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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

G・ジンメルと清水幾太郎

2016-05-19 05:16:47 | コラムと名言

◎G・ジンメルと清水幾太郎
 
 このブログでは、これまで何度か、清水幾太郎という人物を採り上げてきたが、そういう時は、概してアクセスが多いようだ。
 だからというわけではないが、本日は、清水幾太郎のエッセイを紹介してみたいと思う。タイトルは「回想の書物」、『常識の名に於いて』(古今書院、一九三七)に収録されていたものである(五九~六五ページ)。初出の掲載誌は不詳。

 回想の書物
 一番好きな思想家は誰かと尋ねられれば、今でもジンメルの名を挙げて答へずにはゐられない。若し敢へてその理由を質された〈タダサレタ〉なら、ジンメルが恐らく誰よりも自由に考へることを好んだといふ点を指摘せねばなるまい。思想家とは自由に考へる人にのみ許される名前であらう。その後の学者達は彼の進んだ方向に対して様々な名称を与へてゐるが、彼自身は、日本の所謂思想家達に見られるやうに、色々なものに義理立てしたり、弁証法といふものに拘泥して窮屈な思ひをすることもなかつた。自由に考へるといふ彼のこの特色は時が経つに従つて益々貴重なものに考へられて来た。今一つ彼を好む理由を述べるとすれば、それは彼が人間の身近な問題に注意を向けることを忘れなかつたといふことである。日本の哲学者などの書くものを見てゐると、人間は明日にも死ぬ運命の下〈モト〉にあることが無視され、人間が煩しい家庭生活や無意味な人間関係の中に立つて悲哀や安堵の交錯を経験してゐることが忘れられ、まるで壮大な高遠な問題だけが人間の真の問題であるかのやうに見える。一見極めて些細なやうに考へられる問題が実は退引〈ノッピキ〉ならぬ深刻な問題であることに誰も気づいてゐない。哲学者とは最も不正直な人間の別名のやうである。ところがジンメルの提出した解答の当否は一応別としても、彼はかういふ身近な問題へ入ることを少しも躊躇しなかつた。進んで身近な問題を取上げる彼の態度は私に大きな安心と勇気とを持たせて呉れた。そしてこの安心と勇気とは今でも私が失ふことなしに持つてゐるものである。
 誰しも同じことであらうが、私も自分の所有する書物の殆んど凡べてに就いて夫々〈ソレゾレ〉の回想を持つてゐる。一つ一つが私の生活の或る時期と特殊な結びつきを含んでゐる。一冊の書物を手に取れば、これを購入した頃またはこれを読んだ頃の自分の生活や気持がはつきりと浮び上つて来る。併しその中でも特別の愛着を感じてゐるのはジンメルの書物であり、就中〈ナカンズク〉彼の『社会分化論』(Georg Simmel, Uber Sociale Differenzierung, 1890 )である。
 この本の邦訳は昭和二年に出た〔五十嵐信訳『社会的分業論』岩波書店、一九二七〕。それ以前から私がジンメルに対して抱いてゐた特別の感情は、この書物を読んでから全く決定的なものになつてしまった。そして差当つての私の願ひはこの本の原書を見ることであつた。併し訳書の紹介が雑誌に載つた時、原書は日本中を探しても数冊しかないであらうと記されてゐるのを読んで、私はひどく落胆すると共に、私の願ひは益々烈しくなつて行つた。暇さへあれば神田の古本屋を見て歩くといふ習慣を持ち続けてゐる私は、何時もこの本を念頭に置いて歩くやうになつた。そんな稀覯書〈キコウショ〉がまさか神田に転つて〈コロガッテ〉ゐるとも考へられなかつたが、それでも幸福な偶然を頼りにしてゐたのである。本は勿論見つからなかつた。
 丁度その頃であつたらうか、これは何もジンメルの書物だけを目的としてのことではなかつたが、深作〔安文〕先生から紹介状を頂いて帝大の社会学研究室に戸田〔貞三〕先生をお訪ねする機会を得た。これは私にとつて非常に重大な思ひ出である。その日の空や構内の樹の色が今でもはつきりと眼に浮んで来る。その時の戸田先生の服装や部屋の様子なども眼の底に残つてゐる。そして挨拶が済んでから私が見せて下さいとお願ひしたのは、ジンメルのこの本であつた。それは書物よりも小冊子と呼ぶべきものであつた。写真版(第二版)であつたため、字の輪廓が鮮明を欠いてゐた。もう多くの人々に依つて読まれたらしく、特に最初の部分は著しく手垢で汚れ、所々には無遠慮なインキの線さへ引いてあつた。かくして漸く手に取ることの出来たジンメルは、ひどく疲れたみじめな様子であつた。本を卓上に置いて先生のお話を伺つてゐる間でも私の注意はこの書物に注がれてゐた。
 私は大学に入学したらこれを筆写しようと決心した。併し翌年大学の門を出入するやうになつても、色々な事情でこれを筆写する機会を得なかつた。誰かが借覧してゐたり、こちらが忙しかつたりしたためである。終に〈ツイニ〉私は夏休をこれに充てることにきめた。そして暑中休暇と共に筆写は始められた。併し始めて見ると、小冊子と高を括つてゐた本も、活字が細い〈コマカイ〉ため容易に捗らず、ノートの数は幾冊にも増して、来る日も来る日も筆写に費して、到頭これを仕上げたのは丁度休暇の終る頃であつた。今まであちら側に立つてゐたジンメルがこちら側へ来たといふのがその時の感じであつた。
 貴重な暑中休暇を筆写で過したのは、一つの愚行であつたかも知れぬ。またこれを行つたためにどれだけジンメルの精神に接近することが出来たかも余り確信はない。たださうせずにはゐられなかつたまでである。併し結局は愚行であつたのであらう。この書物は訳書の紹介文を書いた人の言ふほど珍しいものではなかつたからである。日本で買ふことは出来ないとしても、ドイツの古本屋へ註文すれば購入できぬとも限らぬと知つたのは三年生になつてからのことであつた。早速註文して買つた。約二十円ばかりの為替を組んだやうに覚えてゐる。私が買つたのは研究室にあるのとは違つて、印刷の明瞭な初版であつた。仮綴〈カリトジ〉の表紙は破れ、所々に鉛筆の書込があった。
 何冊かのノートは数年の埃〈ホコリ〉を浴びてゐる。これを手に取つて頁を繰ると昔の匂が漂つて来る。書物の方は頁が落ちてしまふのでその後装幀させた。火事の時はやはりこれを持つて逃げさうな気がする。 ―(昭一四・一〇)―

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