礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

仮眠用の寝台に純白の毛布と羽根入り枕

2016-12-27 07:53:19 | コラムと名言

◎仮眠用の寝台に純白の毛布と羽根入り枕

 上原文雄著『ある憲兵の一生――「秘録浜松憲兵隊長の手記」』(三崎書房、一九七二)を紹介している。
 本日は、昨日に引き続いて、第二章「青雲の記」のうちの、「浜口首相暗殺事件など」の節を紹介する(同節の三回目)。

 この混沌たる事象の中で、日本人に一つの目標を示し、新しい趨勢を与えたものは、満州事変の勃発であった。
 昭和六年〔一九三一〕九月十八日満州事変勃発の日私は、靖国神社の取締勤務に服していて、境内の憲兵詰所で号外によって知った。
 独立守備隊が行動を開始して、次々と戦果をあげていることが、号外の鈴の音とともに伝えられて来る。
 私は深夜靖国神社の境内で、この事件の将来を予想し筆をとって手記のようなものを書いた。
(これは転勤で紛失してしまっておしいことをしたと思う)
『この事件は拡大する。第一、蒋介石の国民革命軍は北上によって、今や北京、天津をおさえ、英、米、独はこれを支援して、満州における日本の既得権益を抑圧しようとしている。したがって関東軍の行動には、外部列強国の反抗を誘致することは必定〈ヒツジョウ〉である。
 一面国内においては、自由主義者や社会主義者はもとより、政界、財界中にも反対するものがあろう。
 そこで軍部は事を始めたからには徹底的に事件を拡大して戦果をあげることによって民心を満洲に引き付け、議会の賛同を得るために一層軍部による政界への強圧が行なわれるであろう。
 軍部がこの際一般の世論に押され、政党や財界の干渉によって不拡大方針をとるようなことがあれば、この時こそ国内の左翼社会主義運動は勃興して、社会主義革命が成功する結果となるのではなかろうか?』
 というような判断をしていた。
 事変発生によって、分隊は警備計画により参謀本部へ憲兵を派遣することになり、私は佐野伍長と共に参謀本部の警備に就いた。
 参謀本部玄関脇の一室が憲兵詰所に与えられて、仮眠用の寝台が二台用意され、純白の毛布に羽根入り枕が並べてあった。
 白髭の守衛長の話では、〝これは広島大本営当時の調度備品である〟ということであった。
 日露戦役以来二十数年にして、日本の平和は再び臨戦態勢に入ったのである。
 参謀本部玄関に立っていると、金谷〔範三〕参謀総長、南〔次郎〕陸軍大臣などがあわただしく出入りする。参謀連中が肩をいからせて勇ましく出入りする。
 総長や大臣が出てくると、報導〔ママ〕関係の記者が取り囲んで質問する。答えがないと自動車まで追いかけて質問する。それ等を払いのけて身辺護衛にあたるのである。
 その頃軍は不拡大方針を発表したかと思うと、林〔銑十郎〕朝鮮軍司令官は独断で朝鮮軍を越境出兵したと伝えられて来る。
 かくて満州事変の本格的出兵が決するには数日の経過があったのである。【以下、次回】

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