礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

三省堂編輯所の最高馬力は一所に集注せり

2017-01-30 03:42:36 | コラムと名言

◎三省堂編輯所の最高馬力は一所に集注せり

『三省堂英和大辞典』(三省堂、一九二八)から、「巻頭の辞」を紹介している。本日は、その二回目。下線は原文のまま。

 されば、百科辞典編纂当初の企画は極めて小規模にして内容は簡結を旨とし、一冊の中に専門語と固有名詞とを網羅し尽くさんとの期待なりしも、業愈々進むに従ひ、各方面知名の碩学〈セキガク〉鴻儒挙って〈コゾッテ〉賛同し進んで執筆を快諾せらるる者益々多きを加へたるを以て、勢〈イキオイ〉其計画を拡張するの不得已〈ヤムヲエザル〉に至れり。是れ出版界の為め、学界の為め、確に〈タシカニ〉一の慶福たるを失はざれども、編者が当初之を思ひ立ちたる動機と目的とは当面の事相に対し自ら〈オノズカラ〉相背反し形勢復〈マタ〉如何ともすべからざるに至れり。是〈ココ〉に於て編者は前途に対し望洋の感を抱くと共に身を転回して今まで踏破し来れる〈キタレル〉己が〈オノガ〉背後の長亭短駅〔長い宿、短い宿〕を顧みざるを得ざるに至れり。而して低徊顧望左思右考の末、再び方針を変換して力を英和辞典の速成に集注すべき一新案を立て、敢然従来の計画を収縮して先づ単に小規模の改訂に止むることとし、百科辞書とは他日の邂逅〈カイコウ〉を期し暫く手を分ち〈ワカチ〉路を異にして相共に前途に進出することとし、拮据〈キッキョ〉経営明治四十四年〔一九一一〕漸く之を完成し、兎に角〈トニカク〉一の新英和辞典を世に公にすることを得たり。今「模範英和辞典」〔神田乃武等編『模範英和辞典』三省堂〕として世に行はるるもの即ち是れにて、今回の新版たる「三省堂英和大辞典」に対し実に暫定的中間的の地歩を占むるものなりとす。
 前記百科辞典の編纂が如何に大規模にして而して異常の難事業たりしか、将又〈ハタマ〉中道にして如何に幾多の困苦辛酸に遭逢〈ソウホウ〉したるか、学者といはず、実業家といはず、官場といはず、民間といはず、社会のあらゆる階級の同情共鳴乃至激励が、之がために如何に熾烈〈シレツ〉なりしか、而して其結果としてさしもの浩澣なる本邦なる本邦唯一の百科辞典が如何に完備に近き奏功を遂げ得たるかの諸点に就ては、編者は夙に〈ツトニ〉日本百科大辞典の巻末に於て委曲之を縷述〈ルジュツ〉し局外者たる天下諸流の之に対する感想をも亦之を併記し、既に周知の事実なれば今茲に重ねて之を絮述〔長々と述べる〕せざるべしと雖も〈イエドモ〉、「日本百科大辞典」が年を閲する〈ケミスル〉こと前後二十余歳大正八年〔一九一九〕を以て漸く完成を告げたる以上は、編者は茲に当然旧盟を尋ねて先年暫く仮りに相別れたる「改訂すベき英和辞書」と相会合し、前者の収穫を以て後者の足らざる所を補ひ以て当年の宿約を果さざるを得ざるは、固より言ふまでもあらず。唯々其機会の大に後れ〈オクレ〉たるは編者の甚だ遺憾とする所なれども、遅れたるそれだけ彼此相助くるの資料自ら増大を加へたるは、我等の心窃に〈ヒソカニ〉慶幸とする所なりき。
 事態既に如此〈カクノゴトク〉なるを以て大正八年四月以来の英和辞書の改訂事業は、最早岐路に彷徨〔さまよう〕せざるに至れり。水の分派は合流して一となり、編輯所の最高馬力は滔々汨々〈トウトウコツコツ〉として一所に集注するに至れり。而かも、爾来凡そ〈オヨソ〉八星霜、今日漸くにして之を完成するに至れるは、編者之を急がざりしに非ず、執筆者之を忽せにせられたるに非ず、周匝〈シュウソウ〉にして而して精緻、博洽〈ハッコウ〉にして而して端厳〈タンゲン〉なる此事業の性質自ら之を然らしめたるに過ぎす〔ママ〕。【以下、次回】

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