礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「森永ミルクキヤラメル」をデザインした洋画家・八木彩霞

2013-10-06 05:21:44 | 日記

◎「森永ミルクキヤラメル」をデザインした洋画家・八木彩霞

 森永ミルクキャラメルの話ばかりで申し訳ないが、昨日、インターネット上に、森永ミルクキャラメルの紙サックのデザインを担当した洋画家の八木彩霞〈ヤギ・サイカ〉に関する記事があるのを発見した。それは、「伊予歴史文化探訪 よもだ日記」というブログ中の記事である。
 そこには、八木洋美『彩霞功罪録~絵描きになった横浜元街小学校の先生~』(文芸社、二〇〇四)という本の一節が、次のように引用されている。

 あるとき、田村(注-田村昇。松山出身の画家)が面白い話を持ち込んできた。彼は森永製菓の田町工場に出入りしており、そこの塀に、新緑の中でピクニックをしている家族連れと青空を舞いながら笛を吹くエンゼルの絵を描いたりしていた。
 田村の話では、森永でキャラメルのパッケージをもっと目立つよう改良すべく、デザインを考案中とのことである。「八木君は図案や色彩は専門だから考えてみんか。課長に紹介するから」と言われ、面白そうだ、やってみるかと、熊次郎(注-彩霞の本名)もその気になった。
 目立つ色……。熊次郎の頭に浮かんだのは、色彩学にいちばん明るい黄色と、その反対色の紫であった。よし、この二色を基調にして、流行し始めたアール・ヌーボー調に図案を描いてみよう。そう決めると、早速デザインに取り掛かった。
 まず、トレードマークの天使をいちばん上に置き、その左右に薔薇の花束、下に末広がりの「森永ミルクキャラメル」の文字を配し、花束のリボンを両側に垂らす。それだけでは物足りないので、いちばん下にも薔薇の花籠を配し、その手弦を弓なりにしててっぺんの天使の後ろまで引き上げる。ここまでの下図はすぐにできた。しかし天使の収まりがどうもうまくいかない。そこへ双子の姉の富美子(注-彩霞の娘)がハイハイして覗きにきた。熊次郎は立ち上がって、手早くその姿をスケッチし、背中に羽を描き加えた。富美子の頭の毛はクルっと巻いていたので、可愛らしい天使が幸せを持って降りてくるイメージにピッタリの絵ができあがった。
 さて、次は色であるが、黄色そのままではいかにも落ち着かない。水飴色に近いイエローオーカー調とし、天使の周りはえび茶色に近づけて完成となった。
 田町工場の松本課長から羽の数を変えてほしいと言われたので、そのとおり書き直してから本社へ持っていった。すると、営業の大串松次さんが漢字が少ないと言って「滋養豊富 風味絶佳」と達筆で書いたのを持ってきた。垂らしたリボンの両脇にこの文字を入れて、ようやく完成となり、謝礼として十円が支給された。
 熊次郎が考案したデザインは、現在に至るまで森永ミルクキャラメルのパッケージに使われている。何事も移り変わりの激しい世の中にあって、大正、昭和、平成の三代を通して同じデザインが生き延びてきた事実は、商品そのものの息の長さとともに特筆に値することではないだろうか。

 若干注釈する。「末広がりの『森永ミルクキャラメル』の文字」とあるのは、字体が「末広がり」ということではなく、文字の一画一画が「末広がり」になっているという意味であろう。この文字のデザインは、一九一四年(大正三)の紙サック入りの発売から今日まで、九九年間、変わっていない。ちなみに「森永ミルクキヤラメル」の「ヤ」は、大きい「ヤ」で、この点も、九九年間、変わっていない。
「営業の大串松次さん」とあるのは、当時の営業部長・大串松次のことである。紙サック入りの「森永ミルクキヤラメル」を提案し、実現させたのは、この大串松次であったという(『森永五十五年史』二二八~二二九ページ)。
 なお、『森永五十五年史』には、紙サック入りの「森永ミルクキヤラメル」のデザインを担当したのが洋画家の八木彩霞であったことには触れていない。また、「滋養豊富 風味絶佳」の達筆が、大串松次のものであることにも触れていない。

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