礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

子供を呼ぶやうに聞える鳥を呼子鳥といふ

2022-11-12 02:55:03 | コラムと名言

◎子供を呼ぶやうに聞える鳥を呼子鳥といふ

 松尾捨治郎著『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、の「第二十九 義門中心の方言座談会」を紹介している。本日は、その後半。文中の傍線、一字アキは原文のまま。
 
    二  第 二 座 談 会

 第二の座談会は、第一巻の終にある『よぶこどりもゝちどりの条』で、之は前者やや詳しく記されて居る。
 時 不明
 処 不明(或は京の高倉学寮でか)
 人 1 行馨(越前)     2 義辨(肥後)
   3 法雲(若狭)     4 義門(若狭)
   6 備中の人(地理学者古川辰、即ち古松軒の代弁者)
話題は古今伝授の三鳥(百千鳥 呼子鳥 稲負鳥)のことに端を発した者と想像される。
  行馨「私の国の越前の厨浦〈クリヤウラ〉に、よぶ子鳥といふのがゐる。雀二つより少し大きく、つぐみに似て色は灰色で夕方から夜にかけてピツピイピイピツピイピイと優になく。ねざめなどにきくと哀〈アワレ〉である。山では鳴かない。塩浜で鳴く。類題に浦喚子鳥といふのが是であらう。又山でカツポカツポとなく鳥が居るのをかつぽ鳥といふが、芳野〔吉野〕では之をかんこ鳥といふことを芳野の人から聞いてからは、心がら〔心柄〕かカンカンコと鳴くやうに聞える。
  義辨「肥後でも其と同様の事があるけれども、特別な鳥ではなく、鳩のことである。
  法雲「山でカンコカンコとなくのをカツポカツポと聞けばきかれる。それをかんこ鳥といふのは尤もだが、鳩といふのは賛成できない。実はカツコウカツコウと聞えてひどく物淋しい。形は鳩に似て居るけれども少し細長い。夏冬は嗚かず、秋多く嗚き、春も稀に嗚く。
  義門「自分の国〔若狭〕のことだが一向知らずに居たのに、かうして諸国の人と京に集つた時に、之を聞くのは誠に面白い。
  備中人「どうも自分の聞いてゐるよぶ子鳥は諸君のいはれるのとは大分ちがふ。奥州に行つた時、ある村の子供が「呼子鳥が嗚くは、あれあれ。」と云ふのを聞いて、「其はどんな鳥か。」と聞いた所が、「此と一つきまつた鳥ではないよ。何でも子供を呼ぶやうに聞える鳥を呼子鳥といふのだよ。」と云つたが、その子供のいふことは如何にも尤で、さう考へると「をちこちのたづきも知らぬ山中に覚束なくも呼子鳥かな」といふ古今の歌もよく分る。かんこ鳥などといふのは、喚子鳥の三字を音訓まぜて、湯桶読〈ユトウヨミ〉によんだのが広まつて、カンコカンコと鳴くと思つて聞くやうになつたに過ぎない。閑古鳥などと書き、其の字に捕はれて、淋しい処のたとへにいふのは従ひ難い。
  義門「子を呼ぶやうな鳥といふのは面白いが、若しさうならぱ、子呼び鳥といひさうなものである。(如何にも文法家らしい口吻)しかし、物の名となつた詞にはさういふ例もあるから、奥州の子供のいつたことも認めねばなるまい。けれども、日本中何処へ行つても子を呼ぶやうな鳥を、総てさういふのではなく、行馨さんのいふやうに、厨浦同様、或一種の鳥をいふ地方もあるだらう。山中におぼつかなくも云々と詠んだ歌にはよし合はなくても、其は其で又別に考へなくてはならない。要するによぶ子鳥といふ名は一つで、指す所の者は一つではないのであらう。それにしても、よぶ子、どりよぶ、小とりかの疑が起る。又よぶ子鳥とは話がちがふが、百千鳥は多くの鳥のことらしいのに、鵆〈チドリ〉と国字を宛てるのは、一種の鳥であるから、百の鵆と見てもよく、又百も千も数では〔な〕く、ちどりをさう云つたのかも知れない。その嗚く声が君が御代をば八千代とぞなくといふ位でチヽチヽイと聞えるからの名であるとも考へられる。和泉式部集に「下水のほとりにちどりの唯一つたどるを見て」とはしがきがあつて、「友をなみ川せにのみぞ立ゐける、百千鳥とは誰かいひけん。」とよんでゐるのは確かに鳥の名に相違ない。
  義辨「諸君はカツポカツポと嗚くといはれるが、あれはカツポではなく、クワツポクワツポである。すべて京都の人は くわん かん くわく かく など、入声  又平上去のの上のは、よく区別するので、関東人の区別出来ないのを笑ふが、の上の カウ クワウ は京都にも分らないのは、いはゞ五十歩にして百歩を笑ふのと等しいことだ。
  義門「さうはいつても 香【カウ】 光【クワウ】 はやはり区別できないだらう。
  義辨「いや、私の国の肥後では、甲乙両人初めて逢つた時、甲が乙に君の名は何といふかと聞いて、乙がカウだと答へれば、甲は「ではその文字は香【カウ】か紅【コウ】か」とは問ふだらうが、「光【クワウ】か廣【クワウ】か」などと問ふやうなことは決してない。コウとカウとは分らないが、カウクワウとは誰でもよく言ひわけるからだ。
  義門「成程、其は面白い。如何にもカとクワとが区別できるならば、カウクワウとも区別できる道理だ。
  義辨「又肥後では、すべて言葉のおをの区別は出来ないが、いろは歌のをわかおくやまとは判然区別し、をわかの方はウオのやうにいひ、おくやまの方は単にと発音する。但し、いろはうゐとは区別しない。こえてゑひもとも区別できない。
  義門「其はちりぬるをの方は、上のの母音がであるから、其が下に及んでウオのやうになり、うゐのおくの方は、上のの母音がであるから、其のつゞきで軽くと出るのである。其は肥後の人ばかりでなく、誰でもためして見れば分るであらう。石見の小篠敏が「天明頃五十音を和蘭人に唱へさせて見た所が、あ行は単純なに聞え、わ行のはウオと聞えたが、此は第一の音のとにつれて、自然に分れた者だ。」といふを本居〔宣長〕翁にいつてやつたことが「玉勝間」に記されてある。
大体こんなことが記されて居る。
「活語余論」中には、此の外にも 九州の方言コチラニ 若狭方言の我(ワ)ナ物や'ツラクラ などといふ語について説いた所もあるが、会合の席の話題となつたのは上記の二回の事のやうに認められる。
      (昭和一二年一月三〇日、國學院大學方言研究会に於ける講演筆記)〈三七六~三八〇ページ〉

「かんこどり」の語源が議論されているが、広辞苑には、「カッコウドリの訛か」とある。
「をちこちのたづきも知らぬ山中に覚束なくも呼子鳥かな」は、「古今和歌集」巻第一にある歌で、「題しらず」、「よみ人しらず」だという。
「古今伝授の三鳥」という言葉があるという。百千鳥(ももちどり)、呼子鳥(よぶこどり)、稲負鳥(いなおおせどり)のことだが、それぞれ、どういう鳥を指しているのかについては、定説がないらしい。

*このブログの人気2022・11・12・12(8位の森永太一郎、9位の学校儀式は久しぶり)

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