礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

宇野浩二、永井荷風の作品と文章を論評する

2015-09-28 05:25:04 | コラムと名言

◎宇野浩二、永井荷風の作品と文章を論評する

 高校生のころ、岩波文庫で『苦の世界』を読み、その後、一時期、宇野浩二に心酔した。宇野浩二は、みずから「小説の鬼」と称していただけあって、「文章」にうるさかった。いくつか、文章を論じた本も発表している。私は、宇野浩二の文章論を読んで感心したことはないが、宇野の文章そのものには、いつも感心している。かなり、宇野の文体の影響を受けているような気もする。
 さて、本日は、宇野浩二が、その文章論を集めた『文章往来』(中央公論社、一九四一)という本から、「永井荷風」というエッセイを紹介したい。初出などは不明。
 かなり長い文章(二九七~三一二ページ)なので、紹介するのは、その一部(三〇四~三〇七ページ)。
 永井荷風のことを、素直には評価していない。しかし、荷風という作家とその作品を、それまで強く意識してきたことが、ありありとわかる。

『雨瀟瀟』は、発表された当時、(大正十年)久しぶりの小説であつたばかりでなく、『腕くらべ』や『おかめ笹』とまつたく傾向の違つた小説であつたから、一部の人々から非常に賞讃され、私も感心して読んだ覚えがあるが、その頃の荷風の心境小論としては勝れた作品であるかも知れないけれど、結局、荷風独得の散文詩であると思ふ。しかし、いづれにしても、この小説は、この小説を一つの転機として、荷風が、潤一郎と反対に、その後、老境などの域にはひらなかつた境の作品として、重要な位置を占めるものであらう。しかし、『雨瀟瀟』の初めの方にかういふ所がある。
《その頃のことと云つたとて、いつも単調なわが身の上、(‥‥)唯その頃までわたしは数年の間さして心にも溜めず成りゆきの侭送つて来た孤独の境涯が、つまる処わたしの一生の結末であらう。此れから先わたしの身にはもうさして面白いものもない代りまたさして悲しい事も起るまい。秋の日のどんよりと曇つて風もなく雨にもならず暮れて行くやうにわたしの一生は終つて行くのであらう。‥‥》
『ちぢらし髪』も、『かし間の女』も、『やどり蟹』、(昭和二年)を書き、少しおいて、『あぢさゐ』、(昭和六年)『つゆのあとさき』、(昭和六年)それからまた時をおいて、『ひかげの花』(昭和九年)、『濹東綺譚』(昭和十一年)その他の小説を、荷風の、小島政二郎〈マサジロウ〉の言葉を借りると、「歌はなくなつた、写実小説」を私は買ふのである。
 しかし、実をいふと、『ちぢらし髪』も、『かし間の女』も、『やどり蟹』も、発表当時は、みな読んだが、どれも好きになれなかつた。三篇とも、『ちぢらし髪』は女学生あがり、『かし間の女』は或る媒介所に出入りする女、『ちぢらし髪』にも、『かし間の女』にも、主役の女と脇役の女とが出て来る、共に関東の震災直後の頃で、出て来る女たちは、その境遇はちがひ、相手にするいろいろな階級のさまざまの職業の年は、十六七歳から六十歳までの男であるが、申し合はしたやうに、種類、傾向、肌合ひ、その他は、少しづつ違ふだけで、色好みで、無智で、現実的で、無節操で、従つて、夢と空想は絶対に持つてゐないところが共通してゐる。尤も、これは、この種の小説の代表作、『つゆのあとさき』、『ひかげの花』の女主人公も殆ど同じであるが。ところで、右の三篇は、作者も女主人公と殆ど全く同じ気もちと態度で書いてゐるかと思へるほど、色気といふものが殆どない。つまり、私が好きになれなかつたのは、あまりに夢がなさ過ぎたのと、といつて、フロオベルの或る小説に見られる芸術的な冷静といふやうなものがなかつたからである。その上、作著にすぐれた写実の腕があるので、常識的な意味で、目を蔽ひたくなり耳を塞ぎたくなるやうな場面や会話に実感が出過ぎるからである。つまり、この小説の作者、荷風が、『小説作法』の中に書いてゐる「読む者をして編中の人物風景ありありと目に見るやうな思ひをなさしめる」実演をしてゐるやうに思はれるからである。
 そこで、『ちぢらし髪』か、『かし間の女』か、どちらかの中から引きたいのであるが、それは遠慮して、その代り、一種の名作『ひかげの花』の初めの方から、あまり当たり触りのないところを、適宜に引いてみよう。
《『ちよいと、今日は晦日【みそか】だつたわね。後であんた郵便局まで行つてきてくれない。』とまだ夜具の中で新聞を見てゐる男の方へ見かへつたのは年のころ三十も大分越したと見える女で、細帯もしめず洗ひざらしの浴衣の前も引きはだけたまま、鏡台の前に立膝して寝乱れ髪を束ねてゐる。》
 又また文学の一年生の講義をするやうであるが、右の一節は、念を入れて読むと、普通にいふ色気は幾分あるのであるが、文章は、枯淡といふか、実に色気のない文章である。一と口にいふと、『ひかげの花』は、生きも張りもない男女の生きも張りもない生活を、生きも張りもないやうな文章で書かれた小説で、しかも、誰にも真似の出来ない小説である。この小説がどうして、すぐれた小説であるか、見方によつては、この小説が、荷風のあらゆる小説の中で、一二の作品であり、少なくとも、五本の指の中にはひる作品であることを委しく書くのは、大変な寄り路になるし、この文章には必要がないから割愛する。そこで、一と口にいふと、『ひかげの花』は、小説としては、実に素気〈ソッケ〉ない小説であり、人間になぞらへると、実に素気ない人間である。
 ところが、『ひかげの花』を、新進気鋭の批評家の中村光夫は、「『腕くらべ』の色恋は綺麗事である。『つゆのあとさき』の君江は都会風景の花やかな焦点に過ぎない。しかし『ひかげの花』に至つては荷風の女は完全に人間の肉体を具へた〈ソナエタ〉。しかもその肉体は残酷なまでにいやらしいのである。」と書き、正宗白鳥は「荷風もここ(『ひかげの花』)まで到達した」と褒めてゐる。
 これで見ると、批評界の老若の名家が『ひかげの花』を荷風の作品の中で(『濹東綺譚』の出ない頃、)最高の小説であると称してゐる訳である。その上、『ひかげの花』を掲載した雑誌の編輯者の話によると、『ひかげの花』の出た号は増刷した。これは稀有〈ケウ〉の事であるといふ。つまり、『ひかげの花』は黒人【くろうと】にも素人にも受けたといふ事になる。これを聞いて、私は、不思議な気がした。しかし、すぐ当然であるとも思つた。【後略】

*このブログの人気記事 2015・9・28

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木戸幸一内大臣の共産主義容... | トップ | 松川事件と宇野浩二 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事