礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

1945~1949年の芸能ゴシップ史概観

2013-02-09 06:21:37 | 日記

◎1945~1949年の芸能ゴシップ史概観

 内外タイムス文化部編『ゴシップ10年史』(三一新書、一九六四)という本がある。一九五四年(昭和二九)から一九六三年(昭和三八)にいたる十年間に生じた芸能界のゴシップを一年ごとにまとめて紹介した本である(一九六四年のゴシップにも少し触れている)。今どき、こんな本を読む人もいないだろうが、結構おもしろかった。
 冒頭に「前史(四五年―五三年)」という章が置かれているが、戦後の九年間における芸能史をコンパクトに、また印象深く紹介している。本日は、この前史の前半部分を紹介しよう。

 前史(四五年―五三年)
 文学座が石川県の小松市に疎開したのが一九四五年五月。沖縄はとられ、本土決戦は間近い。六月、小松で宮口精二、戌井市郎〈イヌイ・イチロウ〉がヤミ米を運搬中、お巡りに捕まり、こってりと油をしぼられた。八月六日、広島に原爆が落ち、移動演劇さくら隊にいた丸山定夫、園井圭子らが死去、十五日は終戦となる。それから三日間、全国の映画館は自粛休館。
 戦災館五百三十館、八月十五日の残存館八百四十五、うち休止館二百六十。当時封切館の入場料九十五銭(戦時物価統制令による)。
 九月島津保次郎監督が死去、十月には土方与志が出所してくる。十一月、日本共産党再建、十二月、東宝、大映の撮影所に労組が結成される。
 松竹の新版『愛染かつら』が徹底的に稼いだ。コヤは少ない。遊んでいる人間は多い。そして製作費はかかっていない。都市も田舎も『愛染かつら』をやれば客は行列を作った。夢のような話である。
 歌は『リンゴの歌』。バカみたいに日本人はこれを歌った。
 一九四六年一月一日、天皇が「神様ではない、人間である」と宣言。組合員二千七百名で日映演〔日本映画演劇労働組合〕が結成される。初代委員長は八木保太郎。二月、小津安二郎監督がシンガポールから帰還してくる。
 インフレが進み、浅草は何をやっても押すな押すな。入場料金も値上げで封切館は三円になる。
 東宝労組が生産管理を要求、無期限ストに入った。四月スト解決。戦後第一回の総選挙で婦人代議士三十九名当選、永田雅一と堀久作はミゴト落選した。
 五月、吉田〔茂〕内閣成立、米よこせデモは宮城の中に入る。徳球〈トッキュウ〉〔徳田球一〕が天皇家の冷蔵庫をコジあげオトコをあげた。
 入場料は四円五十銭に値上がり。しかし松竹『はたちの青春』で幾野道子、大映『或る夜の接吻』で奈良光枝が、本邦初のキッス・シーンを演じ、客はそれが見たさで、値上がりを気にしない。六月、東宝がニュー・フェイスを募集、四十八名合格する。復員服姿で、一きわきたなかった受験生が三船敏郎。後に国際スターとなる。
八月、吉村公三郎復員、日映〔日本映画社〕岩崎昶〈イワサキ・アキラ〉製作局長がテロにあう。池真理子の『愛のスイング』、接吻映画の主題歌『悲しき竹笛』が大流行。
 九月、伊丹万作死亡。十一月、東宝で四百五十七人が日映演を脱退、大河内伝次郎、長谷川一夫らが「十人の旗の会」をつくる。
 中国においては、国・共の第二次内戦に入る。年の暮、ホー・チミン軍が仏軍とトンキンで戦闘を再開。
 一九四七年、伊デ・ガスペリ内閣誕生、社共が絶縁する。六月、マーツャル・プラン発表。日本では一月三十一日、GHQが二・一ゼネスト中止を命令。伊井弥四郎がNHKマイクの前で泣く。九月、中共〔中国共産党〕、東北に人民政府樹立。『東京の花売り娘』『啼くな小鳩よ』など、一連の岡ッパル〔岡春夫〕調がウケ、空気座『肉体の門』(田村泰次郎原作)が大当たりする。
 全国各地で(NHKのど自慢の影響で)素人演劇、素人のど自慢が連鎖爆発的に開催、一億総芸人化の下地をつくっていく。連続放送劇では菊田一夫の『鐘の鳴る丘』が大評判。
 爾光尊〈ジコウソン〉にこった呉清源〈ゴ・セイゲン〉、双葉山が話題になる。とりわけ、双葉山は金沢の本拠をガサ入れした警官隊を投げ飛ばし、勇名を馳せる。
 十一月、城戸四郎、大谷博、菊地寛、川喜多長政〈カワキタ・ナガマサ〉らが追放になった。
 一九四八年一月一日、内務省解体、永田雅一追放。四月、東宝に渡辺銕蔵〈ワタナベ・テツゾウ〉、馬淵威雄〈マブチ・タケオ〉らが乗りこみ、共産党員および同調者の首切りに着手する。六月、大宰治入水自殺。八月、東宝撮彰所に武装警官二千名が出動、仮処分の執行。イタリアでも、ネオ・リアリズム映画が後退しはじめる。
 十月、昭電疑獄で芦田〔均〕内閣が倒れ、十一月、極東軍事裁判は、東条〔英機〕以下七人に絞首刑の判決を下す。
『みかんの花咲く丘』で川田正子・孝子が売り出し、童謡ブーム到来。
 十一月、中共は万里の長城を突破した。
 前年はヤミ屋が長者番付のベスト五に入ったが、この年は高利貸しの森脇将光が九千万円を稼ぎ出して日本一になる。
 一九四九年、天津、北京が陥落、中共軍は四月、揚子江を渡る。七月、下山〔定則〕国鉄総裁死亡、三鷹事件おこる。
 八月は引きつづぎ松川事件。秋、国鉄は定員法反対闘争で大敗北を喫する。徳球は九月大革命説をふりまく。
 経済的にはドッジラインの年で、インフレはとまり、物より現金の時代になる。
 十月、中国革命成る。ヨーロッパではNATO創設。歌は艶歌黄金時代、近江俊郎、小畑実らに人気集中。
 十一月、田中絹代がアノリカへむかい留守中、松竹と新東宝が彼女をうばいあう。
 笠置しず子のブギウギ、『腰抜け二挺拳銃』の主題歌『ボタンとリボン』がすし詰めのダンス・ホールで大流行。この年『野良犬』〔黒澤明監督・三船敏郎主演〕が文部大臣賞をとり、前進座が日共へ集団入党した。
 一九五〇年二月社会党分裂、六月六日、日共幹部二十四名追放、二十五日朝鮮戦争勃発。
 巷では千円札がはじめてお目見得し、年齢を満で数えるようになる。アメリカにおいてはマッカーシー旋風が吹きはじめる。日本では電産一千名のレッド・パージ。
 東宝撮影所細胞に解散命令が下り、伊藤武郎、山形雄策らが追放になる。前年渡米した田中絹代が、毛皮のハーフ・コートを羽織り、サン・グラスをかけて凱旋帰国。オープン・カーで銀座通りをデモった。あとでこのタイドが各紙からコテンパンに叩かれ、田中は自殺をはかった。
 続いて霧島昇、市丸、二葉あき子、渡辺はま子、山口淑子、川田晴久、榎本美佐江などが、朝鮮での激しい戦争をよそに、陸続としてアメリカヘ渡った。十月末、中共が人民義勇軍を北朝鮮にくり出し、国内では第一次の追放解除をGHQが承認した。『銀座カンカン娘』とロング・スカートが流行。秋『アメリカ通いの白い船』がはやり、キティ台風が本土に上陸して荒れ狂う。【以下略】

