goo blog サービス終了のお知らせ 

礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

祈願祈祷は一向専念の義に悖る(伊藤義賢)

2019-11-08 00:48:44 | コラムと名言

◎祈願祈祷は一向専念の義に悖る(伊藤義賢)

 伊藤義賢著『根本的にして最後の帰結を明示せる 神社と真宗教徒』(竹下学寮出版部、一九三四)から、「八 神宮大麻と真宗教徒」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。

 然るに、動【やゝ】もすると真宗教徒が之〔大麻〕を受けないのは非国民であるかのやうに思ふものもあるが、それは大間違ひである。皇祖大御神【こうそおほみかみ】を敬拝しないといふならば非国民であるが、信仰祈祷の対象としないといふことに何の不都合があらう。況【いは】んや已【すで】に示すが如く、受不【じゆふ】は人民の自由とさだめられ、強要をする主旨でないと神宮神部署【じんぐうかんべしよ】からも発表してゐるに於てをやである。然るに強要問題の起るのは、全く地方の官公吏が大麻の意義内容も知らず、又一般に禳災招福の神とせられたものは祀るものでないとする真宗教徒の立場を無視してゐることから起るものであることを覚【さと】らねばならぬ。
 真宗教徒の敬神崇祖【そうそ】の道は、厳として信仰的であり得ないといふことは、仏教の大義上亦真宗教義の安心【あんじん】上明白にきまつてゐることであるからである。故に世間異教徒の信仰とまぎらはしいことは断じて之を許されないといふことが、我が宗制の禁ずるところである。そこで彼の緒言【ちよげん】に述べた某県某町某寺等の伺ひ出に対しても、我が本願寺は直【たゞち】に宗義に立脚した左【さ】の回答を発してゐるのである。
   昭和九年七月三十日       庶 務 部
      西光寺住職   小 林 法 慧 殿
六月二日日付伺出【うかゞいで】相成候件左記ノ通リ御了知相成度【たく】此段及回答【かいたうにおよび】候也
    記
一、大麻拝受ノ儀ハ神宮神部署ノ解釈ニ従ヘバ現今頒布セラルヽ大麻ハ皇大神宮【こうだいじんぐう】ノ大御璽【おほみしるし】ナリトノコトナレバ若シ単に国祖【こくそ】ノ名字【みやうじ】ヲ記シ以テ國體観念ノ涵養ニ資スルモノナリトセバ真宗ニ於テモ拝受差支へナキモ従来ノ歴史卜云ヒ現在ノ事実ト云ヒ大麻ハ祈祷ノ意味ヲ含ミ居ルモノト認メラルレバ無祈祷ヲ標榜スル真系信徒トシテハ拝受奉安セザルヲ可トスト思料セラル猶大麻拝受ニ就キ左ノ法令参考セラレタシ
   参 考
(明治拾壱年参月廿参日内務省達乙第三十号)
神宮大麻頒布ノ儀ニ付キ明治五年六月元教部省ヨリ相達置候趣モ候処右ハ自今地方官ノ関係ニ不及候条【をよばずさふらうぜう】受不【じゆふ】ハ専ラ人民ノ自由ニ為任【まかせ】候儀ト可心得【こゝろうべし】此旨相達候事
一、神棚設置ノ儀ハ前条ニ准ジテ諒解セラレタシ
一、神社ト宗教トノ区別ハ現ニ政府ニ於テハ神社ハ宗教ニ非ズトノ見解ナレバ本宗ニ於テモ神社ヲ宗教ト認メズ但シ現在ノ神社ハ祈祷及ビ護符等ノ如キ宗教的行為ノ附属シ居ルモノ尠【すくな】カラザレバ此点ハ十分ニ注意ヲ要スルモノト心得ラルベシ   以上
 之で以て真宗教徒が自家の許されたる独特の立場を捨てゝ神棚を設け大麻【おはらひ】を奉安するなど、禳災招福【じやうさいせうふく】の神を認めて祈願祈祷をなす所の異信仰者の行事作法に同化するといふこふことは、我が一宗の生命たる一向専念の義に悖【もと】り出離生死【しゆつりしやうじ】の大問題に関する宗義安心上、許すべからざるものであることを能く能く知るべきである。随つて真宗教徒としては、どこまでも国家より自由を許されたる自家の宗義宗風を守りて、敬神崇祖は神社に於て祖先そのものに向つてなすべく、濫【みだ】りに流行信仰の行事に同化して今度の一大事の報土往生【ほうどわうじやう】を仕損ぜざるやう真俗二諦【たい】に就て両全【りやうぜん】の生活に留意することが大切である。

 伊藤義賢『神社と真宗教徒』の紹介は、このあとも続けたいが、明日は、話題を変える。

*このブログの人気記事 2019・11・8(1位に土肥原賢二、10位に荒木貞夫)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする