礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

伊藤博文・山県有朋は「下級武士出身」でない

2014-10-02 03:53:32 | コラムと名言

◎伊藤博文・山県有朋は「下級武士出身」でない

 先月二八日に、鵜崎巨石氏による拙著『史疑 幻の家康論』への書評を紹介した。この書評に接したのを機会に、同書の第五章「『下級武士』論」を読み直してみた。
 この章で言わんとしたことは、要するに、明治の元勲として知られる伊藤博文や山県有朋を、「下級武士」の出身であると考えることは適切ではないということであった。下級武士というのは、武士階級(士分)であって、そのうちの下層に位置していたものを指す。
 おそらくこの言葉は、近代になって使われるようになった用語で、江戸時代からある言葉ではないと思う。
 伊藤博文と山県有朋は、ともに長州藩の「中間」〈チュウゲン〉という身分の出身であった。これは、「軽輩」と呼ばれる階層のひとつである。「軽輩」は武士の下に位置しており、武士ではなかった。これを下級武士と呼ぶのは正しくない。したがって、中間出身の伊藤博文や山県有朋を、下級武士出身と呼ぶのは適切でない。
 伊藤や山県を、下級武士出身と呼ぶのは適切ではないが、全くの間違いとも言い切れない。なぜなら、山県有朋は、幕末の文久三年(一八六三)の一月に、伊藤博文は同年の三月に、それぞれ、「士雇」〈さむらいやとい〉への昇格が許されているからである。この「士雇」というのは、「准士」とも呼ばれ、一代限りの身分ではあったが、いちおう「士分」であった。しかし、「士雇」への昇格という事実を踏まえて、彼らが「下級武士出身」であることを強調しなければならないとも思えない。ちなみに、伊藤博文の場合、生まれた時点においては、百姓の身分であって、その後、父の林十蔵が「中間株」を買ったことで、中間の身分になった。その意味からすれば、伊藤博文については「百姓出身」という言い方も間違いではない。山県有朋は、代々、中間を務めてきた家に生まれている。
 一方、西郷隆盛や大久保利通は、あきらかに「下級武士」の出身であった。西郷隆盛と大久保利通は、ともに、薩摩藩の「御小姓与」〈オコショウグミ〉という身分であったが、この御小姓与というのは、薩摩藩における武士階級のうちのほとんど最下層に位置していた。したがって、西郷隆盛や大久保利通の場合は、文字通り、「下級武士出身」だったとしてよいのである。

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