◎ちゝはゝの、にはのをしへにたがふなよ。
文部省編輯局編『読書入門』の田沼書店版(一八九五)を紹介している。本日は、その八回目(最後)。本日、紹介するのは、第三十三課から第四十課まで(二十三丁表~二十六丁裏)、および、第四十課のあとにある「いろは図」(二十七丁表・裏)である。
第三十三課
コノ コ ハ、オトナシイ ヨイ コ ナリ。
アノ コ ハ、イヂ ノ ワルイ
イタヅラ モノ ナリ。
アノ コ ハ、ワルクチ ヲ
イヘドモ、コノ コ ハ、
クチゴタヘ モ セズ。
第三十四課
うり ことば あり とも、
かひ ことば を だす な。
つらし とて、 うらみ
かへす な、 われ ひと に、
むくい\/ て、
はてし なき よ ぞ。
第三十五課
コドモ ハ、ガクカウ ノ ニハ
ニテ、イマ サウレン ヲ ナス。
ガクモン ト ウンドウ トハ、
ダイジナ モノ ナリ。
コレ ヲ オコタル トキ ハ、
ヨイ ヒト ニ ナラレヌ モノ ナリ。
第三十六課
すめら みくに の ものゝふ は、
いか なる こと を か つとむ べき。
たゞ み に もてる まごゝろ を、
きみ と おや と に つくす まで。
第三十七課
アレ、アソコ ノ キ ニ
ハナ ガ、 サキマシタ。
ウグイス モ、 ナイ テ 井マス。
ソコ ニ テフ\/ モ、マウテ 井マス。
サア\/、ミンナ 一シヨ ニ、
アノ ノハラ ニ デヽ アソビマセウ。
第三十八課
てふ\/ てふ\/、
な の は に とまれ。
な の は に あいたら、
さくら に とまれ。
さくら の はな の、
さかゆる みよ に、
とまれ よ あそべ、
あそべ よ とまれ。
第三十九課
アノ コ ハ、トヽサマ ヤ ハヽサマ ノ
ヲシヘ ヲ ヨク マモリマス。
アレ ハ、カシコイ
ヒト ニ ナリマセウ。
タレ デモ、オヤ ノ ヲシヘ ヲ
ワスレテ ハ ナリマセヌ。
第四十課
やまと なでしこ さま\/ に、
おの が むき\/ さきぬ とも、
おほし たてゝし
ちゝ はゝ の、
には の をしへ に
たがふ な よ。
いろは図
い ろ は に ほ へ
と ち り ぬ る を
わ が よ た れ そ
つ ね な ら む う
ゐ の お く や ま
け ふ こ 江 て あ
さ き ゆ め み し
ゑ ひ も せ す ん
読書入門 終
若干、注釈する。第三十四課「はてしなきよぞ。」の「よ」は、「世」であろう。
第三十五課「ガクカウ」、「サウレン」は、それぞれ、「学校」、「操練」。
第三十六課「いかなることをかつとむべき。/たゞみにもてるまごゝろを、」は、「如何なる事をか努むべき。/ただ身に持てる真心を、」の意味であろう。分ち書きがされていなければ、意味を取ることは難しい。
第三十八課「さかゆるみよに」は、「栄ゆる御代に」の意味であろう。
第四十課「さま\/」の「\/」は、原文では、濁点がある。「にはのおしへ」は、いわゆる「庭訓」(家庭での教育)の意味である。「おほし たてゝし」は難解。これらはおそらく、「ちゝはゝ」にかかり、「偉大であり、尊敬してきた」といった意味だろう。ただし、そうだとすると、「おほし」は、「おほき」でなくてはならない。この点、博雅の御教示を俟つ。
いろは図「ゑひもせす」の「も」だが、なぜか、ここだけは、横棒が二本ある。
本書『読書入門』については、少し補足したいことがあるが、明日は、いったん、話題を変える。