礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦時下の国民学校に寺子屋式教育が復活

2016-05-18 03:39:19 | コラムと名言

◎戦時下の国民学校に寺子屋式教育が復活

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、五月一八日から二二日までの日誌を紹介する(一三四~一四二ページ)。なお、『永田町一番地』は、五月一四日のあと、六月四日まで、日誌が飛んでいる。

 五月十八日 (金) 晴
 午前五時、やっと体中に汗が出て来た。汗を拭いていると、田原が起きて来て手伝ってくれた。汗でぐっしょりになった衣袴〈イコ〉を着替える。
 午前六時、体温三十八度。なんとか午後四時までには平熱にして勤務するぞと心に決めて横になる。熱が下がるまで毛布はかけるぞ。
 午前七時。朝食を半分くらい食べる。自分で食べる意欲がわいて来た。
 午前八時。田原が上番し田中が下番する。下番した田中にやっと、「報告する事項とか情報はどうか」と業務上のことについて聞けるようになった。
「はッ、昨夜午後十時のニューディリー放送によりますと、昨十七日、名古屋を米軍B29四百七十機が空襲し爆撃したと放送しました」
「えッ、またか。たしか十四日の月曜日に四百八十機のB29が空襲したと聞いて、その数に驚いたのをおぼえているが、またもや四百七十機か。名古屋は大変だなあ。よし。有難う」
もう寝ておれない気になる。しかし、まだ厠に行くのも足もとが不安定だ。まだ横になっておれということだと、自分に言い聞かせて横になる。【中略】
 午後四時、上下番の挨拶をきちんとして上番する。
 何だか久しぶりの感じがする。幸いにも勤務したころから三十六度ぐらいに下がって来て、そんなに寒いとも思わなくなった。
 上番してから今日はどうしたことか静かなもので、どこからもベルも鳴らない。隊長も午後六時半に引きあげられた。
 午後九時、NHKのニュースが流れる。
 ――本日、東京都においては残留学童の寺子屋式複式授業の開所式を行なった。これは赤坂区氷川国民学校、乃木国民学校の両校生のうち約七十名が残留していることが判明し、これに対応したものであると。また罹災工場への動員学徒は工場が罹災したとしても勝手に引き揚げぬように文部省から本日通牒が発せられた。復旧未定の場合は食料〔ママ〕増産に回すという――
 隣りの部屋も十時半ごろまで二名残っていたが早々と十一時を待たず引きあげ、まったく真夜中のように静かなもので、下番するまで問題は何も起こらない。午後十二時、今度は田中侯補生と上下番の挨拶をして下番する。

 五月十九日 (土) 晴
 午前九時前ごろまでゆっくり休ましてもらう。午前八時に下番した田中が、「班長殿、気分はいかがですか」と聞く。気がつくと、田中は私が寝る前に昨日の自分の着替えた汗の衣袴に昨夜、使った靴下まで、もう全部洗濯して干してくれている。
「気分は壮快だよ。それにしても貴様、眠る前に俺の洗濯物、有難う。貴様の好意、喜んで受けておく」と礼をいう。【中略】
 午後四時、上番する。【中略】
 午後五時、久しぶりで重慶放送を耳にする。
 ――本日、中華民国国民党の全国代表者会議が重慶で開催され、大会宣言で対日決戦を表明致しました――
 本日は午後一時すぎからのオオハクチョウ〔P38〕三羽の飛来の影響か、午後六時、七時以降はまったく静かで何もない。つぎつぎと放送するのも大変だけど、かえって張り切って勤務できるので、その方がよいかも知れぬ。午後十二時、下番する。

 五月二十日 (日) 晴
 本日は勤務変更の日であり、午前八時からの二勤となる。本日完全休日は田原で、田中は一勤と三勤ということになる。田中の二回の勤務が割り当たることは、彼が少年であるためになおさら割り切れないようにも思う。まあここに来た因果と思って諦めてもらうよりほかないだろう。一週間単位に勤務時間が変わるのも、決して悪くはないようだ。
 午前八時、勤務に上番する。【中略】
 正午、NHK放送のニュースが流れてくる。
 ――大蔵省が理財局銀行局を廃止して資金の円滑供給と効率使用を期するため金融局を新設する。また運輸通信省を廃止し、運輸の円滑を期して運輸省を設置し従来の通信業務は逓信院と改称し内閣所管とする。全国のたばこ屋で、小額紙幣と交換でアルミ貨幣の回収運動をはじめ、「一機でも多く飛行機を」と呼びかけている――と放送された。
 午前中忙しかった反動が、午後はいたって閑静な勤務となった。午後四時下番する。

 五月二十一日 (月) 晴
 午前八時、上番する。下番者田原候補生は、
「前勤務の田中君の申し送りでありますが、昨夜の午後十時のニューディリー放送によれば、沖縄の米軍は首里への総攻撃を開始したと放送したということであります」
 沖縄戦も援軍の応援はもちろん、弾薬糧秣〈リョウマツ〉なども補給は皆無で、戦死者、戦傷者、戦病者が出ればそれだけ勢力は毎日減りこそすれ、絶対に増えない。
 それに攻撃する側は、どんどんそこに新手〈アラテ〉をつぎつぎと集中して来る。
 減と増の戦いで、いかに減の方に精神力があるとしても、マイナスに対するプラスはだれが見てもプラスの方が勝つに決まっている。太平洋の各島々で、このバターンで戦って負けて来ている。
 米上陸年月日の記入の地図が、上山少尉の作った太平洋戦争関係図という名前で張り出されている。よくも制空権、制海権もないのに部隊をぽらまいたものと驚く。当時は制空・制梅権は完全に持っていたのだろうが。とにかく同じ轍〈テツ〉を沖縄だけは踏ましたくたい。沖縄第一線の部隊の健闘を祈るのみ。
 昼のNHKのニュースが流れる。
 ――本日の閣議において広瀬豊作〈トヨサク〉蔵相は大蔵省に塩増産本部の設置を決定した。したがって、従来の自給製塩総本部は解消することとなったと報告された。
 昨日の今日ということで敵機の音はどこにもない。勤務中はレシーバーを耳に机と対時する。一日中こうして座っているということも、神経だけは疲れるものだ。
 午後四時下番。午後四時といっても、われわれは日本時間をそのまま使用しているので、ここの時間にすれば午後三時で、太陽はまだ頭上に高く在って炎熱の世界に出てくるようで、やっぱり壕の中は相当に涼しい。
 内務班の内外の掃除をすませ、洗濯場に走る。洗濯することは、それだけ毎日が汗まみれになっていることで、着ているもの全部を洗えることと、水を使うことで涼を求められることで楽しい時間帯だ。

 五月二十二日 (火) 晴
 午前八時、勤務に上番する。【中略】
 正午のNHKのニュースが流れる。初めの方を聞き洩らしたが、本日付をもって戦時特別教育令が公布施行された。これは全学校・職場に学徒隊を結成して、挺身組織の強化をはかるものであると。沖縄県のことを思えば遅すぎたくらいだ。
 午前の忙しい日の午後は嘘のように静かで、まったくベルなどならず。午後四時、下番する。二勤の勤務後はなぜかゆったりした気持になる。日が暮れるまで時間が充分にあるからだろうか。

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