◎僕が入ると十人の屍体が並べてありました(井形忠夫)
雑誌『座談』第二巻第三号(一九四八年三月発行)から、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する新聞記者七名による座談会の記録を紹介している。本日は、その二回目。
座談会に出席した記者七名の名前は、冒頭で明記されているが、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、社名と氏名を入れておいた。
惨鼻を極めた現場
記者 現場は御覧になりませんでしたか。
E〔読売新聞・井形忠夫〕 見ましたよ。僕が見たのは七時半ぐらゐです。通常、現場といふものは発生当時そのままで推持されてるものなんですが、もうすつかり壊されてました。といふのは、人の出入りが非常に多かつたんです。通用門の溝板の上へ村田正子といふ女の子か倒れてゐた。それを通り掛つた人が見て交番へ知らせると同時に、附近の酒屋さんもそれを発見して、近所の人が大勢集つて銀行の中へ入つて、介抱したり、医者を呼んで来たり、いろいろやつたために現場を壊しちやつたんです。
僕が入つてみると、四畳半に三人、八畳に七人、十人の人が死んでました。それが凄いんだ。眼をクワッと開いて、鼻と口から血泡を噴いて、手足は硬直してるし、ひどかつたな。僕も今まで殺し(殺人事件)の現場は大分見たけれども、あんな十名も並べられてる現場といふのは、気もちのいいものぢやなかつたですね。
記者 チャンと屍体が並べてあつたんですか。
E ありました。洋品店で使ふ正札のやうな紙に名前を書いて、帯の間へ挟んであるんです。(笑声)
記者 それから各社が独自の活動に入つたわけですね。
E まづ各社は附近に本部を設けたんですが、うちの場合は現場から二十メートルぐらゐ離れた所にお茶屋がある。その三畳を独占して、わが社旗などを立てて、それから応援を呼んだんですよ。二人ぢや足りませんからね。さうすると十人ばかり駈け付けて来ました。被害者が十六人で、その写真を翌朝までに取らなかつたら、ほかの社にやられるといふわけですね。その晩は写真の獲得に前略を尽くしたわけですよ。
記者 各家庭を訪問したんですか。
E さうなんです。
F〔朝日新聞・堀長隆〕 小使さんの写真はやられたな。
E あの小使さん一家四人だけやられたんですよ。十六人の中十二人だけは取つたんですがね。四組くらゐに分れて、夜中に叩き起して写真を取つて歩いたんですが、小使さん一家は家が銀行の中にあつて、一家全員がやられてる。そこで親戚なんかを洗つたんですが、ないんです。実家が埼玉県にあるといふことが判つたけれども、ちよいと遠いんです。支局に 連絡すればよかつたものを、遠いからガソリンも足りないし、やめちやつた。それで毎日さんにやられたわけです。
記者 毎日さんは支局で取つたんですか。
B〔毎日新聞・三谷博〕 僕も当時現場にはゐなかつたんですが、いろいろ話を聴いてみますと、新聞社としてはまづ被害者の写真を取るのが一つの活動ですからね、七人が写真にかかつて、自動車六台で廻つたんです。それで大体において全部写真を取つたんですがね、十六人のうち一名だけ取れなかつたんです。その一名といふのは告別式にも写真がなかつたんですから、写真のある者は全部取れたんです。【以下、次回】
念のために注釈しておくと、ここで、記者たちのいう「写真を取る」とは、「顔写真を入手する」の意味である。