礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

尊敬の度によって敬語を用い分ける用意がありたい

2022-11-15 03:54:18 | コラムと名言

◎尊敬の度によって敬語を用い分ける用意がありたい

 松尾捨治郎『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、「第二十八 活語余論後篇の所説について」を紹介している。本日は、その三回目。
「一  序言」のあと、「二 動詞 副詞 助詞 に関する説」、「三 字音 訓 音声 仮名に関する説」、「四 神儒仏三教に関する説」と続くが、これらはすべて割愛し、「五 大義名分に関する説」を紹介する。
著者が義門の「活語余論後篇」を要説しているところは、《  》によって示す。その中で、改行して歌文が引かれている場合は、――によって示す。傍線、一字アキは原文のまま。

    五 大義名分に関する説

7 此の類の所説は、義門の思想を明かにすることが出来ると信ずるので、少しく詳細に述べる。
《荻生徂徠が「福嶋正則国初功臣中最凶猛者」といふのは、名分を誤つた者である。何がしの漫筆に「足利十五代は開国より滅亡まで……虎狼の世界といふべし」といつて居るのは、尊氏を尊んだのではないが、道理を弁へない用語である。》
此の何がしの漫筆といふのは、太田錦城の梧窓漫筆を指すのである。
《又、同じ書に「東照神君は……四百年余の乱を平げ玉ひて、如此太平無事、鼓腹凱楽の世界と成し玉へり。其功徳の高きこと、豈鎌足の比並する所ならんや」とあるのを、或人は
 ――かの談峰にます神の御事を申に其の御名をば、おのが友などよぶやうにいひはなちて……
と批難した。》
と言つて居るが、此の或人といふのは実は義門其の人であるらしい。又
《藤定家〔藤原定家〕 行尊〈ギョウソン〉のよみし歌 などといひながら、一方では岡部翁のよまし歌 云々したまふ などといふ学者が居る。舎人親王に対して、いはれ せられ かゝれ と軽い敬語を用ゐる其のつづきに、荷田〔春満〕の大人〈ウシ〉の玉ひし玉ひ 書き玉ひ といふのも不都合である。伊勢貞丈〈イセ・サダタケ〉が
 ――武士は格式をこそ正すべきのに、富と貧とを以て、人を上げ下げするのは商売人の風俗で、武士の礼ではない。(秋草、陪臣無礼の条)
 と言つて居るのと同様、雲の上の御方々の事を、さまで尊ばないのは、礼を弁へないこと甚しい。特に、書を著す程の人で、之を考へないのは、むしろ不思議である。無上世尊や文宣王〔孔子〕の事まで無礼な言方をするのは、鳥や虫が尊い玉簾の上にあがる類と評すべきか。》
といつて居る。筆者なども、古の尊い人に対しての敬語を用ゐるのを怠ることがあるのは、誠に畏多くもあり、又義門に対して恥かしい次第である。
《――みこのたまひける……とのたまひければよみて奉りて……返々ずし給ひて、かへしえし給はず。……(伊勢物語)
 ――みこのいひけらく……といひければよめる……返々よみつゝかへしえず。(古今集)
 同じく惟喬〈コレタカ〉親王の事を申上げるのに、伊勢物語には敬語を用ゐ、古今集には用ゐて居ない。此は撰集は天皇に奉る者であるから、天皇を重く尊ぶ為に親王であらせられても、其の方には敬語を用ゐないのである。》
今の世、濫りに之に倣ふべきではないが、尊敬の度の相違によつて、敬語を用ゐ分けるだけの用意は、ありたい者である。〈三六九~三七〇ページ〉【以下、次回】

 文中、「鳥や虫が尊い玉簾の上にあがる」というところがあるが、この「玉簾」は、たぶん、「玉輦」(ぎょくれん)の誤記であろう。「玉輦」であれば、そこに鳥や虫があがることがありうる。
「伊勢物語」を引いているところに、「返々ずし給ひて」とあるが、「返す返す誦し〈ズシ〉給ひて」と読むのであろう(「伊勢物語」渚の院)。ここは、一般的なテキストでは、「返す返す誦じ〈ズジ〉給うて」となっている。

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