◎生涯の終りの近づいたことを感知せられて……
『国家学会雑誌』の第六二巻第七号(一九四八年七月)、「特輯 美濃部先生の追憶」の紹介を続ける。今回は、柳瀬良幹の「美濃部先生と新憲法」を紹介してみたい。柳瀬良幹(やなせ・よしもと、一九〇五~一九八五)は、行政法学者、東北大学名誉教授。
美濃部先生と新憲法 柳 瀬 良 幹
美濃部〔達吉〕先生が日本国憲法について如何なる意見をもつてゐられたかは、自分は知らぬ。終戦の年、昭和二十年〔一九四五〕の秋、憲法の改正が漸く世間の問題になつた頃、先生が新聞紙上に憲法改正不必要論を唱へられて、津田〔左右吉〕博士の天皇制存置論とともに、著しく世人に意外の感を与へられたことは、まだ人の記憶に新しいことと思ふ(朝日新聞、十月二十一日―二十三日)。次いで先生は、松本〔丞治〕国務大臣の憲法問題調査会に顧問として参加せられ、更に日本国憲法の草案が成立した後は、枢密顧問官としてその審議にたづさはられたのであるが、その際先生がどういふ見解と批評とを懐かれ、又表明せられたかについて、自分は不幸にして何も聞くところがない。惟ふ〈オモウ〉に之等は歴史的の事実であるから、今後誰か必ず之を討ね〈タズネ〉て明かにする人があるであらう。
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日本国憲法が成立してから後は、先生の活動は専らその説明と解釈とに集中せられた。特殊の問題に関して雑誌その他に公にせられた論文の類は別として、単行本の形をとつたこの方面についての先生の仕事は次の四冊に上つてゐる。
⑴ 新憲法概論 昭和二十二年〔一九四七〕四月十日、有斐閣発行。法学選書の一冊。二〇三頁。内容は、第一章総論、第二章天皇、第三章国民、第四章国会、第五章内閣、第六章司法、第七章地方自治、の七章。
⑵ 新憲法逐条解説 昭和二十二年七月十五日、日本評論社発行。嘗て〈カツテ〉法律時報(昭和二十一年十一月乃至二十二年二月)に掲載されたものに補正を加へられたもので、一五四頁。序説の外、前文から第一〇三条までの逐条解説である。
⑶ 新憲法の基本原理 昭和二十二年十月二十日、國立書院発行。憲法普及会編新憲法大系の第一巻。一九四頁。内容は、緒論の外、第一章民定憲法主義、第二章国民主権主義、第三章永久平和主義、第四章自由平等主義、第五章三権分立主義、第六章地方自治主義の六章。
⑷ 日本国憲法原論 昭和二十三年〔一九四八〕四月二十日、有斐閣発行。五〇八頁。内容は、第一章憲法学の基礎観念、第二章日本憲法総論、第三章国土及び国民、第四章天皇、第五章国会、第六章内閣、第七章司法、第八章地方自治の八章。
先生は明治の旧憲法についても同じ四種の体系的著述を残されてゐる。『憲法講話』が一番早くて、明治四十五年〔一九一二〕。次が『日本憲法・第一巻』で、大正十年〔一九二一〕。次が『憲法撮要』で、大正十二年〔一九二三〕。『逐条憲法精義』が一番終りで、昭和二年〔一九二七〕に公刊されてゐる。その外に、なほ明治四十年〔一九〇七〕に『日本国法学』(上巻上・総論)が出されてゐて、それを併せれば五部になるが、その内容は大体に於て『日本憲法・第一巻』と一致するものであるから、先づ四部と見ることが出来る。そしてその内容から見ると、『新憲法概論』は大体に於て『憲法講話』に当り、『新憲法逐条解説』は『逐条憲法精義』に、『新憲法の基本原理』は『日本憲法・第一巻』に、『日本国憲法言論』は『憲法撮要』に当るといふことが出来ようか。唯異なるところは、明治憲法に関する四種の著作は、その間、明治・大正・昭和の三代、凡そ十七年に跨つて〈マタガッテ〉ゐるが、日本国憲法についてのそれは、終戦以来僅かに二年間の作である。之には無論、前者は先生が一歩一歩想を練り、体系を組立てて来られた、いはば先生の精進の道標であるのに対し、後者は既に作り上げられた体系と完成せられた思想とのいはば応用である違ひもあるであらうが、同時にその間に於ける先生の年齢の推移を考へるときは、誠に驚くべきことといはなければならぬ。人は恐らくこの事実を見て、或は老〈オイ〉を知らぬ先生の学問的精力と熱情とに感嘆し、畏敬し、脱帽するであらう。けれども、率直に自分の気持をいふならば、それ等は要するに他人の議論であつて、自分には、先生がかくも急速に仕事を進められたことは、先生が無意識のうちに生涯の終りの近づいたことを感知せられて、只管〈ヒタスラ〉に前途を急がれたためではないかと思はれて、ただ悲しい気持がする。【以下、次回】