礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

キコリの九右衛門が熊に助けられた話

2015-05-16 05:44:07 | コラムと名言

◎キコリの九右衛門が熊に助けられた話

 昨日、某古書展で、塚本哲三『漢文初歩学び方考へ方と解き方講義』(考へ方研究社、一九二五)という本を入手した。古書価一〇〇円。まだ、車中で、パラパラと拾い読みした程度だが、漢文の入門書として、よくできているように思う。
 まず、漢文の白文があり、それについて「考へ方」という説明があり、そのあとに「解」がある。「解」の前半は、句読点・帰り点・送り仮名が施された漢文、その後半は、現代語訳。漢文書き下し文は、あえて載せない方針のようだ。白文には、もちろん、長短や難易があるが、全篇がほぼ、この「白文+考へ方+解」の繰り返しになっている。
 これで、キチンと勉強すれば、漢文というものに対する抵抗がなくなるばかりか、相当に、漢文の実力がつくのではないだろうか。
 一例をあげてみよう(二七五~二七七ページ)。

【例四】数十日終与熊相狎如同胞然而九帰思甚切一日出窟負
喧捫蝨熊口其袖引之若将誘行者乃尾而往熊爪積雪啓徑行里
余始得人跡驚喜厚謝熊熊一逸而去不知其所往九合掌礼拝目
送久之遂得帰家云(信夫如軒)
 考へ方 これは越後魚沼〈ウオヌマ〉郡妻有〈ツマリ〉村の樵夫【きこり】九右衛門が熊に助けられたといふ話のおしまひの方で、本文に九とあるのは即ち九右衛門の事である。この文に至るまでの話の筋をいうて見れば次のやうである。
 九右衛門が寒中大雪の中を山へ薪〈タキギ〉取りに行つた。木を橇【そり】に載せて帰る途で、つまづいて谷間に落ちた。雪で身は埋まる、日は暮れてまつ暗にはなる、所詮助からぬものと思つてそばを見ると、五六人もはいれさうな洞穴【ほらあな】がある。念仏を唱へ唱へはひ〔這ひ〕込んで行くと温か味がある。奥へ行けば行く程温い。膝をすゝめると獣の毛にさはつた。びつくりしてこれはたしかに大熊だと思つたが、さて逃げようにも逃げられはせぬ。そこで度胸をきめて、きちんと坐つて熊に向ひ、「熊よ善く聴け、おれは妻有村の九右衛門だ。今誤つて谷底に落ちた。そして思ひ掛けずお前のすみかにはいり込んで来た。お前おれを食ふ気ならすぐに引裂け。若しなさけがあるならどうか救つてくれ」と、言ひ言ひぼろぼろと涙を流して、歯の根も合はずぶるぶるとふるへて熊の背なかを撫でた。すると熊は少し身を起して尻で九右衛門を推して奥へはいらせるやうにした。そこでそばに坐つて見ると丸で炉にあたるやうだ。所が九右衛門は腹がへつてぐーぐーいつてたまらなくなつて来た。すると熊は手のひらを挙げて九右衛門の口に当てた。九右衛門思ふやう、熊は夏の中〈ウチ〉に虫けらを手のひらですりつぶして冬ごもりの食料にする、これはきつとおれに嘗【な】めさせるつもりだらうと、舌でなめて見ると非常に甘くて少しの苦味【にがみ】がある。ペラペラとなめるとすつかり腹がふくれて気分がよくなつた。その中に熊はぐうぐういびきをかいて寝てしまつた。九右衛門も始めて安心して背なか合はせに眠つた。目が覚めて見ると洞穴の口が少しあかるい。出てあたりを見るに、一面真白で帰り途はない。熊は瀧の所へ水のみに出た。大体から見て犬七匹ぶり位の大きさがある。熊は穴に帰つた。九右衛門は独りじつと立つてゐて、きこりの音をきゝつけて方角を考へようとしたが、あたりはしーんとしてゐて鳥の声一つせず、只さアさアといふ瀧の音より外には聞えるものはない。その中に日がくれたので、また洞穴へはいつて、熊の手のひらの御馳走で飢〈ウエ〉を免れた。
 これから以下がこゝの文になるのである。負喧【ケンヲオフ】はヒナタボツコをする事である。喧は日ノ暖カミをいふ字である。捫蝨【シラミヲモンス】はシラミヲヒネリツブス。口其袖の口は口ニクハヘルといふ動詞に使つたものと考へて口シテと読む。尾【ビシテ】はアトニツイテ。一逸【イチイツ】は一カケカケテ、一サンニ走ツテである。これ等を根柢にしてよく話の筋の立つやうに考へて行く。

 このように、丁寧な「考へ方」がある。これを読めば、よし、最初の白文に挑戦してみよう、という気になる。
 信夫如軒は、ママ。明治の漢学者・信夫恕軒〈シノブ・ジョケン〉のことであろう。この話の出典は、まだ調べていない。
 上記に続いて、「解」となるが、これは、次回。

※当初、原文のルビと引用者が注釈として施した読みを区別していませんでしたので、これらを区別しました。【 】内が原文のルビで、〈 〉内が引用者による読みです。また、若干の誤入力がありましたので、この機会に訂正しました(2021・2・11追記)。

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1 コメント

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Unknown ( 伴蔵)
2015-05-18 22:12:58
 これもまた、興味深いお話ですね。
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