◎古事記真福寺本と大須観音
古事記といえば、「真福寺本」が有名である。真福寺〈シンフクジ〉というのは、一四世紀、僧の能信が尾張国大須郷(現在の岐阜県羽島市)に開いた真言宗の寺院である。同世紀にここで、僧の賢瑜〈ケンユ〉が、古事記をの書写した。これが、今日、国宝となっている「真福寺本」である。
その後、一七世紀に、同寺の一院である宝生院〈ホウショウイン〉が、名古屋城下に移転し、これにともなって、古事記の写本などの書画も、そちらに移されたという。今日のいわゆる「大須観音」である(北野山真福寺宝生院)。
真福寺本の由来については、明治期の歴史家・菅政友〈カン・マサトモ〉(一八二四~一八九七)に、「真福寺本古事記由来考」という論文がある。独得の文体であるが、読めないというほどでもない。本日は、この論文を紹介する。一九〇七年(明治四〇)に国書刊行会から出された『菅政友全集』の雑稿の部に載っているが、初出等は不明。なお、この『菅政友全集』は一冊本である。
カタカナ文をひらがな文に直して紹介する。句読点などは、全集本のまま。
真福寺本古事記由来考
皇国の史の今に伝はれるは、古事記ばかり古きはなけれど、何れの本も語の脱たる〈ヌケタル〉字の誤れるなど、いとみだりがはしきに、尾張の真福寺なるは、古くより伝へ来ぬる本にて、誤れるふしも脱たる語も少なければ、本居鈴屋〈モトオリスズノヤ〉〔本居宣長〕の伝〔古事記伝〕にも、此本を主とはとりたれど、それはた此本書を見しにはあらで、其を写したるものによられしと覚し〈オボシ〉ければ、みだりなることも多きぞかし、たとへば白檮原宮〈カシハラノミヤ〉の段なる高倉下〈タカクラジ〉の言に、已夢云とありて、末に結びたる辞なくては聞えぬまゝ、伝には、故建御雷神教曰、穿汝之倉頂以此刀墮入の十七字を補ひたれど、本書にはもと夢之ととありしを、筆画の似たるるまゝに写しひがめたるにて、夢之とすれば、故如夢教と受たるつゞきも明にて、また惑ふべきふしもなし、故古書は一字なりとておろそかにはすまじき者をなど、人のいふめれば、おのれも年頃其本のゆかしかりしに、この頃おもほへず見ることを得しは、又なき幸なりき、【以下、次回】