礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

旧藩時代の軽輩を「下級士族」と呼ぶ(新見吉治)

2014-10-03 04:26:27 | コラムと名言

◎旧藩時代の軽輩を「下級士族」と呼ぶ(新見吉治)

 拙著『史疑 幻の家康論』の第五章「『下級武士』論」では、もうひとつ、「下級士族」という言葉の概念を明らかにしておきたいと考えた。
「下級士族」というのは、歴史学上の用語であるが、その意味を取り違えている人が多い。「下級士族」という言葉を、「下級武士」という言葉と混同している人は少なくないが、この両者は、全く範疇が異なる。
 昨日のコラムでも述べたように、旧藩時代においては、「武士」の下に「軽輩」と呼ばれる人々がいた。明治二年(一八六九)一二月二日の太政官布告で、「武士」は「士族」と称せられることになったが、一方、「軽輩」のほうは、「卒」と称せられるようになったものと、「平民」となったものとに分かれた。
 その後、明治五年(一八七二)一月二九日の太政官布告で、「卒」が廃止された。これにともなって、卒のうちの一部が「士族」を名乗ることになり、他は「平民」ということになった。
 すなわち、旧幕時代において、武士の下にあって武士でなかった「軽輩」は、明治五年(一八七二)一月二九日以降、その一部が「士族」を名乗ることになったのである。当時、こうした「士族」は、「新士族」あるいは「成り上がり士族」と呼ばれて揶揄されたという。
 歴史学の泰斗・新見吉治〈シンミ・キチジ〉(一八七四~一九七四)に、『下級士族の研究』(日本学術振興会、一九五三)という著書がある。この本において新見は、下級士族を、「旧藩時代において、軽輩といわれたもの」と定義している(二ページ)。新見は、下級士族研究の第一人者であり、しかも、いまだその研究を超える研究は、あらわれていないと思われる。だとすれば、下級士族とは、旧幕時代において武士の下にあって武士でなかった「軽輩」を指す、という新見のこの定義に従うほかない。
 私(礫川)などは、明治五年(一八七二)一月二九日以降に生じた「新士族」あるいは「成り上がり士族」と呼ばれた人々を以て、「下級士族」と呼ぶのが合理的であるように思うし、拙著でもそのように書いたわけが(九八ページ)、あくまでも礫川の個人的な見解である。
 いずれにしても、「下級武士」と「下級士族」とは、範疇が異なるのであって、この両者を混同してはならないのである。

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