◎国内ニ動乱等ノ起ル心配アリトモ……(木戸幸一)
極東軍事裁判研究会編『木戸日記――木戸被告人宣誓供述書全文――』(平和書房、一九四七年一一月)に拠って、七十六年前の今ごろを振り返っている。本日は、その五回目。
三〇七 皇族より協力を奉答 此日の午後陛下は皇族を御召になり皇族は一致協力して陛下を御助け相成様に御望みになられたのでありました。之に対し皇族方より一致協力して御助申上ぐべき旨を奉答しました。此日の御集りは午後三時より五時二十分迄も及びまして、極めて自由に御話合が行はれた御様子であり、此御集りは非常な好結果を齎した様に拝察致しました。
三〇八 国内動乱をも押して断行 猶今後昼夜の別なく御用の御召がある様な情況となりましたので私は今夕より役所の自分の部屋に宿伯することに致したのでありました。昭和二十年八月十二日附私の日記に次の如く述べてゐます。
昭和二十年八月十二日
「九時半鈴木首相来室。今日種々協議ノ経緯ニツキ話アリ。余ハ今日トナリテハ仮令〈たとい〉国内ニ動乱等ノ起ル心配アリトモ断行ノ要ヲ力説、首相モ全然同感ナル旨答へラレ大ニ意ヲ強クシタリ。今夕ヨリ役所ニ宿泊ス。」
三〇九 阿南陸相國體問題を提起 八月十三日午前七時十分阿南〔惟幾〕陸相が突然私を訪ねられ、連合国の回答に付いて此侭之を認めれば日本は亡国となり、國體の護持も結局不可能となる故、第四項を其侭としては認め難いと論ぜられました。そこで私は次の如く答へました。
「私は第四項に就いては外務当局の解釈として差支へなしと云ふので其他は現在の実情より見れば不得止〈ヤムヲエズ〉と解するの外ないと思ふ。然らば我国が今日に及んで之を拒否するが如きは確固たる理由の下に為せるものとは云ひ難い。従つて連合国側では何が故に我国が態度を変へたるかを了解するに苦しむであらう。結局之に依りて陛下は連合国否世界より馬鹿か狂人なりと批判せられるに至るでありませう。陛下の今回の御決心は深き御考慮の上に為されたるものと拝察せられます。今となつては受諾の外ないであらう。」
三一〇 國體護持の手段 斯くて私と阿南陸相と会見は物別れとなりました。要するに何れも國體の護持と云ふ一点に於ては一致して居りましたが、その見透と手段を異にしたのでありました。此日は鈴木首相の異常なる努力にも拘らず、最高戦争指導会議開催の運〈ハコビ〉には至らず一日は空しく終つて了つたのでありました。而して我国の受諾申入れの遅延は連合国側を刺戟し日本は結局拒絶するのではないかとの観測すら出るに至りました。【以下、次回】
こういった文章を読む限り、木戸幸一は、ポツダム宣言受諾に向けて、その調整能力を最大限に発揮していたことがわかる。ただしこれは、あくまでも、極東軍事裁判の被告人という立場で書かれた「宣誓供述書」の一部なのであって、木戸がみずからの保身のために、話を加減している可能性もあろう。