ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

天上のT君がいたずらして、K君に会わせてくれたのだろうか!?

2023-03-23 21:05:54 | 生き方

先日、新潟ハーフマラソンを走り終えてから、行きたいところがあった。

この時期は彼岸の期間に当たっていたからだ。

行きたい場所は、今年の初めに訃報が届いたT君の家だ。

 

新潟から、途中の道では、久しぶりに弥彦神社の大鳥居もくぐって行った。

昔、家庭訪問をしたことがあったとはいえ、さすがにそれから40年もたつと、家がどこにあるのかは忘れてしまっていた。

調べ直さないとわからなかった。

家の近くで、畑作業をしていた人に尋ねて、彼の家にたどり着くことができた。

 

仏壇に飾られた彼の遺影や位牌に、彼が亡くなったという実感がわいた。

焼香させていただいて、彼のお母さんと話をすることができた。

そこでは、去年の夏に亡くなった彼についてのいろいろなことを聞くことができた。

若いときにバンドのドラムをたたいていた彼が亡くなって遺された箱に、何十本ものスティック(ばち)があったこと。

意外にもハローキティが好きで、古いものから新しいものまでたくさんのキティーグッズがあったこと。 など。

 

そんな話から、小中学生だった頃のことにも話が飛んだ。

小学校時代のあの学級に欠かせない、リーダー的な存在だったこと。

スポーツ、特に野球が好きで、毎日素振りやトレーニングを欠かさずにしていたから、細身ながらガチガチの筋肉の体になっていたこと。

中学時代には、不登校が続いた同級生にも卒業証書を出してもらえるよう、校長先生に何度も談判に行ったこと。などなど。

そんな話をしながら、彼のことを偲んだ。

彼と過ごしたのは、わずか3年だったかもしれない。

だけど、新採用の20代の私には、非常に大きな存在の彼らだった。

一緒に時間を過ごした彼は、間違いなく私たちの人生に欠かせない存在でもあった。

 

1時間ほどお邪魔して、辞去した。

帰るときに、お母さんは「Tが好きだったから」と、仏壇に飾ってあったウイスキーの瓶の1つを私に手渡して寄越した。

いずれ彼を偲びながら、少しずついただくことにした。

 

 

かつてT君たちが通い、私が勤めた建物はすでになくなっている。

でも、そこに行ってみたくて、かつてあった場所の高台に上って行った。

長い階段の上にその場所はある。

二宮金次郎の像や石碑が、そこに学校があったことを物語っている。

かってT君たちが夏には毎日泳いだプールは、コンクリートの箱に過ぎず、周りには生えた木や草でおおわれてしまっていた。

時の流れをいやおうなしに感じた。

しみじみと感傷に浸った後、高台から下の道に降りた。

 

その時だった。

目の前を右から歩いてきて立ち止まった男性に見覚えがあった。

「K!」

車の窓ガラスを開けて、思わず名前を呼んだ。

すでに50歳を過ぎているがその顔には、40年前の面影がたっぷり残っていた。

彼も私の名前を呼び、私は急いで車から降りた。

K君は、先ほど焼香してきたT君の同級生。

つまりT君同様、私の教え子だったのだ。

小学校時代は、T君の友だちであったK君。

 

彼らが20代後半の頃に呼んでもらった同級会で会って以来だから、およそ四半世紀ぶりの再会だった。

T君のことや現在のこと、昔の小学校時代のことなどを、いろいろと話した。

当時の彼らに私が話していたことを、彼はとてもよく覚えていた。

私が大学を1つやめて、2つ目の大学に入り直した話で、2つの大学名まで覚えていたことには、恥ずかしさも感じた。

学校の教師が、小学生にそんな話をしていたなんて…。

 

K君と別れて帰路に着いたときに思った。

学校跡地の近くでK君との再会…これって、天に上ったT君が仕組んだいたずらじゃないのか?
と。

40年前に「育」業についてまだ日が浅い若者だった時代。

彼らと、互いに互いの人生に影響を与え合っていたのだ、と今思う。

 

午前はハーフマラソン、午後は人生を考える機会となった。

貴重な一日であった。

【学校跡地に咲いていた花】

コメント (2)
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