礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

無条件降服は我々に貴重な教訓を与えた(田中耕太郎)

2022-11-04 01:05:51 | コラムと名言

◎無条件降服は我々に貴重な教訓を与えた(田中耕太郎)

 田中耕太郎『教育と政治』(好学社、一九四六)の紹介を続ける。
 本日は、同書から、「国民道徳の頽敗と其の再建」という文章を紹介する(一三七~一五七ページ)。この文章は、一九四六年(昭和二一)一月一四日発行の「文部時報」の第八二四号に掲載された。やや長いので、何回かに分けて紹介する。

  国民道徳の頽敗と其の再建

      一
 無条件降服のミゼラブルな事実は我々に数多の貴重な教訓を与へることになつた。此の教訓に気がつかなければ、又それに基いて我が国民が根本的に自己の欠陥と過去の罪悪とに就て反省するところがなければ、此度の言語に絶する馬鹿気た犠牲は、真に馬鹿気たものに止まるであらう。若し我が同胞が真に此の事実に就て根本的に反省するならば、戦死者達や横死者達は若干以て冥するところがあるであらう。
人は今新教育の方針に就て盛んに論議してゐる。我々は民主主義的教育や自由主義的教育を論ずる前に、具体的事実から教育材料を採つて、今後の教育が如なる方向に赴かなければならぬかを示すのが一層有効な教育方法と考へるのである。現に我々の目前に横つてゐる最も顕著な事実は、我が日本の悲惨なる姿である。此の姿を自らみつめること、それ自身最も重要なる教材資料の一つを為すのである。それは最大の実物教育である。
      二
 連合軍司令部側で中等初等の諸学校で、地理や修身と共に歴史の授業を停止すること及此等に関する教科書の回収を命じた。歴史は即ち教訓其のものである。それは過去の記録でゐる。而して其の過去の事実の中には成功と失敗、徳行と罪悪、文明と野蛮とがそれぞれ混淆してゐるに違ひない。若しそれ歴史が一民族の美点のみを顕揚し、欠点に関しては口を緘し〈トザシ〉てゐるとするならば、斯る〈カカル〉歴史は真実性を欠如し、従つて其の民族に対し何等教訓とはならないであらう。
 日本の歴史教育は従来民族的優越性の強調に尽きてゐたと云ふも過言ではない。それはナチ独逸流の人種理論――これが偽似科学であつた――—程の科学性もなく、神がかり的の態様を以て為されたのであつた。今や歴史を被ふてゐた神秘的なヴエールは取り除かれ、真実に即する歴史の研究が出現する可能性が開かれた。
 然しながら真実に即する歴史教科書の編纂は容易の業ではない。従つてそれが出来上るまで連合軍側では最近の時局に関する資料を題材として用ふることを示唆してゐるのである。
 満洲事変以来降服までの事実の研究は、従来の誤れる国史教育への対症療法として甚だ有効なものと信ぜられる。〈一三七~一三九ページ〉【以下、次回】

 田中耕太郎は、一九四五年(昭和二〇)一〇月に、東京帝国大学法学部長から、文部省学校教育局長に転じた。この文章は、文部省が編集していた「文部時報」に、文部省学校教育局長として発表したことになる。
 文中、「偽似科学」は原文のまま。「擬似科学」の意味であろう。

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