◎「新聞の自由」というのは大法螺だ(ヒトラー)
最近、政府・与党による「言論統制」が話題になっている。
言論統制といえば、その本家は、ナチス・ドイツである。最近、齋藤秀夫『ナチス・ドイツの文化統制』(日本評論社、一九四一)という本を読んだので、本日は、その一部を紹介してみたい。本日、紹介するのは、第六章の最初のほうである。
第六章 ナチスの新聞統制
ナチス綱領第二十三条には、既に明確なる新聞統制の方策が確立されてゐることは周知の事実である。即ち、故意の政治的虚言と新聞によるその伝播〈デンパ〉に対して法律を以て挑戦せんことを期し、ドイツ的新聞の創設を可能ならしめる為め、
(イ)ドイツ語新聞の編輯人はドイツ人たること、
(ロ)非ドイツ的新聞は認可制度とし、しかもドイツ語による印刷は之を禁止すること、
(ハ)非ドイツ人のドイツ新聞に対する経済的関与を禁止すること、
の三要求を提示し、併せて公共の福祉に反する新聞の禁止を主張したのである。ナチスの実行した新聞統制は完全に此の方向に進んだものである。
ナチスに於ては新聞は国民の教育手段とされて居るのであり、ヒットラーも、之を以て国民の自己教育の機関であるとみてゐるのであるが、然らば所謂新聞の自由はナチスに於ては如何に考へられてゐるのであらうか。
そもそも新聞の自由とふ標語は自由主義の根本要請であり、一七八九年のフランス革命は之を人権の中に数へあげ、又ドイツに於ては、新聞検閲の撤廃といふことが一八四八年の革命の根本要求であつたこと、一八七四年のドイツの新聞紙法は新聞の自由を宣言し、更にワイマール憲法第一一八条は総てのドイツ人は言語・文書・出版・図画其他の方法により自由に其意見を発表しうる権利を明かに認めてゐることからも、新聞の自由といふ概念乃至標語の持つてゐる重大意義を窺ひ知ることができる。
ではナチスではどうか。先づヒットラー総統は既に「我が闘争」の中で、「若し国家はあらゆる手段が目的のために奉仕することを要するといふことを忘れてならぬといふのであれば、自己の義務を等閑にする所謂新聞の自由といふ大法螺〈オオボラ〉に迷はされたりロ説き落されてはならない」と述べて之を排撃してゐるのを始めとし、ナチスの新聞統制の首脳部も之と完全に一致した見解を持してゐる。即ちナチス党の新聞事項についての全国指導者(Reichsleiter der Presse)兼国新聞院の総裁の要職にあるマックス・アマン(Amann)は、西欧民主主義諸国の意義に於ける新聞の自由は存在せず、ナチスの新聞の自由は国民の福趾といふ限界を有するものであることをはつきりと言明して居り、又ナチス党新聞部長ディトリヒ(Reichspressechef Dr. Dietrich)も、新聞の自由といふ概念は実際はかつて人間の頭脳に煙幕をはつた最大のこけおどしの一つだといふ結論に到達してゐるのである。ナチス党綱領の解説者ファプリチゥスも亦綱領第二十三条を註解して、自由主義的刻印ある新聞の自由の撤廃の必要なるを説き『言論の自由は、「天賦人権」であるから、何人もこれを制限し得ないといふ謬説によつて、独逸の自由主義は新聞の援助の下〈モト〉に、すべての無責任な執筆者や、すべての猶太〈ユダヤ〉人に、計画的に精霊を毒する権力を握らしめた。民族的社会主義は、かやうな誤れる自由概念の横行を、終熄せしめたいと思ふ。民族的社会主義も赤言論と新聞との自由を肯定するものである。しかしかやうな自由は、国民的福祉への顧慮において、その厳格なる限界を見出すのである。』と述べてゐる。
かくの如くナチスに於ては新聞の自由は国民の福祉といふ制限付にて容認せられてゐるのであるが、従来の自由主義的なる新聞の自由が撤廃せられたといふので直に〈タダチニ〉ドイツの新聞界が去勢されたものと考へるのは間違つてゐる。前記の編輯人法を公布した当日即ち一九三三年一〇月四日、ゲッベルス宣伝相はドイツ新聞界に此点に関して些か〈イササカ〉の誤解なきを期する為め新聞記者団の職能団体であるドイツ新聞国中央団体に於て次の如き講演を試みてゐる。日く、
「今日ジァナリストの間でドイツの新聞が単調化されたといふことについてぶつぶつ不平があるが、新聞の単調化などといふことは実は政府の意思には無かつたといふことを予は申上げたいのである。予は嘗て〈カツテ〉ナチス運動に対して攻撃を加へてきた所の新聞に対し今日法王よりも法王的であれと望み得ないわけではないか。我々は新聞に対し性格を無くせよと強ひはしない。我々は、新聞が万歳を叫ぶ気にならぬといふのなら別に万歳を叫べと要求はしない。ただ我々の要求するのは、新聞が国家に反抗することは何一つしないといふだけだ。新聞がその時その時の変り行く輿論〈ヨロン〉に応じて、その時その時の変り行くニューアンスを持つといふことは我々にとつて悪いことではない。輿論形成の多様性に対しては何等干渉はしない。この機利を行使するのはただ新聞記者各個人の思ひ付きと才能によることである。」と。
ナチスは新聞を国家統制に置いてゐる関係上、新聞通信社も一元化する必要を生ずることは固より〈モトヨリ〉であつて、この為めに、一九三四年には世界的に有名なウォルフ通信社とテレグラーフェンウニオン社を合併し、新たにDNB(Deutche Nachrichten-Bureau)を設けるに至つたのである。
ナチスの見解によれば、新聞は国民に対し精神的に影響を与へる手段であり、学校・ラヂオ・演劇・映画と同様に国民の教育手段・国策的な教育手段とみてゐるのである。従て新聞の本質は経済的企業ではなく、政治的教育機関であり、公共的制度であるとみる関係上、新聞についての自閉主義的見解とは全く対蹠〈タイセキ〉的地位に在るわけである。