 前史の後半は割愛。『ゴシップ10年史』の紹介は、続けます。

今日のクイズ 2013・2・9

◎「悲しき竹笛」が主題歌となった映画は、次のうちどれでしょう。

1 『或る夜の接吻』  2 『はたちの青春』  3 『悲しき竹笛』

【昨日のクイズの正解】 3 第一次大戦後の1918年に独立したが、第二次大戦中はソ連やナチスドイツに占領され、戦後もソ連領だった時代が長かった。■「金子」様、正解です。ラトビア(ラトヴィア)は、1940年にソ連に併合され、ラトビア・ソビエト社会主義共和国となった。1941年には、ナチスの軍制下にはいったが、1945年、ふたたびラトビア・ソビエト社会主義共和国となる。1990年、ラトビア共和国として、ソ連からの独立を宣言、翌1991年、ソ連が独立を承認し、完全独立をはたした(ウィキペディアによる)。

今日の名言 2013・2・9

◎復員服姿で、一きわきたなかった受験生が三船敏郎

『ゴシップ10年史』(三一新書、1964)の12ページに出てくる。写真の技術を持っていた三船敏郎は、東宝の撮影助手になることを希望していたが、何かの手違いで、ニュー・フェイスに応募することになったという。一度、不合格とされた三船が、成城学園前駅から呼び返された話は有名。

*お知らせ* 都合により、明日から数日間、ブログをお休みします。

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