礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

暗号連絡は、「明碼符」の数字を使う

2017-01-06 04:05:47 | コラムと名言

◎暗号連絡は、「明碼符」の数字を使う

 上原文雄著『ある憲兵の一生――「秘録浜松憲兵隊長の手記」』(三崎書房、一九七二)を紹介している。
 本日は、「痛恨近衛密使逮捕の顛末」の節の続きを紹介する(同節の二回目)。

 小山曹長との打合せでは、
◎宮崎〔竜介〕は今夕七時〔一九三七年七月三日午後七時〕の特急で京都に向い、男山八幡宮〔岩清水八幡宮の旧称〕を参拝した後、明朝神戸で乗船する。船室は宮崎と護衛の分と二席が用意されている」
◎「陸軍省の方針が、〝渡航阻止〟に決定した場合は、神戸か長崎で憲兵が逮捕に来ることになっている」
◎「上海に着いたなら埠頭で、丸めた新聞紙を左手に持って、二人で立っていれば、外国公館の旗を立てた汽艇か自動車が迎えに来るからそれに従う」
◎「暗号連絡は、明碼符(中国語暗号書)の頁と行と字段の数字を使う」等々であり、上海までの一等乗船券が渡された。打合せが終ると、伍長一名が私達の乗船を見とどけるために神戸まで随行することとなり、〔一九三七年七月三日〕午後九時頃の最終特急で東京駅を発った。
 列車が名古屋を過ぎる頃は夜中であったが、駅々には北支増派部隊の歓送に繰り出した在郷軍人会や国防婦人会の人々がひしめき、万歳々々の歓声にどよめいていた。
 翌四日未明に三の宮駅に下車、埠頭に直行して長崎丸に乗船したところ、まだ宮崎の姿はなかった。
 暫らくすると、宮崎が白い背広姿で現われた。
 船席で対面し名刺を出して、
「宮崎先生でありますか私はあなたの警護のため随行することになりましたのでよろしくお願いします。途中で方針が変って、下船することになった場合は、私の指図に従っていただきます」
 と告げると、
「それは御苦労様です。昨夜京都で用事をすませ、国家の重大使命をおびることになりましたので、男山八幡宮を参拝祈願して来ました」
「私は、昨夜先生より遅れて東京を立ちましたので、駅から直行いたしました」
「この度のことは、首相から陸軍大臣に諒解を得てありますので、軍部が妨害するようなことはないでしょう」
 と、挨拶を交し、随行の伍長に、
「確かに宮崎先生と乗船したと伝えてくれるように」
 と、依頼して退船せしめた。
 出航のドラが鳴り、第二のドラが鳴って、いよいよ船が離れようとしたときであった。
 神戸憲兵分隊長舟木少佐が、制私服憲兵十数名を連れて、けたたましく乗船して来て、
「宮崎竜介はおらぬか、陸軍省の命令により逮捕する」
 と怒鳴った。私が立って
「宮崎先生はここにおられます」
 というと、
「お前憲兵か、憲兵なら何故上船前に神戸分隊に連絡しなかったのか? 東京の憲兵は勝手が多くて困る」
 と、不気嫌であった。
 とにかくそこで宮崎竜介は船から降ろされ自動車で神戸分隊に連行された。
 直ちに宮崎は留置場に留置され、私も偽憲兵かも知れぬというので留置されそうになったが、顔知りの激兵がいて難をのがれた。【以下、次回】

「明碼符」は、原文では「明馬符」となっていたが、引用者の判断で訂正しておいた。読みは、たぶん「みまふ」。

*このブログの人気記事 2017・1・6(3・9位にやや珍しいものが)

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