シテ戦争ヲ終結ニ導クノ必要ヲ力説。尚其際事重大ナレバ重臣ノ意見ヲモ徴シタキ思召〈おぼしめし〉アリ。就テハ予メ〈あらかじめ〉重臣ニ事態ヲ説明シ置カルル様依頼ス。首相ハ十時半ヨリ最高戦争指導会議ヲ開催、態度ヲ決定シタシトノコトニテ辞去セラル。
 十時五十五分ヨリ十一時四十五分迄御文庫ニテ拝謁。鈴木首相ト会見ノ顚末ヲ言上〈ごんじょう〉ス。
 一時近衛〔文麿〕公来室。時局ニツキ懇談ス
 一時半鈴木首相来室。最高戦争指導会議ニ於テハ一、皇室ノ確認二、自主的撤兵三、戦争責任者ノ自国ニ於テノ処理四、保障占領セザルコトノ条件ヲ以テポツダム宣言ヲ受諾スルコトニ決セリトノコトナリキ。
(午後一時三十分の記事は法廷証一二八三号には含まれて居ます。私の陳述は誤りであり、最高戦争指導会議は決定を得て居ないことを私は最近発見致ました。此会議では其は討議されたのでありました。)
 二時〔蓮沼蕃〕侍従武官長来室。蘇満国境ノ戦況ニツキ情報ヲ聴ク。
 二時四十五分高松宮〔宣仁親王〕殿下ヨリ御直〈おじき〉ノ電話ニテ条件附ニテハ連合国ハ拒絶ト見ルノ虞〈おそれ〉アリトノ御心配ニテ右ノ善後策ニツキ御意見アリタリ。
 三時十分ヨリ三時二十五分迄御文庫ニテ拝謁。右ノ懸念等ニツキ言上ス。
 四時重光〔葵〕氏来室。四ノ条件ヲ出セバ決裂ハ必至ナリトノ論ニテ切ニ善処方ヲ希望セラル。
 四時三十五分ヨリ五時十分迄御文庫ニ於テ拝謁。六時三十分帰宅八時再ビ出勤。(内閣が皇室の確認のみを唯一の条件としてボツダム宣言を受諾すると云ふことに就いて意見の一致を見ず決定が得られなかつたのは此の時のことであり、それは御聖断を仰いで受諾することに決定しました。上述せる如く午後一時三十分に開催せられた最高戦争指導会議に於ては決定はなく、又決定の変更もありませんでした。)
 十時五十分ヨリ十時五十三分迄拝謁。内閣ノ対策案変更セラレタル件ニツキ言上ス。鈴木首相拝謁。御前会議開催並ニ右会議ニ平沼〔騏一郎〕枢相ノ参列ヲ御許シ願フ。
 十一時二十五分ヨリ十一時三十七分迄拝謁。
 十一時五十分ヨリ翌〔一〇日〕二時二十分迄御文庫附属室ニテ御前会議開催セラレ聖断ニヨリ外務大臣案タル皇室天皇統治大権ノ確認ノミヲ条件トシ、ポツダム宣言受諾ノ旨決定ス。」【以下、次回】

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